第20話

第20話

「え……」

「僕です。……足音を消していたので、わかりにくかったですね」


 湿った土を踏む音が近づいてくる。


「藤木……さん?」


 まさか。

 そんなはず。


「そうです。よかった、忘れられていなくて」


 愕然としてしばらく動けなかった。


 これは……一体……?


 そんな狼狽を悟られないように、震える足にぎゅっと力を込める。


「今まで……どうされていたんですか?」

 平静を装いながら問うと、藤木は言い難そうに「自宅謹慎です」と返した。


「実はまだ謹慎中なんです。勝手に出てきてしまったんですが、すぐに戻らないと」

「すみません……私のせいで」

 深々と頭を下げる。


「とんでもない、自業自得です。それより、あれから明様とは仲直りできましたか?」

 首を横に振ると、藤木のため息が聞こえた。


「申し訳ありません。私がつまらないことをしたばかりに」

「藤木さんのせいじゃありません。自分のしたことですから……」

「でもそれで喧嘩されては……」


「いいんです、なんだか……どうでもよくなってきました」幾分捨て鉢な気分で、透子は無理に笑顔を作り、話を変えた。「それより、先ほど江戸川区で伯爵令嬢の遺体が見つかったと聞きました」


「そうみたいですね、また心臓をくり抜かれていたようです」

「え……」

「あ、怖いですよね……すみません。本当なら私がお守りしないといけないのに……はがゆいです」

「あの……そういえば、謹慎中なのに今日はどうして?」


「あ、そうでした」藤木は慌てたように言った。「さっき連絡が来たんです。覚えていますか? 孤児院にいた医師を」

「はい。見えるようになるかもしれないと仰った……」

「そうです。検査の設備が整ったので今夜にでも会いたいと言っているんですが」

「今夜、ですか?」


 急な申し入れに戸惑った。ずっと気になっていたことなので、検査で見えるか見えないか、早くはっきりさせたいとは思っていたが。


「夜中に少し抜け出すことはできませんか」真剣な口調。「昼間だと人の目もあるし、同僚の刑事が見張っています。夜なら警備も手薄になるはずなので」

「あの……私、急ぎません。今夜じゃなくても……」


 やはり、自分一人では決められない。せめて明に相談したい。そんな透子の心を見透かしたように、「誰かに相談しましたか」と藤木が言った。


「いえ……他言しないで欲しいと言われたので」

「検査の結果が出てからでいいと思いますよ。見える可能性があれば、手術や投薬などあるでしょうし、そうなるとやはり伯爵にも相談しなければなりませんからね」

「でも、そうするとまた藤木さんが怒られませんか?」


 ふいに、手を取られた。


「そんなことはいいんです。私はただ……透子さんに自由になって欲しいだけなんだ」

「自由に?」

「はい。見えるようになったらきっと世界は広がります。この屋敷内だけじゃなく、学校にも行ける。お友達とお出かけだってできる。明様の帰りを待ち、くっついて勉強しなくていい。明様と透子さん、それぞれ自立した人間関係が築けるんです。対等にね」


 対等……。その言葉にはっとさせられた。私は明と対等ではなかったのだ。小さい頃から何をするにも一緒、考えていることは目を見ればわかった。けれどいつの頃からか……明の勉強の邪魔にならぬよう、生活の邪魔にならぬよう、気を遣うようになった自分がいた。明の優しさに甘えることに、罪悪感を覚えるようになった。それは自分が――対等ではないから。してもらうばかりの自分に引け目を感じているから。


「貴女は、透明人間なんかじゃない」藤木は力強く言った。「でも、貴女は……、透明の匣(はこ)に閉じ込められているように、僕には見えるんです」


 透明の匣――?


そうかもしれない。父に自分は価値のない人間だと思われているせいで、どうやったって世間に出られないようになっている。


けれどもしかしたら、目が見えないことを理由にして、自ら匣に閉じこもっているのかもしれない。その方が楽だから。出なくても守ってくれるから。外の世界に憧れているくせに、やっぱり怖くて。


でもそれではダメなのだ。


 目が見えるようになれば……外に出る勇気も湧いてくるはずだ。


「――わかりました。行きます」


 少しでも可能性があるのなら。


「よかった」藤木は嬉しそうに透子の手を握りしめた。「今夜九時にお迎えに上がります」

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