第14話

 迷宮には仕掛けがあった。突然閉じる扉に、何度もロープを取られそうになる。

 都度、鳥埜が熱で溶かしていた。

「これだけなら、面倒なだけだけど……」

 鳥埜の声に不安が混じる。狂介はすぐに声をかける。

「気にし過ぎると余計なものまで、こっちの意識から出るぞ。鳥埜」

 鳥埜も狂介もサイコハザードが何か、はわかっている。

 理解はしていても、長時間暗闇に閉じ込められていれば、不安が呼び起こされる。

「……ごめん。何か他のこと考える。――気分変えなきゃ」

 恐怖にかられればそれも実体化する。慣れていなければ恐怖心が呼び出した何かに襲われ続け、自滅する。

 ミノリと扇にも、それはシロノから説明してあった。

 サイコハザードの処理など初めてだという二人には、必要な説明だった。


「広い部屋……」

 ミノリが脚を止めた。会議室にも展示場にも使えそうな、ホールだった。

「こういう所は巨大な、なんか変なのが出そう……いけないっ」

「だからそういうこと、考えないって約束でしょうって!」

 狂介が素早く前に出る。鳥埜が続いた。

 のっそりと黒い――元より視野は殆どない――影が立ち上がる。暗いばかりで、ディティールは見えない。

「私、わりと怖がりで……」

「扇さん、そこ何とかしてくださいっ」

「……うーん。事件の話でもしていればいいんじゃないですか? ミノリさん。シロノさんに。元々怖がりなのまでは何とも……困りましたね」

 閃光が影の背で輝いた。鳥埜の炎の攻撃だった。巨体は苦しんでいるのか、呻くような重低音が響く。

「鳥埜、あと二発くらい行くぞ」

 影の顔、胸を焼いたところで、巨躯が崩れ落ちる。

「……どうしよう。私」

 ミノリの呼吸が荒くなっていた。また恐怖に襲われたようだった。


「緊急事態よ。はいミノリさん、こっち向いて」

 ミノリの両肩をシロノの両手が抱えるように、持った。

 背丈の差はかなりある。そのまま、ぐるりとミノリを回して、シロノはミノリと正面から見つめ合う。シロノの瞳が光を帯びていた。煌々と光る。

「――眠って」

 シロノがミノリに潜り込んだようだった。意識を眠らせた。

「また二体湧いたじゃねえか」

 狂介の背を超えるほどの、黒い影が立ち上がり始めていた。

「最速で眠らせたでしょ。――狂介。黙って倒して! 相手の動きは鈍いわ。大きいだけよ」

 ミノリを抱き抱えて、シロノが言う。

 飛び出した狂介は、黒い影の囮になるように攻撃範囲まで踏み込む。

 当たれば吹き飛ばされそうな、横薙ぎを伏せて躱す。

「――鳥埜、出力80%くらいで……本気で頼む」

「任せて」

 ごう、と焔が立ち上った。黒い影が二体とも、輝く炎に包まれる。悲鳴のような奇妙な声が響いた。

「鳥埜、サポートありがとう。……もう寝かしとけよ、ミノリはずっと」

「そうはいかないわよ。事件の解明も必要最小限度、必要なの。ミノリさんは風音さんとも親しいようだし、アトラクションも良く知ってる。今後の鍵を握るのよ?」


 次第に通路――もはや氷の壁だが――に、身体が押されるほどの突風が吹くようになっていた。氷に足を取られれば、倒れかねない。

 そうでなくても凍えるようだったが、幾ら温度変化に強いとはいえ、並の防護服だけでは狂介たちも寒さに耐えられなくなって来ていた。

 ミノリが壁に炎の矢を打ち込んでいるが、全体の冷気には全く影響を与えていない。

 あくまで炎の矢は迷宮の道しるべ、という意味しかなかった。

『鳥埜……みっともないけど、その……』

『言わなくても分かるわ。寒そうだもの。毛皮でいい? あんまりいいのは見たことがないから、これでも寒かったら言って』

 鳥埜は自分のイメージから毛皮を作り出す。サイズは狂介に丁度フィットする。狂介の身体のイメージは、全て鳥埜の記憶に刻みつけられている。

『け、結構違う。あったかいぞ。鳥埜』

 早速着込んだ、狂介が、まだ震えながら言う。

『なら良かったけど。あたしのも作るかな』

「いいじゃないの。わたしが皆さんの分も作るわ。凍えてちゃこの先持たない」

 毛皮を見たシロノが、全員分を作る。

「それでもこの先はきつそうね。皆、無理はしないで。サイコハザードの消去期限はまだ二日あるわ。昨日休んでないから、どこかで壁でも撃ち抜いて――ミノリさん、全力で頼める?――外壁の傍で休憩を取りましょう。サイコハザードの吸収分を、吐き出さないといけないし。わたしも早めに吐き出しておきたいの。疲れてきた――かしらね」


 強引に壁を撃ち抜いて外壁に出たのは、それから一時間ほど後だった。

 一日目の夜は休んでいない。二日目の早朝になっていた。

「仮眠は取ってもいいでしょう。学園に戻っているガーディアンを呼ぶわ。警備を頼む」

 直ぐに、自らを転送してきたガーディアンが数を増やしていく。

 怪我は。中の様子は。危なくないですか。

 質問は幾らでもあるようだったが、シロノが「――読みたければ頭を読んで。開けておくから。吐き出させて。そして寝かせて」

 と、簡単に済ませた。

 白い霧を、シロノ一行は、窓の外に向けて全力で吐き続けた。

 ――なんか寒いぞ。中は氷点下か?

 ガーディアンの一人が呟く。吐き出したサイコハザードに取り込まれはしないが、何かは伝わるようだった。

 ――ガーディアンたちが四方を固める。毛皮を敷布団代わりに、シロノ一行は眠った。

 無論、サイコハザードを吐き出してからである。


 一行が起きたのは四時間後だった。シロノが、簡単な地図を書いていた。

 サイコハザード内部は正確な地図が書けない。覚えているもの――巨大な「羽風」やミノリが右手からのビームで撃ち抜いた道、未踏査の場所をざっくり書いただけだ。

「迷わなければ、今日中にほぼ全域を探査できるわ。どれだけ邪魔が入るかにもよるけれど」

「私は、怯えないようにします」

 ミノリが反省したように言う。

「……そうね。きりがないから。怯え続けている限り幾らでも出てくるのよ? あなたたちは助けたんだから、本当はこの後参加しなくてもいいんだけど……」

「いえ、担当の事件ですし、風音さんが困っているなら、私は動きます」

 ミノリの目は、声は、真剣だった。

「助かるわ。怖かったらいつでも言ってね。気分を変えるのも大事」

 ミノリが壁を溶かして一直線に開けた穴を片目で見ると、シロノが呟く。

「わたしにもこんなことはできないし。いざとなれば強行突破で出られるのは安心なのよ」


 簡単な食事を摂ると、シロノ一行は再びミノリの開けた穴を通って内部へと戻る。

「聞いた――読んだ限りでは「羽風」さんは悪役、というかゾンビ側なのね。巨体のイメージが強いから、今のところは化け物にしか思えないけど、役柄上、そう決まっただけでしょう?」

「……そうです。少し高飛車なキャラクターで、そう選ばれたようですね」

 ミノリが頷く。

「それがスタジオから消えた。……あまり突っ込んで聞くつもりはないけど、無事だったのね」

「……はい、事件との関係性は……まあ、ここでは」

「いいわ。サイコハザードに関係無ければ。……でもよくこれだけ高エネルギーの放出を続けられたわね。ミノリさん」

 壁に開いている大穴を見ると、ついミノリを褒めたくなる。

 人間兵器だ。いや、それ以上だとシロノは思う。軍にもこんなに小型で強力な武器はない。

 慣れたらしく、綺麗に円型に穴が開いている。

 床を溶かしてもいない。

 便利だった。

 動く相手を狙うのは、苦手そうだったけれど。

 ミノリが幾らUクラスとはいえ――と大穴をシロノは覗き込むように見る。

 どこまでも続いていそうだった。これをアドリブで実現したのだから、ミノリを攻撃面で訓練すれば恐ろしいことになりそうだった。


 大穴のおかげで、再度捜索に移るまでは早かった。穴はサイコハザードの法則に従い、若干歪んでいたが、まるっきり塞がっていようが、ミノリが再び穴を一つ開ければいい。

 ただ、日光も穴の奥では減衰し闇に変わり、異様な寒さに包まれていた。

 穴で繋がっているが、外とは、やはり別の空間なのだ。

「余裕を見て一日半。36時間以内に風音さん――サイコハザードの中心人物を救出、完全にサイコハザードを吸い出すわよ。遅延が見込まれる場合は、外へ、」

 と、シロノは大穴を指差す。

「緊急で移動。日程の延長を要請するわ。見通しは立っているから、申請は通るでしょ。とにかく急ぎます。ただし、細心の注意を怠らないこと。……ミノリさん、ここの周辺に炎の矢を打ち込みまくっておいて。非常脱出するときの、目印にするわ」

 ゴブリンとコボルドも――そちらは「洞穴」シリーズの一般的な敵らしいが、蹴散らして来ていた。

 ゾンビには慣れて来ていた。「氷結の洞穴」、本来の敵だ。

 実際はプレイヤーが演じているはずだが、サイコハザードの奥では誰も参加できない以上、「中心にいる誰か」のイメージに従って、出現しているようだった。

 ゴブリンとコボルドも「誰か」の「イメージ」の産物だ。


 攻撃力自体は、ゾンビが最も弱い。本来、格闘に熟達していないプレイヤーが担当している、というのを真似ているようにも思えた。

 ただし、未踏査の区域を進むにつれ、数は増えて来ていた。

 後ろからも集団で来る。どうやら「羽風」の巨体がある辺りから、来ているらしい。

「中途半端に、ミノリさんから聞いたゲームに似てるわね。対応できてるからいいけど」

 ゾンビは炎に弱いらしいところも、アトラクションに似ていた。

「狂介! いい気になって前に出ないで。ロープが引っ張られるのよ」

 離れ離れにならないように、一行はロープをベルトの辺りに通している。

「討伐者、というのはいるのかしら」

 シロノが独り言めいた声で言う。


「あの……風音がいるのなら、そして私と同じような力を持っているのなら、作り出している可能性はあります。あの子なら、アトラクションをそれらしくしようとするはず」

 ミノリが、シロノに答える。

「わたしたちは何なの。ゲーム外の邪魔キャラクターなの?」

 見当がつかない、というようにシロノが言う。

「……風音なら、ゲームに参加させてくれるかな……」

 どこか期待したようにミノリが言う。

「参加ってあなた……」

 まさかそんな事にまで付き合うのか。シロノには考えられない。

 だが、このサイコハザードを作り出し、支配しているのは風音だと考えられる。

 アトラクションへの参加に見せかけて接触するのも、一つの案とは言えた。

「いいわ。風音さんが中心だったら、見つけ次第、できるだけ――合わせるわ。相手もミノリさんと同化しているなら、Uクラスと想定できる。強力よ。簡単には行かないわ。……ゲームに付き合わなければならないかもしれないし、捜査していた「事件」の一部を解決しないといけないかもしれないわね。とにかく、遭遇してからね」

 このサイコハザードの中心人物の、出方による。


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