第6話

第6話

ただいま、と声がした。明だ。


 玄関まで出ると明が気づいて透子の腕に触れた。視界が明るくなり、ほっとする。


 目の前に、同じ顔。でも自分とは確実に違う、優しい顔。


 明は自室で学ランを脱ぎながら、今日は何してたの、と聞いた。何も、と透子が答える。


「今日は琴とお花の日じゃなかったっけ?」

「家庭教師が来なかったの。あの事件で外に出るのが怖いって」

「でも殺されたのは十代の娘なんだろ? あの教師たち、二十とっくに越してるから関係なさそうだけどな」

「まぁ……本当に十代だけを狙っているのかはわからないし……怖いわよね」

「ふうん、じゃあ夕食後に勉強教えてあげるよ。歴史と数学で面白いこと習ったんだ」

「えっ、ほんと?」


 明の授業内容は、自分の家庭教師――上流女性のたしなみごと――とは全然違うので、聞くのが楽しくて仕方がない。


「――あ、刑事だ。藤木……だっけ」


 明が窓越しに藤木を見つけた。ちゃんと外に立っている姿を見て、長時間立ちっぱなしなの? と感心していたが、透子が渋い表情をしているのに気づき、「そうできる経験じゃないからさ。ちょっとの間だし」と慰めるように言った。


「監視されているようで嫌なの」


 口を尖らせると、明は少し考えているようだったが、いきなり窓を開け、藤木さん、と大きな声で呼んだ。


「一緒に夕飯をいかがです?」

「えっ」


 遠くの方で戸惑っている藤木に手招きしている明の腕を、透子は抗議するように引っ張った。「どうしてそんなこと」


「だって監視されているようで嫌ならさ、同じ空間で楽しくお喋りした方がいいじゃない。食事の時くらいはね」


 明の強引さはいつものことだ。あっけらかんとしたペースに巻き込まれると、何も言えない。しょうがないなぁ、と許してしまう。


藤木は恐縮しながら食堂に入ってきた。女中に勧められて、透子と明が隣同士に座っている向かいの席に着く。


「伯爵はいらっしゃらないのですか」

 次々に運ばれてくる料理を、物珍しそうに眺めながら聞く。


「大抵はいません」

 明が答える。


「お忙しいのですね。実業家でもあり、貴族院議員でもご高名の方ですから当然といえば当然なのでしょうが」


「藤木さんも大変ですよね。今夜もずっとこちらに?」

「はい、明日の朝もう一人の刑事と入れ替わります。この二人で警護にあたりますので」

「あの……私は大丈夫だと思うのですけど」

 今までだんまりだった透子が急に発言したので、藤木は少し驚いた顔をした。


「父も申しておりましたけれど、私は外に出ることはありません。屋敷内にいて、殺人鬼に襲われるなんてことありますか?」

「これだけ広いお屋敷ですから」藤木は微笑みながら柔らかい口調になった。「昨夜のコソ泥もそうですが、いくら警備員がいても目をかいくぐることはできると思います」

「けれど狙われる理由は私にはありません」

「ないとは言い切れません。何かで逆恨みされているかもしれないし、失礼ですが……頭崎伯爵の方でトラブルがあるかもしれません」

「だったらお父様を狙わないかしら?」


「お父様に隙がなかったら、代わりに家族を狙うもんさ。力のない女や子どもは特にね」明がとりなすように口を挟んだ。「上司の命令なんだから、藤木さんに文句言ったって仕方ないよ」


 すみません、と藤木が頭を下げる。「窮屈でしょうが、犯人を捕まえるまで堪えて頂けるとありがたいです」


「いえ……こちらこそ、突っかかってしまって……ごめんなさい」

 一日監視されている気配に慣れず、ついイライラしてしまった。八つ当たりした自分が恥ずかしくなり席を立つ。明と触れていた腕が離れ、途端、何も見えなくなる。足元がふらついて、床にしゃがみこんだ。


「! 大丈夫ですか?」

 ガタンと椅子を蹴った音がした。すぐ後ろから明の手が触れるのを感じたのと同時に、視界が明るくなった。


 目の前に藤木の顔があって、心臓がドキリと鳴った。


「急に離れたらダメだろ」

 落ち着いた明の声。


「どうぞ」

 藤木が手を差し伸べてくれたのを反射的に掴み、立とうとした途端着物の裾を踏んだ。前へつんのめり、あっと思う間もなく、藤木の胸に全身でぶつかってしまった。


「イタッ……」

「あっ……す、すみません」

 透子は、はっと体を離した。


何やってるの、と明が呆れた声で背中についていた手を透子の腰に回した。引き寄せて椅子に座り直させる。


「……あの」藤木はしばらくためらっていたが、思い切って口を開いた。

「やはり……目が、見えていませんよね?」


 透子はチラリと藤木の顔を見、「見えていますよ」と返し、小声で付け足した。「……今は」


「今は?」

「僕と触れている時にだけ見えるんですよ」

 明が助け舟を出す。「実は僕も透子と触れていない時は、耳が聞こえていないんです」


「えっ、で、では警部の言ったことは本当だったのか……。あ、でも明様は学修院の中等部にいらっしゃいますよね。授業などは……」


「口の動きを見て理解できるので問題はないんです。教師や友人たちも気を遣ってくれていますし」

「そうだったんですか……、いや、何も知らず失礼を……」

「いえ、父が言っておかなかったのが悪いんですから」

「それが、お二人が一緒にいることで明様は耳が聞こえるようになり、透子様は目が見えるようになる、と……」


「何故かはわかりません。おそらく産まれた時から――といっても母はとうの昔に亡くなっているのでわかりませんが――ずっとそうやってきているんです」


「不思議な現象ですね。双生児の神秘と言いますか……」

藤木は感嘆したように双子を見比べた。

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