第18話
そうでなくても学園は大騒ぎであり、シロノとしてはようやく地下研究室の別の部屋に、ミノリと扇の部屋を用意し、巨大な風花を眠らせ、普通に見える風花も眠らせている状態に持ち込むまで、ろくにサイコハザード発生前の日々には戻れていなかったのだ。
普通にシャワーを浴びて眠ったのは、サイコハザード収拾から四日後のことだった。
一週間はあっという間だった。
機密事項も知り合い経由でそれとなく、シロノから中央管理区向けにリークし始めた頃だった。まだ反応がどうか、を見る段階だ。
あえて、テキストメッセージだけを送っている。声では感情が、下手をすると考えまで分析される。中央管理区のAIは、全ての通信を聞いている。簡単には欺けない。
例えば仮に、ミノリがまだ生きていたらどういう処遇になるのか。まだ手探りだ。
処遇の当たりもつけない状態では、「生きている」とは公表できない。
さらに言えば、また拘束されるなどという措置なら永久にミノリの存在を隠す予定だった。
能力者的にも――人的にもミノリに施された拘束措置は緩慢な死に近い、とシロノは思っている。拷問の要素さえ感じる。
中央管理区がいかに中立的かつ有能であったとしても、Uクラスの能力者は「人を超え過ぎた」恐怖の対象とされることがある。
シロノ自身が、そういう目で見られてきた。Uクラスであることは、知られてはならず、知られればほぼ、化け物扱いされる。信頼しているガーディアンでも、どこかで一歩引いてシロノを見ている。
例外は――狂介くらいだ、とシロノは思っている。狂介でさえ敬して遠ざけるところはあるが、肉親とまでは言わないが変な信頼関係がある。
――シロノの信頼関係はともあれ、便利に使われているAクラス――狂介たちがそうだ――でさえ、非常時以外はまず中央管理区に入ることさえ許されない。
非能力者は、能力者を程度の差こそあれ、恐れる。
シロノも、呼ばれた時に行くだけだ。
恐れないでくれとは言えない。「どこか違う」ことは明白だからだ。
――サイコハザード処理開始から一週間以上が経ち、ようやく日常めいた日々が戻り始めていた。
まだガーディアンの一部は、サイコハザードの残滓の処理に駆り出され、走り回っていた。
サイコハザードの恐怖の影響を受けて、暴力に走る者もいれば、奇妙な――それこそ心霊現象のような――影に襲われる事件まで千差万別だった。
元々が恐怖の集合体に近い、サイコハザードの残滓だ。
人の恐怖を――能力者であるかどうかを問わず――刺激する。怪異の目撃に限っても、数は相当なものだった。
巷に怪異らしいものが溢れる。人の潜在的な恐怖を引き出す。
あれだけの大規模なサイコハザードの処理には、ひと月くらいはかかるのだ。
これだけで済んでくれ、とシロノを含めガーディアン一同も祈っていた。
ドームの外壁、と呼んでいるものは物理的な壁ではない。
中央管理区のUクラス能力者が集団で作り出している、「物理的なものを弾く」精神障壁だ。もちろん、外部からの能力行使、精神攻撃も弾く。
理論上は――小型の隕石程度は弾くらしい。
仮にミサイル攻撃を受けたとしても、弾くとも聞いている。規模にもよるのだろうが。
間違いないのは、バイオハザードを始めとする四種のハザードを弾くことだ。
その外壁に異常がある、と一報が入ったのは一週間を過ぎた頃だった。
中央管理区もそうだが、自由に動ける能力者は学園側に多い。大半はガーディアンだった。
「俺ですか。いいけど。異常って何だよ」
勝手にシロノが選んだメンバーに、狂介と鳥埜が入っていた。
狂介は鳥埜と、既にドーム外用スーツ――汚染されても洗浄を依頼すれば済むタイプだ――を着込んでいた。
「報告では「異常がある」、まで。――場所は指定されているから、録画してきてね。他にも何人か行くけど、リーダーは頼むわよ」
当然のようにシロノが言う。
「……頼もしいとかじゃなくて、俺が使いやすいだけだろ。シロノ」
狂介としては憤慨したいところだが、シロノにまともに反論する気はない。
「――あなたは裏表がないから。信じてるわよ? 狂介」
ふふ、とシロノが笑った。
「シロノの前と他じゃ、態度違うくらいはあるっつの」
狂介は自動運転の、乗り合いカーゴでそう悪態を吐く。
「わかってるでしょそのくらい。別に悪い事じゃないじゃない。総合的に信じてるってことじゃない?」
鳥埜は録画機材――一応、撮ったものを改変できないという所が売りで、性能は他の小型カメラと変わらない――のチェックをしていた。これで撮ったものは、公的記録となる。
「異常ってだけだと、どっか変ってことしかわからないな」
謎過ぎて、何をしたらいいのか狂介にはわからない。
「詳細は調査チームが調べるようよ。これはあくまで一次資料。記録だけにしましょ」
鳥埜は割り切っている。手を出し過ぎると、ガーディアンの「調査任務」に終わりはない。
「話は違うけど、なんか毎日化け物騒ぎで……疲れたよ俺は」
狂介の正直な感想だった。
「基本的には吸収するだけじゃない。目撃者の恐慌状態を解くのが大変だけど。……そろそろ休暇でも申請する?」
鳥埜が気遣うように、狂介に聞く。
「明日一日だけ休もうか。他の連中がバタバタしてると気に成る」
「ウチで焼肉? どこか行きたいところある?」
鳥埜が狂介の目を覗き込む。笑顔だった。
鳥埜の家はもんじゃ焼き屋だ。鉄板で焼けるものも、何でも出す。
「ダラダラしたいから、それで。鳥埜の家で」
途中で合流したメンバーを合わせて八人。異常があるという、ドーム外壁へと向かった。
あまり手入れのされていない、一角だった。スプリンクラーもないので、埃が激しい。
ドーム内は雨が降る事はない。散水機で補わなければ、渇いた土がひび割れ、砂が漂う。典型的な「放棄地」だった。砂だらけだ。
長い間放っておけば、ドーム外のように汚染される。
「要洗浄設備、設置」と狂介はノートに書く。最低限スプリンクラー程度は置けという意味だ。巡回式の自動装置でいい。
「最初はあまり近寄らない。望遠で撮影してくれよ」
一応リーダー格に収まった狂介が言う。
「何か異常を発見したら、すぐに言ってくれ」
遠目で一見した限りでは、特に異常な点はない。
――……生物? 小型ですけど……ネズミに似てるかな。
一人が呟く。
「たまに適応したのが生きてる。ネズミなら、変てほどじゃないだろ」
バイオハザードその他、全部で四種だろうと、生き続けられる生物はいる。昆虫が多い。それを食べるネズミだろう、と狂介は見当をつける。
ドーム外は全く生物のいない世界ではない。人が生きるのには向いていないだけだ。
草も生えていれば、樹も生えている。鬱蒼とした森もある。湖もある。
「これで済んでくれれば終わりだけどな」
「……狂介、ドームの強度がここだけ弱いわ」
「俺たちの管轄外だけど……記録は取っといてくれ。鳥埜」
言われてみると、微かな歪みのようなものを感じる。
「ドーム外の連中か? 何か機械みたいなものが置いてないか撮影してくれ」
ドーム外に生きるのは適応した小動物だけではない。
自称、ウニヴェルサリス。
能力者統一帝国。能力者だけの集団だ。能力者でない者は生まれてすぐ排除される、と噂ではしつこいほど聞いている。実際に確認したわけではない。
地上に現れることは珍しい。彼らも汚染の濃い場所を好むわけではない。
その代わりに上空高くに維持した、空中都市に住む。
逆さにした岩山と言える。
平たい空中都市と、その下にある分厚い岩石の層。
滅多に見る事はない。
「前の騒ぎでもう来なくなったんじゃないのか?」
二年ほど前に大規模な戦闘があった。それから音沙汰がなくなっているというのが、通説だった。少なくともこのところ、早期警戒システムからのアラートはない。
――監視カメラ? 小型ですがぎりぎり映ります。それと、用途のわからない箱?
「外壁の妨害装置? 新型でも作ったのか? ……証拠。それ以外、俺達じゃどうにもならない」
――また戦いですかね。引っ張り出されれば嫌とはいいませんけどね。
「まだ外壁が弱い。このタイミングっていうのがひっかかるな。あと五分も撮影すればいいだろ。報告を急ごう」
鳥埜が正式な報告書として取りまとめると、ガーディアン統括向けに送った。
要するにシロノ宛ということだった。
そこからどう中央管理区に上がるかは、シロノ次第だった。
「書類疲れるわー」
鳥埜がぐったりしていた。間違いがあってはいけない。鳥埜は気を使い過ぎると狂介は思っているが、自分で報告書は書けない。鳥埜を拝みたい気分だった。
「明日、休暇って連絡しといたから。もう休みのつもりでいようか」
「……心配にはなるわね。今日の結果」
「もうすぐ外壁も最大出力になるだろ。そう簡単に突破されないって」
「「外の連中」が動いてる、って思うとね」
「……もう肉焼くぞ。夕飯は肉な」
狂介はエプロンを着けると、鉄板に火を入れた。
外壁調査で使ったドーム外用スーツは、今頃、どこかで煮られて焼かれて薬品漬けになっている。ドーム外で使う防御スーツとしては、最も簡易なものだ。
狂介としては、ハザードが検知された箇所だろうと、深呼吸しても死なないとは知っている。
何時間も居れば別だ。
「焼きソバも食べる。――今日明日、休業にしよう。あたしも、疲れた」
「鳥埜は気にする時は気にするからな。焼きソバ、肉と野菜?」
「うーん任せる。考えたくない」
鳥埜は卓袱台に伏せると、そのまま居眠りしそうだった。
「寝ててもいいぞ。勝手にやる」
「うん。ありがと」
大皿に焼きソバ。中くらいの皿二つに焼肉。
あとは小皿に取って食べる。そこまでは狂介が準備した。
「あ、スープもあるんだ」
「粉を溶いただけな」
何となく、二人でニュースを見ていた。
――ドーム外壁は異常なし。
そこだけは気に成って見てしまうが、もう問題はなさそうだった。
ドーム内は常に春だ。天気予報はない。ドーム外で大嵐でもある時には、さすがに報道はされる。けれどドーム内には何の関係もない。水の備蓄が周辺に増えた、というだけのことだ。
「早かったね。ドームの壁の修理」
鳥埜がぽつりと言う。
「それよりサイコハザードの残りの始末だろ。あと半月以上かかる。外壁だけ急いだんじゃないか? 事情はわからないけど。……味は?」
「おいしい。もう狂介が焼いたほうが、焼きソバはおいしい気がする」
鳥埜の正直な感想だった。
「まだまだだろ。鳥埜のほうが仕上がりが綺麗だ」
何でもそうだ、と狂介は思う。鳥埜は丁寧だ。最後まで気を抜かない。
――今、入ったニュースです。ライブでお伝えします。
――第17ドームに向かったカーゴが行方不明になっています。直前までの記録から、突然消息を絶ったと考えられます。
「……何かありそうな気がしない? 狂介」
「「外の連中」が地上で活動? やめてくれよ。でもまあ、考えられるな」
明日の休暇は、無さそうな予感がしてきていた。
役に立たなければ恐れられるだけの、能力者だ。
必要だというのならば、何でもやる。
非能力者から見れば「外の連中」と変わらない、「別の何か」が、自分だ。
別に疎まれるわけでも、表立って恐れられるわけでもない。
学園には能力を得ようと、新入生が殺到する。大抵の人は能力を欲しがる。
それでも、手に入らないことはある。
だが――Bクラスを越えAクラスに慣れた頃に、違和感に気づく。
強すぎる能力者、という異常さだ。
普通の人とは「別の何か」、に生まれ変わっている自分に気付く。
本当は恐れられている自分、に向けられる視線に気付く。
はじめから、ほぼAクラスだった狂介は、曖昧な記憶と、違和感から自分が始まっているような気がする。
気が付いた時には能力を持っていた鳥埜と、狂介が――お互い、子供の頃について覚えていることは少ない。
過去を思い出そうとすると、頭の中で静かに響くのは、鳥埜が弾いていたピアノの音だ。
雨の降る中で一緒に歌い、ドームに戻るとAクラスだと判定され、家族がいなくなっていた鳥埜の家に居候するように――まるで決まったことのように、なっていた。
学園には特待生扱いで、給金つきで迎えられた。
ガーディアンを引き受けるという条件はついていたが。
なぜ、あらかじめ高い能力を持っていたのかは、狂介も、鳥埜もわかっていない。
いまだにシロノの研究材料でもある理由だ。
――ガーディアンだから。
呼ばれれば戦う。
その覚悟は出来ている。
「拾ってくれた」シロノにも感謝がないわけではない。
今は、「ガーディアンだ」と、後ろめたさもなしに言える。街で排除もされない。
ガーディアンの中では、物騒な部類だとは言われるが。
――時に、自分は何なのかと思うことはある。
答は、鳥埜と同じもの、だ。鳥埜の「音だけのイメージ」が具体物に見える誰かだ。
ドームの外でも――どれだけかは覚えていない――生きていた誰かだ。
生まれつき能力者だった何か、だ。
そして今回のサイコハザード騒ぎでわかったのは――ミノリにとっても誰かであった者、肉親だったかもしれない者、だ。新しい過去。だけれど、腑には落ちない。
懐かしい、とミノリを見ても思えない。記憶にないのだ。
ミノリの家族については記録はない。だから、狂介は――ミノリの誰でもない。
少なくとも公的には。消されている。Uクラスで捜査官であるから、というだけでプライベートの情報が消える。そこは厳しすぎるんじゃないかと思う。
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