第5話
眠らなければ。備えなければ。シロノは放っておけば奔流のように拡散し検討しつづける自分の考えを、意識を抑え込む。
「覚悟が必要よ。狂介、鳥埜、そして……わたし」
束の間、微睡むようにシロノは目を閉じた。
集中し、かつ発想を自由にすること。
時にはサイコハザードの感情に同化して見せ、時には感情を食い破る非情さを見せること。
サイコハザードは一つ一つ違う。破り方も異なる。感情の引き金が何だったのかを突き止め、それを消すのが最も効果的だ。
「悲哀」。その原因となりうる出来事は、中央管理区であれば幾らでもあるだろう。
「驚愕」。……「悲哀」に巻き込まれた誰かのもの?
一歩ずつ、吸収を繰り返し、流れを制御しながら中央部、原因となる者に近づくしかない。
長椅子に伸びたまま、ほんのわずか、シロノは眠ったようだった。一時間ほど。
ほぼ徹夜で作業をしている。まだ耐えられるが――と狂介と鳥埜の入っている瞑想槽を見る。今日の治療は、あと数時間はかかる。
自らの能力を最強に持って行かなければ、中央管理区突入後にサイコハザードで生き延びることは難しい。
――サイコハザード、強度は増していない模様
――再度突入、弱体化を図る
――中央管理区側は、学園からの干渉を歓迎している模様
指令室とでもいうべき地下の集合所の、ホワイトボードを透視で眺めた。
少なくとも、悪い方向へは向かっていないわね。
シロノはそう読むと、再び目を閉じた。次こそ突入する。もう少しだけ仮眠を。
狂介と、鳥埜と共に。
「……シロノくん」
中央管理区予備棟とのホットラインが、勝手に接続されていた。
間近にあるスクリーンに顔は出ていない。声だけが届く。
もう少し寝ておく予定だった。
「……起きました。何でしょうか」
「ドーム外壁の維持が困難なのは、想像がつくね?」
「ええ」
「あと二日で状況が改善しなければ、地下への撤退準備に入る。予備の人員が不足してきている。二日後には、公式発表にも踏み切る予定だ。突然の避難で住民には迷惑をかけるが、避難には支障のないよう、外壁を最後まで維持する」
「二日でなく、三日、持たせられませんか。学園で大至急、対処を開始します。影響を速やかに排除する予定です」
「……勝算でも?」
当然、相手は成果を期待する。わかっている。しかし、地下へ潜るのは最後の手段だ。シロノには、このドームを放棄する、という選択はなかった。
「ガーディアンは、サイコハザード除去の専門部隊でもあります。そちらでも、できるだけ協力頂ければ。操作可能な場所の、対人自動排除機能は切って下さい」
72時間。その間の行動計画はほぼシロノには検討できている。だがこれは「相手の有る」話だ。最初の24時間で最大限の効果を上げ、間に合うと信じさせる。
それでこそ、その先がある。
あと二日、と相手は言っているが、既に避難を前提として話しているようにしか思えない。それでは収束するものも、収束しない。
シロノは、具体的な「中央管理区」の管理の話に切り替える。対人自動排除機能だ。
最大の問題とも言える。対人自動排除機能を切ってくれ、と迫る。
「そうしているが、完全ではない。既にあのビルは放棄したようなものだ。対人自動排除機能の一部は、操作不能に陥っている。――そちらで壊して貰えるかな」
具体的な行動計画に移れば、話は進められる。
「破壊許可、了解です。三日、はわたしの勘です。どうにか持たせて下さい。事実上のドーム放棄には、早すぎます」
「――限界ぎりぎり一杯だ。検討して見る。シロノ君の見立てだ。通るだろう」
「よろしくお願い致します」
――間に合わせる。シロノは決めていた。
「若干早いけれど行くわ。起きて」
シロノは、狂介と鳥埜を起こす。
「突入用のスーツはそこに置いてあるから。防弾機能も最大。中央管理区側も、ある程度は、対人排除機能を殺しておいてくれるようよ」
「……こんな状態で、行けるかな。いや、俺の能力が情けないだろ?」
狂介が濡れた髪を振る。
「鳥埜さんの能力が使えるだけでも充分。サポートに徹して。いつものスタイルとは違うでしょうけれど」
「狂介は結構、治ってるはずです。シロノ教授。――ああ髪がうっとうしい」
鳥埜がヘルメットを被る。
液体が床に散った。
「透水性はあるから、水分が籠ってもすぐに乾くわ。――銃を装備して。大体は、監視カメラの破壊に使うことになるはず」
中央管理区も、防衛機構の全ては明らかにしてくれていない。
勝手に壊す分には構わないだろうが、配置、能力は機密事項だろう。これも仕方がない。
「射撃だけなら、能力弱ってても何とかなるかな」
「……頼もしいじゃない。狂介。突入にはシルフィードを使うわよ。乗った事あった?」
「――撃墜されませんか。あれ、純粋な兵器じゃないですか」
そんなものが学園にあるのか、という顔で狂介が驚いていた。
「許可は取ってあるわ。一階から他のガーディアンが突入してる。下から突破じゃ時間がかかりすぎるでしょ。わたしたちは、直接サイコハザードの中心に突入するわ」
攻撃機然とした――それでも優美な曲線を誇る――シルフィードの格納庫へと三人は降りる。これもプロトタイプはシロノが作った。学園で保有できている理由は、狂介は知らない。
「これが出動するってことは……」
「本当の緊急事態ってことよ。狂介」
シロノが操縦席に収まる。
操縦は音声指示でもできる。基本的に、指示した後は自動だ。ホバリングも可能。
「中央管理区のビル、外壁はぶち抜いて行くから。ワイヤーアンカーを打ち込んで突入。いいわね」
「何でもありなんすね。了解」
シロノの気合が違う。狂介は思う。
「敵は中央管理区の自動防衛機構。壊していいって許可はあるわ。誰も今はあのビルを制御できないのよ――早く乗って」
機体下面が開いている。そこから狂介たちは機内へと駆け上がった。
「中央管理区のビルと戦う、とか考えたこともない」
狂介が呆れたように言う。
急上昇したシルフィードから、眼下に巨大な中央管理区の塔が見える。ここまで、ほんの十分もかかっていない。
「どのくらい攻撃せずに、いてくれるかしらね」
「ちょ、早速、迎撃だっ」
ビル外壁に備え付けられた、対空装備がシルフィードを撃つ。
機体は瞬時に自動回避していた。能力を持った兵器、シルフィードは銃弾を空中で止めもする。
「まだ制御できてないのが結構残ってるのね。いいわ。反撃しなさい」
シロノがそう命じると、操縦桿は勝手に下を向く。急降下に移る。
「無理無理無理こんなの乗ってられねえ」
「落ちたりしないわ。狂介」
「あ、あれに似てない? アトラクションのヘルダウンライド」
「こっちの方が千倍怖いって鳥埜」
実弾の撃ち合いが続く。能力を持つ兵器、シルフィードまで到達する前に迎撃の銃弾は止まり、逸れ、当たることはない。
狂介は悲鳴を抑えていた。鳥埜の目には涙が滲んでいる。遠目にも、シルフィードは風に舞う木の葉のように見えるだろう。突然真後ろに移動したりもするのだ。
能力も駆使して、飛んでいる。これは飛行機なんかじゃない。窓の外を見ると吐きそうなので、狂介は目を閉じる。
「優雅なものでしょう? 二人とも」
シロノは嬉しそうだった。自分で開発した最新鋭の機体だ。
「これが…………か?」
急旋回、急上昇。下降。「優しく」動いているモードらしいけれども、狂介には撹拌機に放り込まれたようにしか思えない。ミキサーで粉々になる寸前だ。
「はい、ここでシルフィードは静止。対空迎撃は無力化したわ。後は外壁をぶち破るだけ」
シロノは慣れた手つきで、攻撃管制システムを使う。
短時間の射撃で、ビルの外壁に穴が開く。
「じゃ、シルフィードはホバリングで待たせておきましょう。行くわよ。狂介、鳥埜」
コクピットを開くと、落ちれば死ぬという高さを気にする様子もなく、シロノはビル内壁にワイヤーアンカーを打ち込む。
「ほら、何やってるの狂介。ついて来て」
「俺は落ちたら死ぬって。まだそこまで治ってない」
「鳥埜さんが拾ってくれるわよ。頑張って」
狂介も運動能力まで落ちているわけではない。眩暈をこらえると、ビル内壁にアンカーを打ち込む。鳥埜が続いた。
そのまま三人が、ビル内部へと滑り込む。
「……そこそこサイコハザードが濃いな」
狂介が顔をしかめる。
濃密な臭気のように、感情が押し寄せる。狂介は半ば無意識に、精神に壁を張り、さらに吸収する口を開ける。精神の奥に、押し寄せる感情を押し込めるためだ。
「まずはエネルギーを吸収して、精神の底に放り込んで」
「もう始めてる。訓練通りだろ? 鳥埜も、任せた。あとシロノ教授、お願いします」
「わたしもやってるわよ? ……このまま、中心部まで行けるかしら」
シロノが思案する。狂介には「感情」の濃度が濃すぎるように思えた。
「そんなに、吸い込み切れないんじゃないかな」
「少しずつ行けば、無理じゃないわ。いざとなれば、引き返してビル外へ「悲哀」、「驚愕」を吐き出すわよ。一刻を争うの。成果を上げて見せないと、全員に地下退避命令が出るわ」
「悲哀」、「驚愕」。ここではまだ混ざり合っていた。
それぞれが別の誰かのものらしいことは、鳥埜にもわかる。
「早く吸収して、助けてあげたいんだけど、濃度がね……」
「おい、警戒のロボット来たぞ」
視界に、光点が映る。外壁付近では、まだレーダーも動体検知も動作する。
「排除は狂介でいいかしら?」
「二人とも伏せて! やりますよはいはい」
これじゃまるで戦争だ。いや、戦争そのものだ。
狂介は壁の瓦礫の隙間から、警備のロボットを撃つ。能力が使えれば、窓から叩き出して地面に落とすのに。
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