第13話
その時だった。
「羽風」が低い唸り声を上げる。
周囲に黒い影が現れる。
手に持っていたライトで周囲を照らす。ゾンビだった。形のおかしなものもいる。
大きさもそれぞれが違った。
『「羽風」のイメージ? なの?』
『壁際まで下がって下さい』
扇が回し蹴りで二体を吹き飛ばす。
『大型のもいますね』
『「羽風」さんごと吹き飛ばすわけにはいかないし……』
ミノリの右手に白い光が集まっていた。抑え込んで、光を散らす。ここでは使えない。危険すぎる。
『ひとまず任せて下さい。どうしようもないのは、狂介くんたちに任せましょう』
数歩、ミノリは下がった。
壁ぎわで、「風音」を思った。
もし、苦しんでいるのが、「驚愕」しているのが「風音」ならば。仕組みを解き明かす必要があれば必ず解明し、一刻も早く苦しみから解放する。
風音を苦しみから解放する。
漂って来る、押し寄せる「驚愕」の感覚に、そう思った。願った。
何度でも助けるから。風音。
「待っててね。風音……」
声にしてしまっていた。
「急ぎで片付けますから、ちょっと待って下さいミノリさん」
一体の胴に剣を叩き込みながら、扇が言う。
「僕も風音さんは心配です」
翻した剣でもう一体を倒す。
「……うん」
――中心にいるのは風音なのだろうか。
まだ、凍えながら戦っているのだろうか。
わずかばかり冷却スーツを試しただけで、凍死しそうだった。
限りない寒さの中から、助け出す。
ミノリは拳を握りしめていた。
感情に浸食されてはならないとわかってはいたが、涙が浮かぶ。
もしかすると、あなた――風音は変わってしまっているかもしれないけれど、私たちは同じものだから。ひょっとすると、家族、双子より深く。
私たちは、同一。あなたはひとりじゃない。私が助けに行く。
「う……動くぞ。こいつ、いや、「羽風」が動く! ミノリさん、下がって!」
扇がミノリの防御に、バックステップする。
上層階のフロアをみしみしと破りながら、羽風が上半身を起こし始めていた。
「確か、ゾンビ側のナビゲーターだったわよね?」
シロノが叫んでいた。
「そうです! でも、こんな……」
ミノリは巨躯を見上げていた。
ばらばらと産み出されるゾンビを片手で鷲掴みにすると、「羽風」は口へ運んだ。
「食べる……?」
力の抜けたミノリを、扇が支える。シロノたちと合流した。
「ルールが多少変わったようね」
冷汗をかいてはいたが、不敵な笑みを浮かべたシロノが言う。
「ポイントを稼いでいるのかしら? それとも、何か力でも補充しているのかしら」
「この空間の中では「誰もが一人とは限らない」。これが羽風さんの本体なのか、力そのもののイメージなのかは、調べないと。――離れましょう」
シロノが殿を務め、全員で廊下を抜けていく。
数体残るゾンビは狂介が、扇が弾き飛ばし、倒した。
「ルールもどうなっているのか、想像もつかないわ」
踵を返すと、シロノも一行に続いた。
『あれが「羽風」さんだとすれば――楽しんではいないように見える。たぶん彼女も苦しんでいる――誰を助けなければならないか、ミノリさん、相談ね』
「――暗いわね。視界の遮断?」
シロノが不審そうに言う。巨大な「羽風」からは離れ、少し広くなった場所にいた。
手に持ったライトからの光が、弱くなったように見える。
いつの間にか壁に増えていた松明の光も弱く、微かに青く、緑に、壁の氷が薄く光る。
ほぼ、暗闇と言って良かった。
「アトラクションのイメージを再現しているのかしら。氷の「迷宮」だったわね。文字通り、迷わせるつもり? 方角の情報も……当てにならないわ」
時計を見たシロノが、呆れたように言う。方角も表示されるはずの時計だが、針が揺れ動き、あるいは表示が消えてしまう。巨大な羽風といい、煙でも充満しているような光の減衰といい、方角の消失といい――物理への干渉が激しくなっていた。
いや、これが「この場所」の理そのものなのだ。
必要なのは受け入れることであり、常識に囚われて恐慌に駆られることではない。
――早く、風音を助けなければ。ミノリはその言葉を口にしない。
いっそ、独りででも助けに行きたいが、サイコハザードでの訓練を積んでいない自分には、それは自殺行為だ。さっきも、恐怖から怪物を発生させてしまった。自分一人なら恐れから怪物に囲まれるだろう。幾ら吹き飛ばそうと――いいところ、このビルを穴だらけにするだけ、迷惑でしかない。――助けられなければ意味がない。
ミノリ自身のサイコハザードでは、肉塊が視界を殆ど奪っていたと聞いた。
肉が盛り上がり変形し、牙を、棘を作り出して襲う。
そんな場所だったらしい。
サイコハザードは、自分自身を防衛するのだろうか。
「いよいよ勘で進むしかないわね。皆さん、ここで、はぐれる訳にもいかない……ロープで繋いでいくのはどうかしら?」
シロノが提案する。
自由に動けなくなる。移動速度は落ちる。それでも他に策はないように思えた。
「いいと思うぜ。勘で進んでいいなら、先頭行くぜ。「驚愕」の濃い方向。それだけは間違いないんだろ?」
狂介は乗り気だった。
能力の復活とともに自信も戻って来たらしい。
「一緒に先頭の積りで頼むぜ」
狂介も目を見張る体術の持ち主、扇が先頭から二番目に選ばれる。そして鳥埜、ミノリ、シロノの順でロープが腰の留め具に通された。結びつけるのではなく、留め具の輪で、多少は前後に動ける。
「警戒は頼むわ。わたしはミノリさんと話してるから」
シロノが落ち着いた声で言った。
冷気、暗闇、分岐した氷の道。一行の進行は遅くなっていた。
僅かな気配だけで、殆どゼロ距離で襲い掛かって来るゾンビ――あるいはゾンビのようなもの――も倒して行かなければならない。
大抵は、見えない程の速度で扇が対応していた。
現れたと思った瞬間には蹴りが、拳が炸裂している。
「能力のサポートなしで、力だけでそれなのか?」
感動したように狂介が言う。
扇が控えめに言う。
「僕は対人戦闘訓練を随分受けましたからね。その代わり大型は頼みますよ? 僕の範疇じゃない。押しとどめるくらいは出来ても、止めは刺せないですよ」
「それはまあ、任せてくれていい。鳥埜が反応してくれればな」
「常にスタンバイしてるから。早く出てこないかな、って感じよ」
余裕を見せつけるように、鳥埜が炎の弾を両手でジャグリングして見せた。左右に炎が飛び交う。
「あ、そうだ。炎」
と、ミノリの声が上がる。
「こういう所での決め手、再現できるかもしれません」
ミノリの両手に光が現れていた。
弓の形に、光が変形する。
「風音さんの、炎の矢。ここは暗いけれど、光を強めに調整すれば――」
ミノリが壁を狙い、炎の矢を放つ。
風を切って、矢が氷の壁に刺さる。
減殺されてはいるが、能力で強化したのだろう、かなり強力な光が炎を彩っていた。闇で減殺されていなければ、眩し過ぎるほどだろう。
「器用なのね。ミノリさん」
シロノも驚いているようだった。
「強烈な印象がありましたから。イメージを再現できます」
そう。自分がナビゲーターになったつもりで。風音さんに負けないように。
ミノリは壁に向けて速射すると、矢で十字を描いた。
「もしかしたら空間が変形する可能性はあるけど、有効だと思うわ。ありがとう。ミノリさん」
光はシロノまで届いていた。長い影が暗闇に溶け込む。
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