聖女は隠したいのです


 予想外なところで魔物が出現してしまったせいで、メルヴィナはセトカナンでの浄化を完成させることができなかった。

 中断されてしまった祝詞は、また初めから奏上しなければ意味がない。

 ということで、一行はセトカナンで少しの足止めをくらうことになっていた。


「申し訳ございません。あそこで動揺せず、全ての詠唱を終えるべきでした」


 一人落ち込んでいるのは、やはり浄化ができなかった本人だ。

 彼らは今、セス・テーナ教会に併設されている施設の中にいる。ここは聖職者が泊まる場合に使われる建物で、今回はメルヴィナたちが泊まらせてもらうことになっていた。当初一泊の予定が、予定外の魔物の登場で延泊せざるを得なくなってしまった。


「いいえ、メルヴィナ様。全ての責は、魔物の侵入を許してしまった私にこそあります。罰でも何でもお与えください。慎んでお受けいたしましょう」

「……あなたの責任でないことは間違いないし、何よりアランに罰を与えても、慎むどころか喜んでしまいそうに思うのは私だけでしょうか……」


 落ち込みから一転、若干遠い目をしつつメルヴィナが答える。兄の癖が移ってしまったかもしれない。

 ジルも片頬を引きつらせながら同意した。


「いや、たぶんお姫様の言うとおりだと思う……」

 

 思いがけないところで共感を得られたメルヴィナは、少しの驚きとともにジルを見やる。

 目が合った彼は、メルヴィナに苦笑を向けた。なんとなく、ことアランに関して、彼とは通じ合えそうな気がすると思ったメルヴィナだ。

 それにしても、とエレーナの声が続く。

 

「わたくしたちが魔物退治に出かけている間、そんなことが起きていたなんて不覚ですわ。アラン様は優秀な護衛とお聞きしております。気配などは全く?」

「そうですね」


 問われたアランが、作り物めいた笑みで答える。彼の場合、メルヴィナ以外の人間にはほとんどそんな感じだ。だから周囲からはよく、何を考えているのか分からない男だと思われている。

 しかし、それを特に気にすることもなく、ヴァリオが軽く笑う。


「じゃ、仕方ねぇんじゃねーか? だいたい今日の魔物だって、たまたま襲われただけだろ? 浄化なんて明日やればいーよ。大して変わんないって」


 その言葉に、メルヴィナはさらに顔を俯けた。本当にそうだろうか。浄化が明日に延びたからといって、魔物の被害は大して変わらない? ――いや、そんなことはない。メルヴィナは奥歯を噛み締めた。

 それは、もしかしたらヴァリオなりの励ましだったのかもしれない。でも失敗した当人からすれば、そこまで楽観的には考えられない。力を消耗していなければ、今すぐにでもやり直したいくらいだ。

 エレーナも何か思うところがあったのか、咎めるような目でヴァリオを睨んでいる。

 すると、ここで意外なことに、事なかれ主義のジルが口を開いた。


「おっさん、重たい責任を背負しょってる奴に、それはちょっと無責任だぜ。おっさんのその楽観ぶりは嫌いじゃないけど、今はそれよりも大事なことがある」


 普段は何をするにも面倒くさそうな態度の彼だが、今だけは真剣な顔でヴァリオを見据えている。

 これには、ヴァリオも興味深そうに「へぇ、大事なことって?」と目を細めた。


「レディファーストだ!」

「……は?」


 しかし続いた言葉には、ヴァリオだけでなく、メルヴィナたちも思わず目を点にした。


「『どんな人格者でも、女に優しくできない奴はクズだ』これ、俺の師匠の言葉なんだけどさ、破ると怖ぇんだよな。思い出しただけでもぞっとする」

「いやいや、それレディファーストとはちょっと違うからな。そもそもおまえの師匠なんて知らないからね、俺」


 ごもっともである。


「細かいことは気にすんなよ。ってわけだから、その師匠に育てられた俺としては、むさいおっさんよりかわいい女の子の味方でいたいっていう…………そのほうが師匠にも怒られないし?」

「ジルおまえ、実は最後のが本音だろ」

「あ、バレた?」

「当たり前だ! まったく……生意気な少年には仕置きがいるか?」


 ヴァリオが冗談っぽくジルを羽交い締めにする。いつのまにやら、先ほどのギスギスとした空気はなくなっていた。

 エレーナの表情からも険がとれ、今はじゃれ合う二人に呆れの眼差しを送っている。メルヴィナにいたっては、ヴァリオの軽い発言には複雑な思いを抱いたけれど、ジルのおかげで今はじゃれ合う二人に自然と緊張が緩んでいた。

 

 ただ一人、無表情でヴァリオを見つめている、アランだけをのぞいて。



 ***



「クラウゼ様」


 和やかな空気を取り戻してから、メルヴィナはエレーナに請われて教会で起きたことを説明した。

 まず、浄化の最中に突然魔物が侵入してきたこと。その魔物が「聖女」としきりに呟いていたこと。また、その魔物たちが正気ではなさそうだったこと。

 ちなみにこれは、メルヴィナに意見を求められたアランの言であり、彼はメルヴィナに意見を求められたとき以外は決して口を開こうとはしなかった。

 そんなアランの様子に違和感を覚えたメルヴィナだが、あの場が解散となってすぐ、アランに「それではメルヴィナ様、寄り道などせず、まっすぐお部屋に行ってくださいね」とさわやかな笑顔で圧力をかけられてしまったせいで、結局何も聞けずじまいとなっている。

 彼がメルヴィナのそばを離れるなんて、やっぱり変だった。

 でもそこで、メルヴィナは気づく。これが本来の正しい距離感なのだと。

 むしろ今までの、おはようからおやすみまで一緒、というほうが明らかに主従の関係を超えていた。

 ならば話は早い。これは独り立ちならぬ、アラン立ちをする良い機会だ。

 もともと兄からも、おまえはアランに頼りすぎだよと言われ続けていたのだから。

 

「ああ、お姫様。どうしたんすか?」


 そんな兄の、アランじゃなくてもう少し自分を頼ってくれればいいのに、というただの寂しさから生まれた本音を勘違いしたメルヴィナは、そこで気怠げな背中を見つけて追いかけた。

 部屋まで案内すると言った聖職者の申し出を丁寧に断り、同じく案内を断って部屋へと向かっていたジルに声をかける。さっきのお礼を伝えたかったからだ。

 アランがいれば「そんな必要はありません」と止められてしまいそうだが、いない今なら文句も言われまい。


「クラウゼ様に、お礼を申し上げたくて。先ほどはありがとうございました。おかげで剣呑な空気がなくなりました」

「んー、なんのこと?」


 ジルがとぼけた調子で首を捻った。


「俺は何もしてないけど」

「いいえ。先ほどのあれは、レディファーストでも何でもなく、険悪になりそうだった空気を壊してくださったのでしょう?」

「いやいや、買いかぶりすぎだって。俺は面倒ごとは嫌いなんでね」

「そうですか……。では、面倒ごとが嫌いなクラウゼ様は、面倒ごとが起きないよう空気を変えてくださったのですね」


 そう言い返したメルヴィナを、ジルが意外そうに凝視する。


「……もしかしてお姫様って、素は結構強い?」


 思わず「どういう意味ですかそれ」と訊きたくなる反応だが、メルヴィナはあえて突っ込まずに続けた。


「そういうクラウゼ様は、実はとても人の気持ちに敏感な方ですね。ですからどうか、私の感謝を受け取ってはくれませんか?」

「んー……やっぱ買いかぶりすぎだと思うけど。まあ受け取っておくかな。そのほうが面倒くさくなさそうだし」


 ジルがいたずらっぽく笑う。メルヴィナもつられてくすっと笑った。

 ジルとまともに話すのは、何気にこれが初めてだ。話しやすい人だな、と思う。知らないうちにあのアランとも息が合っているようなので、彼の対人スキルは素直に尊敬してしまう。


「あ、そういえばさ」


 ジルが思い立ったように手を叩く。メルヴィナは「はい」と相槌を打った。

 

「ああ、いや。そんな大した話じゃないんだけど……」


 ジルは少しだけ言い淀んでから、


「お姫様は、さ。アランのこと、どう思ってる?」

「……え?」


 思いきって訊ねていた。

 一方、いきなりそんな質問をされたメルヴィナは、一瞬何を訊かれたのか理解できなかった。ジルは、人の噂を糧にするような宮廷人ではない。彼の性格からしても、あまり人のそういったことに興味を示すようなタイプには見えなかった。だから、その意図を読み取るのに時間がかかった。

 だって、アランのことをどう思っているかなんて。

 どう、だなんて、そんなの――


「アランは、私の護衛騎士です。とても優秀だと思っています」

「…………ごめん、お姫様。もしかして俺、訊き方間違えた?」

「何がですか?」

「いや、なんていうか、まさかの自覚なし?」


 だから何がでしょうか、とメルヴィナは首をもたげる。

 しかしその顔は、お湯でのぼせたときよりも真っ赤に染まっていた。

 そんな自分の変化に本当に気づいていないのか、はたまた気づいているけど認めたくないのか。どちらか分からないジルは、とりあえずそれを見なかったことにする。

 本当は、アランが魔王であると、少しでも気づいていないか探りを入れてみたかっただけなのだが。

 メルヴィナのそんな反応には、さすがのジルも途方に暮れそうになっていた。


(あー、どうすんのこれ。絶対訊くんじゃなかったパターンじゃねぇか)


 ――よし、じゃあ訊かなかったことにしよう。

 と、ここで自前の面倒くさがり屋を発揮したジルである。彼はそのまま逃げるように去っていった。

 そして、残されたメルヴィナはというと。


(……やらかしたわ)


 顔の熱にようやく気づいて、はぁぁぁとその場にしゃがみ込んだのだった。

 

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