第17話

「よし、押し返すぞ。私の援護を頼む」

 風音が三方に道の分かれた部屋の、中央の洞穴に近づく。

 狂介と扇が洞穴に飛び込む。炎に巻かれているゾンビを一気に斬り倒した。

「この……よくも」

 洞窟の奥で、浅黒い肌の女が言う。憎しみを隠す様子もなく、こちらを睨んでいた。

 すらりとした長身と、俊敏な動きは風音に似た感じがあった。

 憎悪と威圧感が、本物のように感じる。

『風花? か? 巨大じゃないな。ゾンビの側のリーダー? だろ』

 隣にいる扇に、狂介が言う。

『サイコハザードらしい異常現象だね。風花さんは二人居るんだろう。狂介くん。――どちらが本物かはわからない』


「――これでどう? 無駄なのよ。風音。これでも一体10ポイント。50ポイント頂いたわよ」

 風花が、周囲のゾンビを斬り倒す。ばらばらとゾンビが切り裂かれ、散った。

「……それで稼げるポイントがどれだけだと思って。何度やっても同じ。風花。殲滅し、逆転する」

「ふん。やってみないとわからないわ」

 わらわらとゾンビは幾らでも湧く。

 いつの間にか討伐者も14人近くになっていた。活躍できるように、最前線で狂介は多少道を開ける。

「皆、焦ることはない。確実に片づけて行けば勝てるわ」

 風音の炎の矢が、洞穴の奥深くまで飛んでいく。

「このまま、相手の入り口まで押していくわ」

 オーバーキル気味の狂介と扇が、引いていくゾンビを蹴散らす。

 全員が洞穴を走っていた。


『どういう展開に……しましょう』

 ミノリがシロノに聞く。終わらせるプランも立っていなかった。

『任せるわ。私はこのアトラクションに詳しくないの。ミノリさん』

 何があってもいいように、シロノとミノリも走っていた。


 氷の洞穴を走り、何度かは迷って――やがて巨大な広間に出た。ここがゾンビ側の入り口らしかった。さすがにゾンビの数が多い。

「一旦下がって。私がこちらの陣地を作るから」

 風音が炎の矢で平行線を描くように道を作り、さらにその周囲を埋めていく。

 太い炎の道ができていく。

 周囲は炎の矢で、火の海のように埋め尽くされた。

『戦略といい、凄いな。風音って子』

 狂介が扇に言う。

『狂介くん。ナビゲーターは咄嗟にこのくらいのことはするようですよ。特に風音さんは閃きと、納得できるプラン、さらに人格。見るべきものがありますね』

 扇はそう答えると、洞穴の先に進む。

 ――突入していいのか?

 ――行くぞそろそろ

 ――ゾンビ、てめえら数だけなんだよ

 討伐者が前に出る。

 数歩、前に出た風音が、

「これで終わりよ。炎のエンチャント。あなたの負けね」

 そう叫ぶと、ゾンビの鎧を燃え上がらせる。

 エンチャント――味方に使う魔法を相手に使うのか。狂介は炎の饗宴となったステージを見渡す。ほぼあらゆるものが燃えていた。


「……どう考えても勝つな。これ。よく考えた――風音が凄いのか」

 狂介は勢いに任せて、奥まで斬り込む。大体の感覚だが、百体も倒せば勝てるはずだった。

 ポイントは見えないがそんなものだ。

 一人二十体は倒している。さらに狂介は数を稼いだ。どうにか身についてきた水平の斬撃で、一撃で数体を倒しては進む。

 扇はシロノたち全員を守りながら、戦っていた。こちらも倒した数では負けていない。

『ここで、「部屋」、使ったら?』

 シロノがミノリに思念を送る。「部屋」が何であるかは、ミノリから読み取っていた。

 ミノリ固有の空間だ。思念で作られる、別世界だ。その原理までは知らない。

 Uクラスの捜査官らしい、特殊な能力だ。

『――やってみます』

 燃え上がるゾンビだらけの洞穴の隅に、ミノリと風音が跳んだ。そしてゆっくりと氷の上に倒れて二人とも、眠った。周囲にゾンビが現れる気配はない。薄く透明な壁のようなものが、二人と洞穴を隔てていた。

「おら、まだまだっ」

 血の滾ったらしい狂介が、忙しくゾンビを狩っていた。明らかに狩り過ぎだったが、誰も止めない。ゾンビが全滅しつつあった。


「――ここは?」

 ぼうっとした顔で、風音が左右を見る。部屋は静まり返っていた。

「病室よ。風音さん。アトラクション、お疲れ様」

 ミノリがダークスーツ姿で、ベッドの傍に座っていた。

 何もない白い病室。広いベッドに風音が、病院服で体を起こしていた。

「ここ」は――具体的にはどこでもない。ミノリが作り出した、想像の病室の中だ。

 実際の――あるいはもう一つの世界の風音は洞穴の隅で眠っており、ミノリもまたその傍で目を閉じている。

「ここ」には二人とも、滞在したことがある。以前の事件で二人はよく「ここ」で語り合った。

「あれ……わたし……怪我をしてたんだっけ」

 その記憶はあるようだった。風音は以前、「氷の洞穴」で瀕死の重傷を負ったのだ。

 重症の風音に話を聞くために、ミノリは「ここ」、もう一つの世界を作った。

 ベッドで点滴とセンサーを取り付けられ、身動きもできない風音ではなく、「ここ」で傷一つない風音から事情聴取をした。

「もうだいぶ治ったのよ? 普通に勤務もできる。さっきのアトラクションは勝利だったわね」

 ミノリにもポイントは分っていないが、大体、勝っていたように見えた。

 あれだけゾンビを倒せば勝つだろう。そこまで倒し続けた。狂介の活躍が凄かった。


 ――何よりも、重傷を負っていた風音が治っていることに、ミノリは驚いていた。本人には伝えづらい。風音は自分の損傷について、意識していなかったと言っていい。

 あなたは重症だった。脳の損傷もあった。そう伝える意味は、なくなっていた。

 このサイコハザードで会った風音は、完治しているばかりか、怪我の後遺症らしいものもない。

 サイコハザードが発生した時には、まだ風音は中央管理区の附属病院で療養中だったはずだ。簡単には治らない。そのはずだった。

 風音がサイコハザードの中で、自分を治したのだ。そう思うしかない。

「奇跡だとしか、思えない」

 思わず呟いていた。

 ミノリは涙が出そうだった。

 ――不思議そうに風音が見ていた。

「なんでもない。ちょっとね」

 これがサイコハザードの力ならば、治療のために使ってもいい。

 ミノリはそう思う。

「勝負は、際どかった……そう、もう、何時間もやっていたような。……どれだけなのか、自分でもわからない」

 ぽつりと「風音」が言う。口調がアトラクションのままだった。鏨音は、もっとくだけた感じだ。ミノリは小さく笑う。

「――まだ風音さんのままね」

「……え、あ、あたし。……うん。成り切ったままでした。あたしは鏨音。鏨音。……そう。もう何回、アトラクションをやったか忘れちゃった。――疲れた……かな」

 鏨音の言葉遣いに戻った。

「ミノリさんも……アトラクションにいたような? なんかそんな気がする」

 鏨音はいたずらっぽい顔になる。

「目立たないようにしてたから」

「居てくれたんですね。どうだった? あたし、ちゃんと風音だった?」

 その声は本気だった。

「うん。格好良かったわよ。もういつでも、できるわよ」

 事実だった。鏨音に怪我らしい所は見当たらない。ミノリは風音の手を強く握る。

「良かったぁ。ああ……でもあの役ばっかりだと疲れる。気分は引き締まっていいんだけどね」


 充実したように、鏨音は大きく伸びをする。

「眠いでしょ。疲れも、寒さも、体力を削ってるから、しばらく眠ってね」

 ふあ、と鏨音が欠伸をする。

 無理に眠らせようとしなくても、ずっと戦っていたのだ。気を抜けば眠くなる。

「お腹も空いてる気がするけど……眠るね。ミノリさん、本当にありがとう」

 風音が眠った後も、しばらくミノリは手を握ったままでいた。

 当分、風音――ミノリにとっての主役でありヒロイン――の記憶は薄れそうになかった。

 応援し続けるからね。ミノリは呟いた。


「風音」は洞穴の隅で眠ったままだった。ミノリが洞穴に戻っていた。

「たぶん、これでサイコハザードは薄れる? かと。風音――鏨音さんは眠っています。措置としてはこれでいいんですか?」

「そうよ。見事ね。ミノリさん。お二人の関係じゃないと、こううまくは行かないわ。――これで風音さんを確保。羽風さんはどっちが本物だかわからないから、後で二人とも強引に眠らせるわ。Uクラスにはなってないでしょうし。羽風さんの存在は、半分以上イメージでしょう。風音さんの。実在はしているけれど――虚像でもある」

 風音――鏨音がUクラスの力で、サイコハザードの中に他にも誰かを呼び寄せている可能性もあった。

 あるいは、イメージとして作りだしているか。と、シロノは考える。

 ミノリに聞いてみる。

「どうなるかは、私にもちょっと……」

 ミノリが困ったように頬に手を当てる。

「事件に踏み込む積りはないの。でもあなたたちは知ってるでしょう? 他の関係者がいるかどうか、ミノリさんと扇さんでチェックお願いね」

 未踏査範囲はまだ、存在した。

 サイコハザードは、最後まで何が起こるかはわからない。

「最後の追い込みよ。わたしも手伝うから、急ぎましょう」

 シロノとしても限界が近かったが、急がなければ未踏査地域からサイコハザードがまた広がりかねない。それは避けなければならない。


 記憶を失って彷徨っていたメンターの塔森とうもり、仲良しだったらしいが凍結されたような状態でいた一宮いちのみや――いっちゃんというらしい――それに数人のスタッフが、やはり凍結されたような状態で発見された。

「風音さん、自分で……」

 ミノリが考え込んでいた。

「事件のことかしら。解決したの?」

 シロノが横目でミノリを見る。

「いえ……これは一つの解釈に過ぎません」

 ミノリが断言する。異論を許さない迫力があった。

「A2やA1メソッド使うと難しいのね。解の一つだと思っておくわ」

 Uクラスの捜査員のやり方には、シロノも詳しくない。

「関係者はこちらのガーディアンに確保させる。巨大な風花さんは……わたしがやるわ。全員、申し訳ないけど、このまま身柄を開放はできないわ。中央管理区には、そのうち存在を匂わせるとして――。一旦、学園で引き取らせて貰う。開放するのは各方面に話がついて、ほとぼりが冷めてからね。あなたもそうよ? ミノリさん。なにしろ拘束されてたのを、開放したんだから。わたしが捕まっちゃうかもしれないからね」

「あ……はい。――申し訳、ありません」

 頭を下げるミノリに、いいのよ、と声をかけるとシロノはビルの外へ向かった。

「ふうう。もうサイコハザードでお腹いっぱい。吐いて来るわ。ミノリさんはこっちのガーディアンの指示に従って。それじゃ、後で学園でね」

 サイコハザードは薄れつつある。シロノに見える限界まで、吹き払ったように濃度が下がり続けていた。面目には拘らないが、中央管理区とも――ある程度は――信頼関係が続くだろう。


 後始末は、シロノがうんざりするほどにあった。

 まず、中央管理区に点在し残存するサイコハザードを、手分けして全て吸い出す。

 明らかに異常に変形している箇所は、自動でカメラに撮影させて――ミノリは最初からいなかったことにしている、など辻褄合わせは入念に行った――過去の中央管理区のビル設計図と自動照合し、歪みを抽出して中央管理区に提出する資料を作る。

 後で空間を、建築用機器に自動作成させるためだ。

 細部に至るまで修復するのは、中央管理区の担当だ。同じようなことをするのだろう。

 さらに、吐き出したサイコハザードが淀んでいないか、街のどこかに吸いよせられていないかのチェックもあった。


 薄暗い欲望が取り巻く場所には、サイコハザードが亡霊のように憑りつく。

 形を取ってしまっているサイコハザードは――例えば亡霊のように見える人影、など――対決し、排除し、粉々にし、吸い出す。

 ガーディアンを動員して、街の「掃除」に回った。

 狂介――鳥埜ペアも使った。目が回りそうだと言っていたが、ガーディアンの地道な作業は延々と続くのだ。


 中央管理区に任せておくと問題が生じるまで、何も措置しない。

 仕事の分掌がそうなのだから、あちらはどっしりと構えていればいい。

 それより、ドームの全面回復が行えるはずだ、と、連絡を入れておいた。

 怯えているUクラスに、再度協調してドームを再現して貰うのだ。

 そこには学園からは、直接手を出せない。完全に中央管理区の範囲だ。

 半分眠ったような状態で、液体の中を漂うUクラス。

 常に瞑想しているような状態に、置かれる。

 今回のミノリとの協調で、Uクラスも個人差はあるのだから、何もドーム作成で半分意識を奪うような真似はしなくてもいい、とシロノは決めていた。

 いずれ個々人が催眠状態になくても、維持できるような方式を考える。

 スパンの長い話になるが、いつか実現する課題とした。


 余計な――シロノにとっては――ことも判明して来ていた。

 当然最初から分かってはいたのだろうが、中央管理区上級職員の一部がいないのだ。

 ほんの数人だが、サイコハザード発生直後に、飛行タイプのカーゴで移動している。

 一早く避難したかったというのならば、それはそれで理解できる。

 それならば、行き先が判明しているはずだった。

 だが、その数名は行き先が記録から抹消されていた。

 管理の不備を、中央管理区のせいにするつもりは、シロノにはない。

 だが、多少の不満を抱えて逃げた程度なら構わないが、今回のサイコハザードが計画的なものであったとすれば、問題だった。

 シロノはあえて、踏み込まない。手を出せば「中央管理区」に呑み込まれるレベルの、案件だ。


 消えただけならば、居なくなった者はどのみち方針なり人事なりに不満があったのだろうから中央管理区内部の話だ。

 この件は預かりとなり、現状では学園には判断結果は知らされていない。将来的に情報が与えられることもないだろう、とシロノは割り切った。複雑な組織はそれ自体、迷宮のようなものだ。迷い人も出る。

 被害は――異常な状態は、収拾しつつあるのだ。問題はない。

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