第12話
ミノリにとっての「事件の捜査の一環」には踏み込まない。サイコハザードを治めれば済む自分が、全てを聞く必要はない。
だが――この先の予測をする上では、ミノリの情報がある程度は必要だった。
犯人は誰か。事件の全容。それはシロノの知るべき範疇ではない。
――それがサイコハザードに関係するのならば、聞かなければならないが。
『ひょっとすると……この世界でアトラクションをやっているの? 戦っている?』
シロノはミノリを見る。
判断に困ったようだが、やがてミノリは頷いた。
ミノリから事前に話で聞いた、氷の洞穴らしい風景に、周囲が変わっていく。
肉体で通路を埋めていたミノリに対して、アトラクションそのものでサイコハザードを埋め尽くしている「誰か」。
恐らくは風音だろうと思いながらも、誰も決めつけはしないで進む。
ここ数日で突然発生したサイコハザードだ。原因はまだ新しい。「風音」らしい人物にとっては、まだ何も終わっていないのかもしれない。あるいは、新しい活躍の場所を見つけた、とでも思っているのかもしれない。ここでなら、アトラクションを模した空間を創り出すのも、自由自在だ。
「ミノリさん、「事件」は、まだ続いているの?」
「……機密事項、そう言ってよろしいですか? 話せる範囲は話します。関係者が多いので、守秘義務が」
「どうしても聞かなければならない、そこは聞かせて貰うわ。生き延びて事態を収拾するために、ね」
遠く、ロボットではないだろう人影が見えた。
「あれは、ゾンビ?」
「……たぶん」
ミノリの世界も巨大だった。しかし、「誰か」の世界も負けずに広大だった。
未踏査範囲はまだ広い。シロノも「歪み」全体は把握できないが、これまで以上に手がかかるかもしれなかった。
「驚愕」――それがこの空間固有の感情だ。その「驚愕」が自分の力に対してなのか、起きている現象そのものに対してなのか。まだ情報がない。
「狂介、鳥埜さん、そろそろ「吸収」を始めて」
「やってるよ。シロノ。吸収しないと目が回りそうだ。――吸収したらしたで気持ち悪いけどな」
「かなり、不安定な感情です。あたしには、扱いが難しい」
鳥埜が顔を顰める。
「ミノリさん、扇さん、あまり周囲を壊さないで、防御できますか」
「並のゾンビなら。僕が格闘でも対応できます」
扇が前へ出た。
「私は力の制御ができないから……」
「ミノリさんは強すぎですから」
扇が笑う。
まるで戦士のように、扇が油断なく、前を守っていた。
「殴るだけなら俺も出来るぜ。任せてくれよな」
寒さには閉口していたが、狂介は機敏にダッシュしてみせた。
緑と青の氷。氷の洞穴。不気味な静けさが気にはなった。
何が待っているのか、出た所勝負だ。
ほんの数分後、ゾンビが数体、通路にいきなり現れていた。
走り込んだ扇が、ゾンビを蹴りだけで倒した。
扇の蹴りは鋭く、力強く、狂介には凶器そのものに見えた。
錆びついた剣と鎧を拾い上げたが、背の高い扇には合わないようだった。
「それと似たようなもので良ければ」
シロノが氷の床の上を滑らせて装備を投げる。イメージから作りだしたのだ。
「多少、ゾンビの剣より性能を上げてあります――剣なんて作ることがあるとは思わなかったわ」
「もう、ここはゲームっていうかアトラクションの中だと思ったほうがいいんだよな。寒いし、ゾンビ湧くし」
「そうね。さっきからずっとそう」
どんなに現実離れしていようと、これがサイコハザードの現実だ。
普段より意識的に、「まともな」ことを考えなければ飲み込まれる。
恐怖する、それはもってのほかだ。
「そう。ここからは慎重に、わたしたちが少々ゲームに合わせないとならないようね。――勘弁して欲しいけど」
「俺はアトラクションは好きですよ。VRも、リアルのも」
「――若いわね。そのくらいで普通ね」
極限の「悲哀」が肉体そのものだったように、「驚愕」もまたどんな姿になっているかは、見て行かなければわからない。
「中心の誰か」によるけれど、とシロノは思う。これだけのリアリティを、リアルそのものを作り出している以上、かなりの能力者であることは間違いない。
凍てつくような突風が吹きつける。風速は10m以上は常にある。そう感じる。
時に吹き飛ばされそうなほどに。
通路は人を――あるいはあらゆる生物を拒絶するように、強い冷気に包まれていた。
狂介は、極地の映像は見たことがある。こんな感じだろうか。
オーロラ。青く凍り付いた洞穴。幾つかの記憶が浮かぶ。
綺麗だったイメージとは、ここは何もかもが違う。
床も、壁も、天井も、凍り付き、「洞穴」のように凹凸がある。悪意さえ感じる。
あまり長くいられそうもない。直感的にはそう思える。
狂介が見に行ったアトラクションは、「怪物の洞穴」で、もう少しほのぼのした作りだった。何なら、中で暮らせそうなほどに。怪物こそ凶悪だったが――細かいことは思い出さないことにした。ここはサイコハザードだ。
――ふと、怪物らしいものを闇の中に感じる。狂介の想像が引き金になったわけではなさそうだった。
突然、こんなものが湧く。
それがこの場所のルールのようだった。
『「怪物の洞窟」とか、アトラクションのイメージがごちゃごちゃに混じってるらしい。鳥埜。右方向。――実体がある前提でやるのか? ちょっと殴ってみる』
狂介は自分でも驚くほど回復していた。8mほどの距離でも、殴り、弾き飛ばすことは可能だった。
『リアル? なのか?』
『避けて! あの怪物、何か吐く予備動作!』
鳥埜の悲鳴。
咄嗟に狂介は横へ、物理的に飛ぶ。氷の床に転がる。
凍り付いた空間に、炎が散った。怪物のものだった。
『熱を感知した。――少なくともここじゃリアルだ』
すぐに狂介は立ち上がっていた。この程度はガーディアンの体術の訓練のうちだ。
『焼いてみる。狂介、イメージ送って』
いつも通り、灼熱の白い火球のイメージを鳥埜に狂介は送る。
一瞬後、怪物は燃え上がっていた。
数発、余計だろうとは思ったが殴った。能力そのもので、手のように往復で殴るイメージ。
『倒せた? か』
氷の上に倒れ伏した怪物を遠巻きに、進む。
『今のは僕の体術だけでは、倒せないですね』
扇が少し途方に暮れたように言う。
『何が来るかはわからないですね。前衛は一緒にお願いします。狂介さん』
『アトラクションに似てるからといって、そのものだとは思わないで。ここはサイコハザード。「悲哀」が血肉に変わったように、「驚愕」そのものを表す何かが現れると思って』
『まだ二体片付けただけだしな』
狂介は気楽そうに言ったが、警戒は緩めていない。
『敵意はないことを祈りたいけれど、「驚愕」の中心に一人しかいないのか、誰か巻き込まれているのか、でも違う。ミノリさんは敵意がなかったからあれで済んだけれど、複数人が巻き込まれて居れば、何が実体化するか、Uの能力がどう使われるか――ミノリさん、やはり少し、「事件」の話は続けていいかしら。当時現場にあった、居たものは、動くはずがなくても存在し、動き続ける場合がある。何があったのか整理させて』
『ね……ねえ、狂介? あれ……』
鳥埜が指差す。
通路が盛り上がり、巨大な空間が出来ていた。そこに――ブーツを履いた足が見えた。
『巨人?』
狂介が前に出る。
『ミノリさんにも聞こう。立ち上がったら50mくらいありそうだな』
曲線から女性らしいということは分かった。
VRのスーツを着ている。
『ミノリさん、誰だか分かりますか?』
『羽風……さん?』
ミノリが言葉を失っていた。
凍り付きそうに寒いが、生きているように、眠っているように見えた。
呼吸しているように見える。
『風音さん? の仲間?』
狂介にはまだ、関係者の名前も把握できていない。
『……そうも言えるわね。基本的にはそう。彼女もこの空間に参加している? 関係者が、ここに閉鎖されている?』
『関係者って、あの、ミノリさんが調べてたっていう「事件」ですか? どこまで聞いていいかわからないけど』
『もう少し見ないと何とも言えない。風音さんが中心ならば――どんな場所になってるんだろう……』
もしかすると、風音さんは自分で事件の全容を見ようとしている。
あるいは、事件を再現しようとしている。
ミノリは「羽風」の周りを歩きながら、思考を整理していた。
もし、風音が中心であるのならば、自分――ミノリと似たのはUという能力者の側面だけではないかもしれない。
捜査官というミノリの行動も――風音さんに受け継がれているかもしれない。
ならばどう動く。
これはもう一人の自分でもある、風音が行っていることかもしれないのだ。
ミノリは扇の元へ走った。
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