第26話

 ドームのゲートへ跳び、そこからシロノに連絡した。

「シロノ。どこへ行けばいい」

「ドーム南西の端。急いで」

 シロノに何か言おうと思ったが、狂介は現場を見てから、と無言で跳んだ。


 最速で南西まで「跳んだ」。

「人型? しかもこのスケールで?」

 どうやって動いているのかがわからなかった。

 遠く、確かに歩いているものは金属色に光る人型だった。高さは50mはあるだろうか。

「無理を言ってごめんなさいね。狂介」

 シロノが陣頭指揮を執っていた。それだけ脅威だということだ。

 敵は巨体だけではない。見慣れない半透明の球体が、壁にみっしりと取り付いていた。

 ――壁が無化されている。

 人型は壁などないように、ドームに足を踏み入れた。

「どうやって……」

「それは後で調べるわ。確実にね。それより、対処よ」

「内部の壁は張れないのか? シロノ」

「残念だけど、無効化されるわ。――どうする?」

 俄かに策などあるわけがなかった。


「鳥埜……どこかに脳がある。あれだけ巨大なんだ。一つや二つじゃない」

 無言で頷くと、鳥埜が人型に目を凝らす。

 くまなく、全身を探していた。

 ひとつ、ふたつ……。鳥埜が呟く。

「かなり多いわよ。狂介」

「……時間稼ぎでもいい。ミノリを呼んでいいか。シロノ」

 シロノが困ったように眉を寄せる。

「目立つわね。感心はできないけれど、この際、手は尽くすしかないわ。許可する」


 呼ばれたミノリと風音は、重苦しい緊張感は予想していないようだった。

 雰囲気を察して、硬い表情になる。

「見れば分かると思う。あの人型を食い止める。何を使ってもいい。むしろ予想もしていないことをして欲しい。それと、半透明の球体は矢で破壊できるか?」

 厳しい顔で狂介が言う。

「やるしかないようね」

 ミノリの目が鋭く光る。

 音速を超える炎の矢は、壁に取り付いている半透明の球体を破砕した。

「球体はきりがないけれど、やる? それとも人型に攻撃を集中する?」

「幾らかでも進行を遅らせられるなら。球体を――頼む」

 百はあるが、ミノリと風音の速射ならば消せる。

 仮に人型が――巨躯が加速するようならばミノリの目標を変える。

 人型本体に、目立とうがビーム照射を頼む。

 巨体は、ゆっくりと歩いているように見えた。だが、一歩の幅が広い。


「見えにくいけど、脳は五十前後。焼けるわ。狂介」

 どこから狙うか――足元か。

 あんな巨大なものは、能力だけで動かすしかないだろう。そう狂介は読む。

 ――恐らく間違いない。自律して金属だけで動くような仕掛けは、見た限りではどこにもない。動力らしいものも、見つからない。鳥埜が細部まで見通している。

「体中の脳を焼く。シロノ教授も、手伝って下さい」

「当然ね。手伝わせて貰うわ」


 足元から。鳥埜が集中していた。凝視と、僅かな瞬き。

「……! 脳が再生された?」

「再生した脳なんかに何の能力もないはずだろ? 本体はあの人型だけじゃないのか?」

 始めて、こんな異常なものを見た。

 これまで見た化け物とはスケールが、原理が違う。

「シロノ教授。周辺をスキャンしてください。透明化している何かが、脳を送り込んでいる可能性もある」

「再生ではなく、脳が自分を複写していたら? それなら能力は維持されるわ」

 シロノは眉を顰める。

「……そんなことが……」

「研究室レベルではできるわ。「複数化」で身体ごと複製できるでしょ? ――そこまで能力があるとは思えないけれど、復活している以上、考えないと」


 3kmあるはずの猶予区間が、短く感じる。

 思ったよりずっと早く、人型が移動しているように見える。

 何でだ。狂介は思考を纏められない。

 何でこのドームに、こんな攻撃を仕掛けなけりゃならないんだ。

 狂介に帰る場所は、言った通り、このドームの他にはない。

 ゆらり、と人型が一歩踏み出す度に、じりじりと焼けるような危機感を感じた。

「馬鹿に……しやがって」

「外の連中」への怒りが抑えきれない。

 あの簡単な作りの「蟲」はただの時間稼ぎか、冗談か。

 こんな――と迫って来る人型を見上げる。

 手の込んだものも、出来るんじゃないか。

 このまま踏み込まれれば市街地は、一部なりとも壊滅するだろう。

 被害が数百人というのも、そうだろう。

 こんなものが作れるのに、あの単純な「蟲」は何だ。

 変な球体もそうだ。初めから中和出来ただろう壁を、いまごろ壊しやがって。


「これを量産されたら――」

 シロノの声にも切迫感があった。

「何だろうとぶっ壊します。俺たちで。何度でも」

 方策など何も思いつかなかった。ドームを守る。その一点しか考えられなかった。

「泡みたいなの。半分は壊したわ。Uクラスなら新型の壁を張れるはず。残りも壊す」

 ミノリの声が力強く思えた。まだ、何も手がないわけではない。

「出し惜しみなんかしていられないわね。研究室のUクラスを目覚めさせるわ」

 僅かに人型の動きが鈍った。新型の壁が張り巡らされたようだった。

 まだ、中央管理区のUクラスもいる。協力してくれている。

「脳を焼いてる。再生より早くできるかどうかやってみてる」

 鳥埜が、呟くように言った。

 一つだけ、狂介に思い浮かんだことがあった。

 殺意に燃え上っているだろう脳に効くかどうかは、やってみなければわからない。

 いや、もう一つある。最後の手段の前に、一つある。

「鳥埜――やつらに潜って来る」

「普通じゃない、よ? ブースターや戦意高揚剤使ってるから……あたし、潜ったけど入り口で焼けそうになったじゃない」

「それでも海はあるんだろ? 精神に。それを潰して、からからに乾かして来る」

「狂介、ダメ。それは無理」

「……一つだけでも見て来る」


 憎しみ。怒り。それだけならば負けない。

 どれだけ殺意を抱いていようと、恐ろしくはない。

 ――最後の手段の準備でもある。

 狂介は人型の脳の一つに、意識を集中する。頑丈な蓋をこじ開ける。

 四層の意識の、表層から作りが違った。中は――煮え滾る海だった。

 炎が海に満ちているように見えた。

 飛び込めば、焼け死ぬ。

 こんな怒りの中で、どうやって能力を使う?

 考えろ。これでも中に意識は存在する。

 炎が当たり前だと考えろ。通常の海のイメージを捨てろ。

 自分も同じ温度になるんだ。怒れ。こんな理不尽なもの自体に怒れ。放っておけば失われる何百人の命に代えて怒れ。怒り以外を感じるな。

 いっそ、狂ってしまえ。熱さなど感じないように。


 狂介には赤いだけの海に――見えた。

 そんなに怒りたいのならば他の感情を全て、他の考えを全て、消してやる。

 俺は今、火だ。信じろ。

 恐怖はない。

 狂介は精神に飛び込んで、ただの湯だと感じた。

 火。

 それだけにしてやる。

 狂介を中心に、沸騰した海が蒸発していく。

 もう、お前は何も考えられない。能力もない。

 一瞬で焼け爛れた狂介が、鳥埜の隣で崩れ落ちる。


「狂介! 何てことを――待って、治療するからね」

 鳥埜が叫ぶ。

 崩れた皮膚が、変色した皮膚が、肌色に戻って行く。

「……焼いてやった。一個でこれか……」

「まだ喋らないで。元に戻るまで二分、待って」

「五十個焼くのは無理だな……畜生」

「いいから黙って」

「手伝うわ。鳥埜さん。狂介の健康体のイメージなら、わたしにもあるから」

 シロノが目を閉じる。

 治療は目に見えて加速した。


「あなたたちばかりに難題を押し付けたわね。新型の壁が張れたから、市街地までかなり時間は稼げるわ。――考えさせて」

 シロノが目を閉じる。

「何度でも倒せる方法――たかが50mの鉄塊。ミノリさん、協力して。関節を溶接する」

「――決定打には……」

「時間を稼ぐのよ。二千度もあればいいかしら」

「Uクラスを何人か動員お願いします」

「もちろん」


「――待ってくれ。今度こそ倒せる。あれが能力者ならば、効く」

「狂介? 休んでて頂戴」

「後で俺を拾いに来てくださいね。俺があの人型の下まで行ったら、全員で俺に「恐怖」を」

「あなたを中心にサイコハザードを?」

 シロノが声を荒げる。

「クラスAなんで大したことないでしょうけどね。あの大きさなら俺のサイコハザードでも呑み込める」

 自分だけが恐怖を味わえばいい。そして、それは人型、全体に伝搬する。どれだけ怒りに駆られていようと、むしろそうだからこそ、あの「能力者たち」はサイコハザードから二度と出られなくなる。

「自己犠牲が過ぎるわよ。狂介」

 半ば苛立ったようにシロノが言った。

「――このドームを守ろうって思ってるだけですよ。またサイコハザード救出させて申し訳ないですけど、俺が即死するわけじゃない。あの規模なら何度でもこの手が使える。何なら壁の外にサイコハザードを放置しておけばいい。――ま、それはいつの日か」

「あなた、勝手にそんな――」

「「恐怖」お願いしますよ。俺は自力じゃサイコハザード作れないんで。何ならこのへん、しばらく隔離して下さい」


 どうせ――拾われた命だった。鳥埜が何か叫んでいるけれど、気にしている場合ではない。現実が裏返って恐怖だけになる。それを味わうといい。鉄の巨人。

 恐怖を与えたいんだろう?

 それならそれ以上の恐怖を、たっぷりと与えてやる。

 こんなことになら、何度でも耐えられる。

 精々化け物だらけのサイコハザードにしてくれ。人型。

「ちゃんと「恐怖」お願いします!」

 そう言って狂介は手を振った。

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