第2話
夢のような意識まで、シロノの制御下にあるのだろうか。
否応なしに自分の能力源にだけ、意識が集中していく。全身が僅かな熱を帯びていくように思える。
こうしていればいいのだろうか。どれだけかかるのだろうか。時間の意識は消えていく。
明滅する光のように、意識が強まっては眠りに近づく。
時間を忘れて、狂介は漂い続けていた。
――鳥埜さんも来たから。一緒に能力源泉を探して頂戴ね。訓練も。
いきなり、シロノの声が槽の中に響く。マイクとスピーカーは付いているようだった。
――は?
――二人や三人は入れるのよ。そこ。
――なんで一緒に?
狂介はほぼ全裸だ。シロノの前で脱ぐのは、医療行為のようなものだ、と言い聞かせて気にはしていなかったが、鳥埜では話が違う。
――ああ。そういうことね。暗いから見えないわよ、お互い。能力源泉を二人で共有して。
意識までシロノに読まれっぱなしのように感じる。
――深海魚みたいに、おとなしくしてて頂戴ね。
ぬるり、と瞑想槽に誰かが入りこんで来る。
確かによくは見えないが鳥埜だろう。そう狂介は思う。
『どこ? 狂介』
入って来たのが鳥埜なのは、間違いなかった。
『たぶんそこから左』
何となく右に、存在感がある。
『もう思念で会話できるんだね。よかった』
『一番基本の能力だからな。これくらい回復しないと、どこも能力者じゃない』
『……能力訓練の、プールの底を思い出すね』
深さ10mはあるプールに潜り、瞑想状態に入る。いつもの能力訓練のルーティンだった。
『あれの効率がいいバージョンだろ。これ』
『眠っても、いいのかな』
『完全には眠れないみたいだけどな。鳥埜は能力が使えるのか?』
『自分で調べたけど、たぶん何ともない。殆ど使えなくなっちゃったのは、狂介だけみたいだよ?』
『何でだろうなあ』
鳥埜の左手が触れた。
『くすぐったい?』
『いや』
『高位クラスの誰かの能力が暴走した、サイコハザードが出来た、っていうのがシロノ教授の居間の所の説。さっきから、調査と検証中だって』
『本当なら大変そうだけどな。――早く治ってくれないかな。しばらくかかるらしい』
『思念が、イメージが伝わりさえすれば、このままでもペアだから。だから組んでるんでしょ。イメージを伝えてくれれば、あたしの能力で実現するから。任せて』
鳥埜は、狂介の手を強く握る。
『今は、ね。あたしが狂介を引っ張り上げる番だから』
『……頼む。鳥埜』
どこでもない場所で、浮いているように感じる。
薬剤を使ったのか、何度か液の味が変わった。
ふと、狂介は思い出してはならない光景を思い出したように思えた。
それは、誰かの顔だった。
まさか生まれてからの記憶を全部辿るわけでもないだろうが、言わば走馬灯のように記憶が蘇っては消える。
鳥埜との記憶もそうだった。
初めての事件解決。正式にガーディアンとなってからの日々。
命を失いかけたことも何度もある。
――その度に、切り抜けてきた。鳥埜の言う通りだった。鳥埜がいなければ死んでいたかもしれない。
意識が淀み、眠りに誘われた頃に、点滅する光が強くなる。
「……おはよう、お二人さん。今日はここまで。もう外は夜よ」
シロノが蓋の隙間から言う。
眩しい槽の外の光に合わせて、点滅する光が強まったのだとわかる。
「サイコハザードからの開放は、絶対という方法がないの。少しは自分を取り戻したと思うわよ?」
狂介は、ばしゃばしゃと液体から出ると、生暖かい液体を吐いた。
「これ……まだ続けるんですか」
「状況次第、回復次第だけど、基本的にはそう。……これ持ち上げられる?」
シロノがペンをテーブルの上に置く。
集中して、二十センチほど、宙に浮いた。集中力が変わっている。そう思えた。
「治る時は一気に治るから、自分に自信を持ってね。それが最も大事」
サイコハザードの犯人を捜さないと。範囲も縮小しないと。
そう言うと、シロノは二人に背を向ける。
「あの。シロノ……教授。俺、まだ地上までテレポートできないんだけどな」
「……そうだったわね。どうせなら寮まで届けるわ。ゆっくり休んで」
「いや、鳥埜の家……」
「居候だったわね。集中するとすぐ忘れるのよ。わたし。さすがに街区は遠いから寮で許して。私も何でも許可されてるわけじゃないの。都市のどこへでも跳ばせるわけじゃないわ」
シロノがほんの一瞬、集中するように目を閉じる。
狂介と鳥埜は寮の正門まで跳んでいた。何のショックも狂いもない。正確無比。
「……相変わらずシロノ、凄えな。行こうぜ。鳥埜」
「――今日はもう営業するには……遅いかな。ぎりぎり開けてみるけど」
鳥埜の家はもんじゃ焼き屋――鉄板で焼ける物一般、なんでも出す店だった。
五分も歩くと、照明の消えた店と、外のベンチで飲んでいる常連の「おっちゃん」たちが見えた。
「待ってんのかよ。もう、あのベンチで飲んでて貰えばいいんじゃねえの?」
「五人かぁ。……二時間くらいは営業できるね。稼ぎは大事」
そう言って鳥埜は店のシャッターを開けた。おっちゃんたちから、歓声がまばらに響く。
――触るの禁止。
そう店の入り口に書かれている。
鳥埜に触ろうという客は、排除している。書いておかないと酔ったついでに、手を出すのがいる。大抵は鳥埜が本気で睨むと、二度と手を出さない。その次は、鳥埜の全力平手打ちが待っている。
店舗兼鳥埜の家、の所有権は鳥埜の親戚の誰かにあるらしい。鳥埜の両親は、まだ鳥埜が幼いときに――鳥埜曰く、どっちからともなく――不仲になり、それぞれ家を出て行った。家、店舗の所有権も含めて、ごちゃごちゃしたままだ。
ドームは、何から何まで管理された場所ではない。いい意味で――いい加減な所はある。
鳥埜の家の辺りには、謎の店が多い。
営業にしたって、よくは知らない誰かの名前を借りている。トラブルがあれば、学園が間に立ってくれる。
この店――家――が存在してくれないと、居候兼バイトの狂介も困る。
――鳥埜は客を店に入れると、鉄板に火を入れ始める。
狂介も急いで鳥埜に続いた。
鳥埜は手早くズボンを履いていた。エプロンも付けて、営業体制だ。
この上から尻を触れば、改めて壁に張ってある通り、「ひっぱたく」事に成っている。
いつもイカ焼きばかりのおっちゃんを発見すると、狂介は醤油に付けたイカを小皿で出す。
――よう、遅かったな。
既に顔の赤いおっちゃんが、笑いかける。常連中の常連だ。
「今日は色々あったんだよ。店の前の自販機で買ったの、飲んでてくれりゃそれでも儲かるぜ」
――店の方がいいよ。つい集まっちまうんだよな。遅くてもこうやって開けてくれるし。
「俺は、調子が最悪だけど――体力は大丈夫だ。頑張るから沢山頼んでくれよ?」
狂介は焼酎を一通り配って回ると、おっちゃんらの手をメニューに押し付ける。
メニュー自体が認証、会計機能を持っている。メニューの認証を通さなければ、正式な販売にならない。よくは知らないが、街のどこでも似たようなものだった。
――なんか元気ねえな。キョーちゃんよ。
三度目のイカ盛りをテーブルに置くと、おっちゃんが言う。
「――だから、説明難しいけど、俺は調子悪いんだよ。明日も治療で半日? かかるかな」
――病気かよ。あ、キョーちゃんだから怪我か。危ない任務でもやったか?
能力がどうの、と店で宣伝する気はない。常連は鳥埜と狂介が「能力者」だ、と知ってはいるが。
「軽い……怪我みたいなもんだ。――大丈夫。気にしないでくれよ。どこも痛くないし、この通り動けてる」
「焼きそば手伝ってくれる?」
鳥埜にそう言われて、狂介はおっちゃんのいた、囲炉裏端を離れる。
野菜だの肉だのを刻むのは、得意になっていた。この店も長い。
狂介がドーム外で鳥埜に会ってから、ずっとこの家に居候している。簡単な手伝いしか出来なかったころを含めれば、十年を超える。
せめて、仕事はしなければならない。
学費はタダどころか、能力とガーディアン任務を買われて学園から金を貰っている側だが――このまま狂介の能力が戻らなければ、どうなるかはわからなかった。
「ガーディアン、どうするかな。鳥埜に頼ればできなくもないけどな」
焼きソバを焼く音で、会話は聞こえないだろう。
声も潜めている。
「今は治すのに専念してね。サイコハザードが原因なら――どこかの能力者が暴走したのなら、仕方ないから。いいじゃない。休暇取ってないし」
鳥埜も小声で言う。
「俺が……やられるくらいだから……相当だぞ」
普通は学園で、大騒ぎになっているはずだ。
「ひょっとしたら、中央管理区のS、Uクラスが暴走したんじゃない? それなら、被害は一人じゃ済まないわよ。学内では噂になってなかったけど……。でも、中央管理区ならまだニュースに成ってないのも、おかしいよね」
――なんか大変な話か?
おっちゃんの大声が響いた。聞こえてしまっていた。
「――なんでもないの。明後日くらいまでにはどうせわかるし。おっちゃんには関係ないから……たぶん、ね」
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