第6話
元々が銃撃に強いロボットのようだった。外装を破るのさえ、狂介には一苦労だった。
「ああ、もう、面倒臭えっ」
狂介が手を振ると、ロボットは外壁を突き破って落ちて行った。
「……治って来てるじゃない。やっぱり実戦向きね」
「狂介凄い!」
「……まぐれだよ。どこまで治ってるかなんて自分じゃわからない」
外壁から入りこむと、狭い部屋が続いた。やがて会議室らしい広い部屋に出る。
「――ここを拠点にしてもいいわね。ここから『朧』の状態に入るわよ。見つからないように」
すっ、とシロノの姿が薄くなる。気配は全く感じられない。消えたかのように見えた。
「本当に化け物だなシロノ。俺は――」
「鳥埜さんに消してもらって」
「俺と鳥埜はともかく、シロノは凄すぎだよ」
狂介が鳥埜の作り出した、膜のようなものに包まれる。姿が薄く、消えたように見える。
鳥埜も消えていた。
「そうかもしれないわね。――だからここにいる、とも言えるわ。Uクラスという化け物を作ったのも私たち。始末をするのも私たち。――なるべく排除はしたくないけれどね。純粋な子が多いから」
「――初めから一途なのを選んで育成するんだろ? 余計なことを考える俺らはAクラス止まりで」
「順当に行けば狂介、あなたもそのうちSクラスまでは保証するわ。――思考で話して。本格的に隠蔽するわよ」
戦闘用スーツが音を吸収し、予測し、打ち消す。
薄暗いだけの影のようになって、三人は進む。
『ロボットはしょうがないけれど、中心部に近づいたら物理攻撃は受け止めて。受け流して。――精神攻撃が主体だと思うけれど』
『中心部の誰かを殺すなってことだろ? 原因がわからなくなる』
『その通りよ。サイコハザードは心理的迷宮のようなものだから。ただ力任せに消しても消えるけれど、手間がかかりすぎるわ』
『何か、強いのが来る!』
隣の部屋に入った瞬間、鳥埜がそう叫ぶ。
どくん、と狂介の心臓が鳴る。
どろりと血の川のようなものが、床を濁流のように流れ、押し流されそうになる。
物理化した精神だ。「悲哀」だ。
天井からは血が間断なく、滴っていた。
『もうサイコハザードの実体化領域ね。取り込まれないように』
『これは……悲哀』
『たぶんそうね。自分のことじゃなく、誰かへの悲哀……?』
『鳥埜……流されそうだ』
血の川は、狂介の腰まであった。
『あたしの手に捕まってね。能力で押し返すわけにはいかないのね。ロープで繋ぐ?』
『……任せる』
『……じゃ、今金具を繋ぐから。少し待ってください。シロノ教授』
『敵意は感じられないわね。後は私たちが、悲哀から心を守れるかどうか』
途方もない量の血を、先頭に立つシロノが片手で止め左右に流す。盾があるかのようだった。
『何があったんでしょうね』
『――鳥埜さんならば多少同化しても耐えられるんじゃない? 見て見たら?』
『ちょっと、狂介が不安で……』
『自分の中に不安があるならやめておいて。悲哀と共振する。わたしも読んでみるから』
うねるように太い血管が、水道管ほどの太さで血液の中に浮き、震えていた。
もはや体内だ。鳥埜は思う。
鈍く重い振動は、どこかにある、「この空間そのもの」の心臓の音だろう。
なぜこれほど、血のイメージが広がっているんだろう。
誰かの死? それを「悲哀」は嘆いているの?
絶え間なく心に入りこんで来る悲哀を、自分の精神の深層、海の底へ流し込んで中和する。
四層の精神。その最深部にある能力源泉。その眩い光で浄化する。
自分の不安で、精神――海を濁らせるわけにはいかない。
負けないで。むしろ「悲哀」の源泉を励ますように鳥埜は一層、自分の能力源泉を輝きで満たす。
それ以上、苦しまないで。助けるから。必ず。もう少し待って。
鳥埜にはわかる。ロープで繋いでいる狂介も、能力源泉の光で中和している。
励まして、助けようとしている。
今は少しばかり能力の「外への現れ」は弱いけれど、狂介の能力源泉そのものの光は強い。狂介の精神を、悪いとは思ったけれど、鳥埜は少し覗いた。能力源泉からの光で、海全体が美しいほどに明るい。これなら、耐えられる?
『どこかで……感じたな。この悲哀の持ち主。まだわからないけどな』
『無理はしないでね。狂介なら大丈夫だと思うけど』
『不安は要らない。自分を守るのに集中してくれ』
『……うん』
何とはわからないが、臓器のようなものが壁と天井で振動している。
既に暗闇に包まれ、鳥埜は暗視能力を使っていた。
当分、ある意味では地獄のような風景が続きそうだった。
『これ以上血が増える可能性もあるわ。血で窒息しないように、防護服のボンベから空気を吸えるようにしておいて』
血の奔流はシロノが遮ってはいるが、ともすると天井近くまで血が吹き上がる。
『血、死? 慟哭? 不安……直接、原因になっている誰かと話せれば、もう少し。……かなりのことがあったことだけは確か。込み入った事情がありそうね。中央管理区じゃいつものことでしょうけど。首を突っ込むのは、やめておくわよ』
『なあ、鳥埜』
『……なに?』
『今後こういう任務を二度と受けないとは言わないけどさ、こんなに必死で自分を守ってる誰かの奥にまで入り込んで、無理矢理事情を調べ上げて、言って見りゃ傷口をこじあけてるようなのは、俺はどうもな』
鳥埜にも狂介の気持ちはわかる。「中の誰か」は怖いからサイコハザードの中にいるのだ。
それを解消するためとはいえ――今やっていることは「侵入」だ。
「悲哀」だからだろうか。余計にそう感じる。
『あたしも、これまでのサイコハザードとは違うと思う。これまでのは思いが漏れてただけでしょ。怒りとか、ちょっとしたもの。これは、なんか、違う』
シロノが振り返る。
『あのね、依頼では、中央管理区は「悲哀」も「驚愕」も本体ごと全部、消してくれって。――そう聞いたら消す気にはならないわよねえ。事情はともかく、中心にいる能力者は、学園で保護するつもりで行くわよ』
全力で守る。そうシロノは決めていた。
陰鬱な――同時に抑え込まれているような感覚があった。血をかき分け、脈打つ臓器のようなものを避け、そっと剥がしながら進む。手術のようでもあった。
流れ込んで来る「悲哀」には、それこそ「悲鳴」と感じられるような、痛々しい感覚があった。
『何かやらかしたのよ。中央管理区が。Uクラスの能力者はだいたい、純粋なの。だからこそ能力者として強力なんだけど』
『この悲哀からは「悪意」は感じられない。助けて欲しい、そういう感じだな。助けたい、というのも感じるか』
『早く本体と接触したいわ。何が問題なのかはまだわからないけれど、解決すればこのサイコハザードは縮小して、消えるでしょう』
ドアや壁も変質し、肉の壁に変わり始めていた。
肉の洞穴。
啜り泣きのような響きが、混じり始めていた。
『下手に刺激しないで欲しいわね。ロボットの集団が右手奥から来るわ。――ここで銃を撃つのは得策じゃない。少なくともわたしたちに攻撃の意図はないと知らせないと』
シロノが困ったように、眉を寄せる。
『これ全体が……』
もはや巨大な体内にしか見えない。ロボット排除には力が足りない狂介は舌打ちする。
『肉の壁が襲ってきたらどうするの?』
鳥埜は周囲の肉の壁――体内のような――を見て怯えていた。
『俺たちは刺激しない。それしかない。襲ってきたらその時はその時だ。――鳥埜。俺のイメージ通りに攻撃して貰えるか』
『いいわよ。ロボットまで200mほど。まだ間に壁がある。やるなら今のうちね』
鳥埜の目が鋭くなる。
『発火。ロボット内部の基盤を溶かしてくれ。かなり高温にする必要がある』
『……やってみる』
すぅ、と鳥埜が息を吸うと、目を閉じて集中した。
ぼんやりとだったが、狂介にも鳥埜のイメージが見えた。灼熱の炎だ。赤く輝いている。
『……焼いたわよ。狂介』
ほんの一分ほどで、ロボットを無力化していた。
『まだ補充も来るみたいね。本気みたいよ? 鳥埜さん、狂介』
シロノは透視しているようだった。
『狙うなら俺たちだけにしてくれよな』
『――そうね。所構わず弾をばら撒かれたら、ここは大混乱よ』
敵意を感じ取ったのか、床を這う血管がしきりに脈打つ。
『お願い。敵じゃないのよ――ちょっと待って。連絡。ああ、一階からの突入組ね』
他のガーディアンから、シロノに連絡が入ったようだった。
「無理に中に入らなくていい。ロボットから、攻撃を受ける可能性があるから準備して。容赦なく反撃して。自分を守ることに専念して。わたしたちは中央管理区の防衛機構と、敵対しているの。……こちらはかなり奥まで入ったわ。怪我をしないようにね」
話しながら、シロノは血と肉から自分たちを隔離する。
まるで血の泡の中にいるようだった。
『もう一度、拠点を作るわ。一度じゃ突破できない可能性もある。体制を立て直しましょう。さすがに能力も使いっぱなしだし』
肉を引き裂かないように、広そうな空間を選んで――シロノ曰く、「固定」した。
見上げる程の、肋骨のような骨に囲まれた空間だった。骨の神殿。
『ふぅ。食欲は湧かないでしょうけど、水と栄養剤は飲んで。――ロボットは?』
『何グループか排除しました。狂介のアイデア通り、内部を溶かして』
三人でチューブから栄養剤を飲む。
『他の存在――ロボット以外。何か感じるわ。ここまで踏み込めるのもそうはいないと思うけど。敵意、あり、ね。どうする――』
『この事態を収拾して欲しいなら……誰だか知らねえが邪魔するんじゃねえよ』
『同感よ。それだけ事態の収拾が遅れる。面倒ね』
『頼んどいて邪魔するとか……』
『中央管理区の防衛機構の暴走だと思っておきましょう。今はそれ以外の原因は追わない。――中央管理区も一枚岩じゃないけれど、内紛の可能性なんか考えてもきりがないわ。警戒はする。今はそれで』
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