第3話
店を閉めてから、居間で狂介と鳥埜は疲れを癒しつつ、「大変な事件」の行く末を考えていた。もう深夜二時になる。
「鳥埜の言う通り、ここ二、三日で分からないようなら、秘密ってことだな。謎のまんまだ」
能力が回復してくれれば、狂介としてはそれでいい。
「なんだろうね。学園のことならシロノ教授が知ってるだろうし」
鳥埜はクッション、狂介は座布団に横になっていた。
「でも何で俺だけ能力が消えた? いや、他にもいるかもしれないけどさ」
「原因でしょ……教科書的には、精神的な繋がり。暴走した誰かと、狂介がどこかで会った可能性もあるし、狂介が能力を教えた誰か、かもしれないし。……暴走した誰か次第だけど…………わからないや。ごめんね」
「鳥埜のせいじゃないから、謝らないでくれよ。――単に迷惑だよなあ、ってだけ。そのうちシロノの「治療」の効果も出るだろ。そうしたら、どうでもいい。忘れる。悩んでも無駄だ。やめやめ」
狂介は不貞腐れたように頭を掻く。
「あたしたちも一度は起こしてるし。サイコハザード。お互い様。――当分、あたしが前に立って守るから。安心して」
「ん。鳥埜がいれば大丈夫だ。まさか――中央管理区に影響が……それはないか」
それなら報道があるか、シロノの謎の情報網から連絡があるだろう。
「ドームが崩壊すれば被害は何万、何十万人。……まさかね。――でも、何が起きても狂介は守って、カーゴ奪ってでもどこかへ逃げるから。任せて。追いつかれたりしない」
鳥埜が心配そうに、狂介を見る。鳥埜は気が早すぎる、と狂介は思う。
本当にやりかねないのが、鳥埜だ。今も目が真剣だ。本気で逃走劇をやる気だ。
「そんときは頼む。鳥埜。……でも、気にし過ぎだ。――どっちにしろ、今ここで考えても無駄だってのは確かだろ。――寝る準備してくる」
実際、今この瞬間に、何ができるわけでもない。鳥埜の張り詰めた気分を崩すように、狂介は少し眠そうに言った。
狂介は自分の――間借りしている――部屋に向かう。布団を敷いて寝るだけだ。
その前に、急いでシャワーを浴びることにした。店を開けると、油臭い。布団に匂いを付けたくなかった。
風呂場のドアを開けたあたりで、鳥埜の思念が届いた。
『そうね……あたしたちでどうにかできる話じゃないよね。ドームを作り出してるのはUクラス数百人。比較にもならないわ。あたしたちが何万人いたって、役にも立たない』
『何でもないことを祈るよ。――シャワー浴びる。すぐ出る』
鳥埜も立つと、自分の部屋に向かっていた。
狂介が寝ると言い出すと、自動的に眠くなる。
長い間に、そんな習慣になっていた。
欠伸をすると、布団を引っ張り出して、下着になって布団に潜り込んだ。
狂介がシャワーを浴び終えたら、いつも通り起こしてくれる。それから、シャワーだ。
シロノは朝から、狂介と鳥埜を迎えていた。
今日は徹底的に調整する。
元通りとは言わなくても、簡単なガーディアン任務が務まるくらいには――シロノの希望として――狂介を復活させる。学園からのバイト代――給与がなければ、狂介も困るだろう。そういう心配もあった。
来て早々に、狂介と鳥埜を瞑想槽に沈めていた。
揃って裸体で、瞑想しているはずだ。
昨日から徹夜で、狂介の突発的な能力不全の原因の調査にも、当たっていた。
集中は途切れてはいない。こういうときは、シロノは眠くはならない。
鳥埜だけでも、狂介と組んでいる間はガーディアンが務まるが、それでは二人体制の強みが半ば失われる。
それに、鳥埜が負傷すれば任務は継続不能だ。二人いるからこそ、互いに治療しあい、任務を続行できる。
現状の調査結果は、予想通りと言えば予想通り、学園内部で発生したサイコハザードではなかった。学内の噂も、監視カメラの情報も、まとめて分析にかけた。学内ではありえない。それが結論だ。
――つまり、学園外部からの干渉だった。昨日は学園側の対外部障壁が弱かった、と記録にある。
外部から能力に干渉可能だった時間帯がある。早朝は特に、穴が開いていたようなものだ。学園には、肝心の障壁を張るべき人員が、二十四時間常駐しているわけではない。
特別警戒態勢を敷いていれば別だが、年中そんなことはできない。第一、予兆もなくそんなことはしない。
大量に影響が出ていない以上、暴走した能力者は、狂介と個人的な繋がりがある者に限られる。単に学内でサイコハザードが発生していれば、そこら中が被害者だらけの筈なのだ。
影響は最大で二回。
・狂介の「恐怖」を引き出したとき。その時、狂介は鳥埜宅にいる。
これは、狂介がトラウマを思い出しただけ、という可能性が残る。
・狂介の能力を消したとき。その時、狂介は学園の屋上――空中にいる。
狂介が自分で自分の能力を消すことは――ほぼ有り得ない。
それなりの距離を超えて、鳥埜宅にいたはずの狂介に影響を及ぼすための条件は、精神的な繋がりである。可能性の問題だったが――原因として追いかけるだけの理由にはなる。
狂介と接触していた者の、大まかなリストは作成していた。学園内部は排除してある。
けれども、これ、というターゲットが見つからない。
そこでシロノは詰まっていた。
「とはいえ、この子は勝手に動くからね……」
狂介たちのいる白い瞑想槽に座りながら、シロノは、狂介との接触者のリストを上下左右に動かしては眺める。
どこかシロノの知らないところで――非公式に中央管理区の誰かと接触している可能性もあった。
「感情転移、あるいは能力的な相互干渉。――過去に戦っていればなおさら」
接触者のリストから、学外で起きた派手な事件の関係者以外を消していく。
あるいは――。
「鳥埜さんと出会った時、あのパターンでも候補にはなるわね」
拡大した意識が相互に出会う。能力の一部が覚醒する。
「狂介に潜らせて貰おうかしら。今は危ない?」
証拠は一部であれ、狂介の意識のどこかにあるはずだ。
「――いいわ。回復を待ってみましょう」
ふと、大規模なサイコハザードではないか、と予感が過ぎった。考えすぎだとは思うが、探ってみる価値はある。
サイコハザードの断片が、離れた空間に出現することもある。
――報道はない。だが、それだからこそ、事件である可能性はある。
シロノが中央管理区の知り合いに連絡しても、応答はなかった。
嫌な予感がした。数人のうち、一人くらいは連絡に応じるはずなのだ。
「……的中してほしくないわね」
中央管理区自体が、機能不全? まさかとは思うが――予感を信じてみる。
ならば、予備棟に避難しているのだろうと考え、連絡する。
応答したのは、AIだった。事務的な対応を振り切って、ドーム管理課に連絡するよう誘導した。
「現在、総員体制でドーム外壁の維持チームを整備、強化しております。緊急の要件でしたら、返答は約束できませんが、承ります」
まさか、の通りだった。いや、それ以上だった。
分かりにくく言っているが、要するに外壁が維持できなくなりかかっている、ということだ。
ドーム外壁を維持している、Uクラスにまで影響しているのならば、災害級だ。
――ドームが守れないということは、四種のハザードが入りこんで来るということだ。
ドームが素裸になるようなものだ。バイオハザードの感染だけでも、破壊的な結果になる。
それに耐えられるよう地下施設はあるが、あくまで非常用であり、食料も施設自体もそう長くは持たない。
事態が収拾しなければ、いずれは他のドームへ、逃げなければならないのだ。
――ニュースで流すと、パニックになるとでも思っているのだろうか。早く連絡して欲しかった。
全員が予備棟へ避難の途中ならば、公式な発表も難しいか。そう思い直す。
広報課も何を言っていいのか、わからないだろう。
そういうのはこっそり、学園に――シロノに連絡してくれればいいのだ。こちらにだって対応できる体制はある。
学園側から動いてでも、事態は収拾する必要がある。
誰かが責任を問われるかもしれないが、そんなことを気にしている場合ではない。
責任も何も、全てが片付いてからだ。
邪魔をするつもりはない。シロノは連絡を諦めた。対策を練り、学園全体として動き始めるべきタイミングだ。公式発表を待ってはいられない。
最高度の緊急事態だ、ということだけは確かだった。
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