第9話

「変化があるかどうか、鳥埜さんも上層階をスキャンして。どこかに凍結措置の部屋が復元されていることを期待しましょう。あるいはサイコハザードの影響が及んでいないことを。――最上層じゃない。もう少し下。――要するに、板が沢山ある部屋よ」

「うーんと。上層から七つ下……合ってますか?」

「……そうみたいね。確かに部屋はある。どうする? 行ってみる?」

 Aは小さく頷いた。

 眩い照明が、さらに強く光る。

 ゆっくりとエレベーターが動き出した。規則的な機械音が、確かに響く。

 Aの強い望みが、復元させていた。

『その部屋も幻ではないんですか? シロノ教授』

 鳥埜の不安ももっともだった。現実は壊れているかもしれない。

『……賭けてみましょう? あの部屋は、サイコハザードの本体とは、かなり距離もある。希望的に考えていいはずよ』


「ここよ?」

 シロノが言う。エレベーターが停まった。

「A級の参考人保存室。いつの日か、どうしても言いたい事がある、そう誓った人の保存室。もう一度発言できる可能性に、賭けた人の部屋」

「……生きているんですね」

「凍結処理さえ解けば。見た目はただの黒い板だけれど」

「……探して見ます」

 覚悟したように、Aが言う。

 ゆっくりと、重いドアが開く。

「ここにいる可能性は高いわ。探している人は、長官に異議を申し立てたのよね? それだけで薬漬けの監禁は、まず、ないわ。――その人が強く、食い下がったのなら、ここで再調査を待っているはず。能力が高ければ高いほど、ここにいる可能性も高い」


 かなりの広さの部屋には、威圧感があった。

 黒く、人型の浮かび上がった板が、規則正しく並んでいる。

 苦悶の表情を浮かべている者、今にも喋りかけそうな者。

 何らかの罪、あるいは越権を犯してはいるが、だからといって殺すわけにも、閉じ込めるわけにもいかない、証人たち。本来の目的、再びの調べを待つ者たち。主張には正当性もある、と認められた者たち。

『何もこんなことをしなくてもいいじゃねえか』

 部屋に気圧された、狂介が言う。墓石のようだとも思えた。

『狂介。逮捕、収監よりマシなのよ? 苦しみもないし、歳をとってしまうこともないし』

『見た感じが酷い。どっちがいいか、俺にはわからない』

「……いた、ここに、あの……」

「大玄(おおくろ)扇(おおぎ)さんね」

 シロノは板の台座の、ネームプレートを読む。

「あなたの記憶と、彼の姿形が一致するわ。猫野(ねこの)ミノリさん。悪いけど、名前も読ませて貰ったわ。処置した誰かは、記憶消去したつもりでしょうけど、完全じゃなかったわ。――他にも「扉」がある。開けておいたわよ。あなたの、大事な記憶を」


「か、解凍措置を……お願いします」

 Aと呼ばれていた女、猫野ミノリが言う。

「待ってね。本来はここの施設でやるんだけれど、電源が来てないから。能力だけで解除してみるわね」

 これもシロノが作って、中央管理局に提供した技術だった。

 黒い板が、次第に肌色と服の色、ダークスーツに戻って行く。

「…………いいかしら」

 解凍は完了していた。何事もなかったかのように、扇が立っていた。


 解凍された扇が、驚いたように言う。

「……ミノリ? 釈放されたのか?」

 大玄扇が、ミノリを見て言う。

「違うけど、同じこと……生きてたのね。扇……私なんかのために無理して……馬鹿っ」

 ぼろぼろと泣いているミノリからは、視線を逸らして、シロノは部屋を見渡す。

 石板のような姿を見るかぎり、確かに狂介の言う通り、あまり見た目のいいものではない。

 だが、「恒久凍結措置」は、「強制的な隔離措置」の苦痛、能力へのダメージを避けるために開発したのだ。

 高いクラスの能力者は、通常は極端な昏睡措置を受けて、隔離施設に入る。

 意識は殆ど保てない。強引に眠らされているようなものだ。

 やがて肉体は衰え、精神も衰えていく。

 意志力を失えば、能力も失われる。

 ただ生かされているだけ、弱って行くだけ。そんなものをシロノとしては、許せなかった。

 そのための、恒久凍結措置だ。罪があろうと、何も半死半生にする必要はない。

「よく、こんな措置を受ける勇気がありましたね。シロノと申します。学園の長とお考え下さい」

 背を向けたまま、シロノは扇に言う。


「いずれ、ミノリさんとは会える日が来ると信じていましたから。あるいは、再調査の対象になると。その為の措置でしょう。これは」

 扇の声の調子では、肉体、精神ともにダメージはなさそうだった。快活な声だ。

 シロノは、扇に向けて振り返る。

「ご無事でなにより。……事情は後程お聞かせいただけますか? ミノリさんを主原因とするサイコハザードが発生していました。自発的なものか、強いられたものかで法的措置が――まあこちらでいいように処理しますが――違いますから」

「了解しました」

 微かに扇が口角を上げる。


「ふぅ。あと一つですね。シロノ教授」

 鳥埜が笑顔で言う。「悲哀」のサイコハザードは消えつつあった。

 特に中央管理区、現場のビルに異変は起こり続けるだろうが、サイコハザードとして周辺に悪影響を及ぼすことは、なくなっていく。

「そうね。次は「驚愕」。扇さんに言っておきますが、あと二日ほどでサイコハザードをもう一つ処理しなければなりません。さもなければドームを維持するUクラスへの動揺を抑えきれません。ドームの消失に繋がりかねません。……いえ、急がせましたね。お二人はごゆっくり。――まずは、落ち着いてください」


 Uクラス。特殊犯罪課捜査員。ミノリはかなり変わった経歴だ。Uクラスによくある特徴、「素直」なだけでは務まらない。

 Sクラス。同じく特殊犯罪課捜査員。扇も優秀な捜査員のようだった。

 シロノはこれまでの事件――経緯で知らない部分は、後で二人に聞くことにして、ミノリが拘束されていたフロアまでエレベーターで降りた。

 ここの現実が一番濃い。エレベーターは変性せず、エレベーターのままだろう。

 遠く、肉の壁が、「靄」のようなものに変わり始めていた。

 サイコハザードの崩壊が――あるいは正常化が、始まった証拠だ。靄が晴れれば、変形しているにせよ、「その時点での現実」が戻る。修理は必要だろうが、後の話だ。シロノたちとは関係ない。

 ミノリの記憶に刻みつけられていない箇所は、現実とミノリの記憶のどちらともつかない状態に変わっていくだろう。

「ドーム壁の維持力――60%というところね。ぎりぎり持つとも言えるし、大規模なハザードには耐えられないとも言える。ミノリさんは気を楽にして。扇さんと話しているのがいいと思うわ」

 シロノはどうにか、「正常に戻った空間」だけを通して外部を見ていた。

 ドーム壁の強度は見ればわかる。

「はい……あの、私ばかり、はしゃいでしまって……」

「わかるわよ。わたしでもそうするから。……同じ状況ならば」

『泣いてるシロノなんか、想像つかないけどな』

『うるさいわね。涙ぐましい状況なのよ。狂介にはまだミノリさんの中が見えないでしょうけど』


 シロノに読み取れた範囲で、「捜査官」としてのミノリの記憶を整理した。細部には立ち入っていない。

 捜査メソッドA2で現実を切り替えて、ミノリが殺人事件の捜査をした。その過程で被害者の死が確定するとわかったミノリは、メソッドA1に切り替えて現実そのものを変更し、被害者を救おうとした。

 A1は捜査で一般に許された範囲ではない。

 そのためにミノリは隔離措置を受けた。

 これに異議を申し立てた扇は、恒久凍結措置を受けた。

「A1措置……詳しくは知らないけれど、最高難度かつ、実施には許可がいると聞いているわ。必要があったのね。ミノリさん」

「だって……」

 ミノリは膝を抱えて座っていた。

「風音さん? 火守鏨音さんに関することね?」

 シロノが補足する。どうしても読めてしまった記憶だ。強烈に残っていた。

「そう、風音さんが死んでしまうとわかって……」

「現実を書き換えたのね。仮死状態でも何らかの後遺症は残るでしょうから」

 シロノはミノリの記憶の一部から、状況を想像する。機密情報はどちらにせよ読めない。相手は訓練されたUクラスだ。

「もうあの病室は見たくなかったし、助かるとも断言できなかったから、です」

 病室? 一部はわからないが、シロノは先を促す。

「……でしょうね」

「たぶん、私は風音さんと一緒に過ごした時間が長くて、同化しかかっていた、それは認めます」

 ミノリの世界に風音、が長くいたのならば存在が重なる。

 かなり高等な能力だが、シロノにはわかる。

 読んだ限りでは、まるでミノリ自身のように「風音」という人物が重なって見える。

 メソッドA1。世界が重なり、相互を書き換える。

 シロノはメソッドの詳細を、知るわけではない。

 ただ、二つのサイコハザードは無関係ではないのではないか。そうシロノには思えただけだ。

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