第10話
「――疲れたな。吐けるだけ吐いた」
狂介は通路にべったりと座っていた。
「あたしは大丈夫。何か食べる?」
「そうね。早めに他のガーディアンにも警備を頼むわ。ここに来てから、ずっと動き続けてるわね。疲労も回復しないと」
「警備?」
訝しむように扇が言う。
「推測だけど、あなたたちの身柄、これまでの経緯、他にも探られると困ることがあるようなの。――中央管理区の対人兵器が襲って来る。だから警備する。短く言うとそういうことよ」
「ミノリさん……まだ能力は完全じゃないか。僕も手伝いますよ。荒事用の能力もないわけじゃない」
扇が心配そうにミノリを見る。
「私も……練習を兼ねてやってみるわ」
ミノリの視線が鋭くなる。
「うちのガーディアンも舐めたものじゃないわよ? 公式に連絡がない以上、来てる兵器は非公式。壊しても、わたしたちの責任は追及できない。――偶然を装って邪魔はできるようだけれど」
シロノは暫く、ミノリの思考を読んでいた。
Uクラス同士、隠された部分までは読めない。
「……アトラクションをやっていた風音さんが「殺された」のね。奇跡的に復活したけれど」
「――そうなります」
シロノが壁のように張った膜の外で、対人兵器が一台、溶けて張り付く。緊急用に「攻撃性のある防壁」を作っていた。
「回復……チョコバー食べます?」
鳥埜が非常用食料を出していた。体力の急速な回復には向いている。
シロノはチョコバーを齧ると、水筒から水を飲んだ。
「そして機械式の心臓ね。生体整合性が高いものも多いから、入れ替える人もいるわね」
「そこを狙われました。原因は他にもありますけど。心臓への外部からの命令の組み合わせで……ここからは機密でお願いします」
ミノリは、膝を抱えていた。
「いいのよ? わたしは別に上の階級でもなし。普通で」
「シロノさんは恩人ですから。慣れたら、喋り方が変わると思います。で、その風音さんが真面目すぎるくらい真面目な人で――普通のアトラクションのナビゲーターとは思えない人で……」
「真面目過ぎてどうしたの?」
「極寒の洞穴? のナビゲーターをして、VRスーツには冷却装置までついてて、私は五分で凍り付きそうでした。それを……三時間も」
凍り付いて行く身体が、ミノリには自分のもののように思える。
事件が起きてから解決の間、ミノリと風音はずっと共に行動していたようなものだった。
ミノリの精神が作り出した空間の中で。
融合。
そう言えば理解して貰えるだろうか。独自空間で、ミノリは風音と重なっていったのだ。
実際、風音は殆どミノリであり、ミノリは殆ど風音だった。
ミノリの空間の中で、風音とずっと過ごしたのが効いていた。
アトラクションを思い出す。
指先は氷のようであり、狙いをつけるのも厳しかった。
それでも風音は「ナビゲーター」として、仮想のアトラクションにリアリティを与え続けていた。風音がいなければ、あんなに真に迫ったアトラクションには成らなかっただろう。
声が、動きが、全てが――敵に向ける殺意、傷への反応、見通しの悪い角を曲がる時の、隠しようもない不安――VRではなく現実だと思わせる動きだった。
何よりも、時に勇敢で、時に怯えてもいる、しっかりとした声。
「風音」というキャラクターそのものである声。
演技が過ぎるのでもなく、むろん平板でもない。
誰であれVRに引き込む、迫真の声。
ミノリも魅せられていた。もっと見ていたいと思っていた。
「奴らを倒す!」
風音がそう叫んだ時に、沸き上がる感情。
「どれだけ不利だろうと、わたしたちは負けない!」
昨日のように思い出す。
一体、いつ?
「あれ? 私、どれだけ隔離されてましたか?」
「それほど前じゃないと思うわ。なぜなら、ミノリさんには能力が残っていたでしょう? 今は急速に回復中のはず。記憶の混交らしいものもない……一週間も経ってないんじゃないかしら。ほんの数日かもしれないわ。極端な話、昨日とか」
「今日は、日付は……」
ミノリは時計を持っていない。
「五月八日。それで、わかるの?」
「事件発生日だけは覚えています。五月一日」
「じゃ捜査の日を入れて、サイコハザードの発生原因が出来たのは、つい最近ね。無理に隔離するから、こうなるのよ。ま、いいとして。サイコハザードは、ミノリさんのせいじゃないって思っておくわ。押し込めた方が、悪いのよ。まあ、誰にも言わないけど」
「それは……なんとも……」
ミノリが言い淀む。
「ちょっとは頭の中も読ませて貰ってるの。中央管理区きっての捜査員が、被害者が死ぬのを平然と見ていられるようなら、罷免要求するわよ。ミノリさんには、ミノリさんの正義があった。A1メソッドを使ったといっても、一瞬でしょ? そんなの――わたしだって似たようなことはやってるわ。詳しくは言えないけど。さもなきゃ地下実験室が、何度吹っ飛んでるかわかんないわよ」
堂々とシロノは言った。
「いやそれホントか、シロノ!」
「狂介は知らなくていいのよ」
「その、鏨音さん? 風音さん? が心配ね。ミノリさんが風音さんに成り得るのならば、風音さんもミノリさんに成り得る。意味はわかるわね? 仮説としてはこうなるわ。もう一つのサイコハザードは、風音さんが「ミノリ」並みの能力を手に入れ、引き起こしたものである」
シロノが仮説を挙げる。
狂介としては考えにくかったが、他に原因が思い当たらない。同意だ。
「ミノリさんが調べていた事件については、また、聞かないとダメね。――ところで、どう? 復活した? 狂介、鳥埜さん」
「いつも思うんだけど、俺だけなんで呼び捨てなんだ?」
「……似合うから。狂介くんなんて呼びたくないわ」
澄ました顔でシロノが言う。
「鳥埜! 酷いだろ」
「う……うん。慣れちゃったから、いいかなって」
まったくよう、と言いながら、狂介はすっかり回復したように歩き出す。
もう一つのサイコハザード、「驚愕」に向けて、だった。
床はすっかり元に戻っていた。かなり先まで肉ではなく、建造物だった。
「……あ」
ミノリが得心したように、狂介の隣へと走って行った。
「ん?」
「ねえ、小さい頃のこと、覚えてる? 狂介くん」
「俺が覚えてるのは……鳥埜に会ってから……」
「ちょっと何? ミノリさん」
片眉を上げた鳥埜が割って入ろうとする。
「私、家族の記憶も消されてるの。だけど……」
鳥埜の様子を気にすることもなく、ミノリが言った。
「俺が覚えてるのはドーム外で聞いた鳥埜のピアノの音、そっからだよ。それから鳥埜と、何て言うか、暮らして、居候させて貰ってる」
「何も覚えてない? その前は」
「何が言いたいのミノリさん。何かこの先の謎でも解けるの?」
「そうじゃなくて……私のサイコハザードが、なぜ狂介くんの能力に影響したか、なんだけど……」
「どうでもいいでしょ。治るんだから。昔、知り合いだったとしても、もう関係ないでしょ」
「鳥埜、ちょっと言葉がきついぞ。聞くだけ聞こうぜ」
「ダメ。右前方、対人兵器。――気配が少ないから面倒ね。ミノリさんは自分で守って」
攻撃モードに入った鳥埜は、もう誰の言う事も聞く様子がない。狂介の言葉くらいだった。
「だから言葉がきついって鳥埜」
「いいから迎撃」
まだ狂介には敵として強すぎる。それでも、五メートル先の対人兵器を弾き飛ばした。
「今のうちに頼む!」
鳥埜が狂介のイメージを読む。白熱する程の光だ。溶かせ。そう読んだ。
内部の電子部品を熱する。溶けて形が崩れる。
地に落ちる前に、対人兵器は白く輝いて中身を噴き出した。
「……ふう。ここまでペアで練習するのに、どれだけかかったかわかる?」
集中していた鳥埜が振り返る。若干得意げだった。
「邪魔したいわけじゃないのよ? 鳥埜さん。あ……前にも敵がいる。対物はそんなに……」
そう言いながら、ミノリが右手を前に伸ばす。
その右手に、光が、目を焼かんばかりに集まり渦を巻く。
反射的に、狂介は逃げようとしていた。強すぎる。危険すぎる。そう全身の神経が叫ぶ。
これがUクラスの本気か! やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい。
轟音が響いた。ミノリの前に有ったはずの対物兵器は、消し飛んでいた。
いや、そのはるか先まで消え去っていた。
空洞が出来ていた。
天井まで溶け、金属が滴っていた。視線の通る限り、遥か彼方まで、壁という壁は溶け崩れていた。
肺を焼きそうな、熱気が漂う。
「やっぱりやりすぎちゃった……ほら、でも狂介さんのイメージが読めるのよ。私」
「…………何が何だか…………どういうことなのか、聞いて。狂介」
鳥埜が眉根を寄せたまま言う。
「何で機嫌悪いんだよ、鳥埜」
「べっつに」
あたしにしか読めないはずの、狂介の能力イメージ。
何で。何で読めるの。会ったばかりでしょ。訓練もしてないでしょ。
「ああもうっ」
鳥埜はその場を離れようという思いと、ミノリの「狂介のイメージが読める」謎に引き裂かれたまま、その場で、だん、と足を踏んだ。
「は? ……家族? 俺に? ミノリさんが俺の家族? ……言っちゃえば姉さんなのか?」
見た感じではミノリは背が低いせいで幼くも見えなくはないが、中央管理区の捜査官に子供がいるわけがない。高校生の狂介より上のはずだった。
「私も記憶はないけれど、どこかに共通点があるような気がするの。ほら、狂介さんの能力のイメージがそのまま読めるわ。それが証拠じゃない? 共通点なしにはムリでしょう?」
「いや家族だからって読めるって…………Uクラスだからか? いきなり協調できるのか? 俺じゃなくても出来るんじゃねえの?」
「良かったですね。ミノリさん。こんな事は滅多にあることじゃないですよ」
扇は笑顔に成っていた。
「家族。……ああそう。じゃ何で放っといたのよ。狂介を一人きりにして!」
鳥埜の機嫌はかなり悪い。
「ミノリさんを責めるなよ。――どうせ、俺が勝手に家を出てったんだろ? 鳥埜。大したことじゃない。これで俺だけ能力が落ちた理由がつくなら、それでいいだろ。謎一個解決。終わり終わり。過去視はできない。証拠はない。そうかもしれないってだけだ」
「ふうん。――ミノリさんはUまで行ったのにね」
鳥埜が舌を出して見せる。何のつもりだ。
「いいだろ鳥埜。今度は俺をバカにするのか? したきゃそうしろ」
「しないわよ。潜在的にはそこまで行けるってことかもね。見直したわ。狂介ちゃん」
狂介を突き放すように、鳥埜は言った。
「全然そう思ってねえだろ。声が冷たいぞ鳥埜」
「いちいちうるさいわね! Aクラス止まりで残念だったわねぇ」
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