聖女は真実を知りました


「って、こんなことしてる場合じゃない!!」


 そう叫んだのはどちらだったか。あるいは、二人ともだった。


「私、ここから逃げないといけないのに!」

「僕、魔王様からおつかい頼まれてるのに!」


 二人は同時に「え?」と互いの顔を見合わせた。


「逃げる?」

「おつかい?」

「待って。そういえば君、なんでこんなところにいるの?」

「その言葉そっくりそのまま返すわ、ネロ」


 今度は互いに無言になった。

 最初に沈黙を破ったのは、メルヴィナだ。


「ちなみにおつかいって、なに?」

「え? えっと、ある人物の見張り」

「見張り? 誰の?」

「ヴァリオ・コスドっていう人」

「コスド様!?」


 まさかの知っている人物で、メルヴィナは純粋に驚いた。


「ちょっと待って。なんでコスド様を? それに、コスド様を見張ってるネロが、どうしてこんなところにいるの?」


 なぜならヴァリオは、魔王討伐隊の剣士である。今頃はレ・カンテ教会にいるはずだ。


「そんなのもちろん、その男がここにいるから……ってあーーッ! 見失った!!」

「今頃気づくのは遅いわよ、さすがに」

「うぅ、魔王様に叱られる……」

「そもそも、なんでコスド様の監視なんか?」

「さあ? 僕も知らないよ。見張っておけって。あと、勇者の剣についても調べろって」

「勇者の剣?」

「ていうか、僕が見失ったのは君のせいなのに。君こそなんでここにいるの」

「私はあれよ、連れ去られたからよ」

「はい?」

「だから、誘拐されたの、私」


 意味もなく胸を張ってみれば。


「えぇえええええっ!?」


 ネロが絶叫した。それはもう、耳を塞ぎたくなるほどの大音量で。


「ゆ、誘拐って、え!? だってじゃあ、ま――アラン様は!?」

「なんであなた、私がアランと一緒にいること知ってるの?」

「あ、あー、ほらあれだよ! 僕、魔王様のおつかいでヴァリオ・コスドを見張ってたから!」

「ああ、そういえばそうだったわね」

「そーそー!」

「アランはたぶん、私が魔物に連れ去られたって聞かされているはずよ。でも本当は違うの。確かに魔物なんだけど、魔術師が操ってた魔物に連れ去られたのよ!」

「ええ? 魔物を操る? そんなことできるの?」

「なに言ってるの。魔王はできるでしょ?」

「え、できないよ?」

「え?」

「え?」


 二人はまた互いに顔を見合わせた。同じタイミングで首を傾げる。


「魔王が魔物を作ってるんでしょ?」

「違うよ!? なにそれびっくり! まさか人間って、本当にそれ信じてたの!?」


 なんだかバカにされたような気がして、メルヴィナはちょっとだけムッとした。


「じゃあ魔物は誰が作ってるのよ」

「人間だよ」

「……はい?」

「だから、君たち人間だよ。というより、瘴気を生み出してるのが人間って言ったほうが正確かな」


 なんだって?


「ネロ、言って良いことと悪いことがあるわ。そりゃあ、魔族は人間が嫌いかもしれないけど」

「うん、人間は嫌い。だって魔王様を辛い目に遭わせるのは、いつだって人間だから」


 メルヴィナは、思わず瞠目した。人間が魔王に苦しめられているというのなら分かるけれど、その逆は考えたこともなかった。

 人間が、魔王を苦しめている? 人間が? どうやって?


「そっか、人間って、本当に何も知らないんだ……」


 そう言ったネロは、バカにしているのではなく、その事実をただ悲しんでいるようだった。だからメルヴィナも、不思議と反抗心が浮かばない。


「僕、怖がりだからさ。魔王様に命令されない限り、あんまりヴォルスゲニアを出ないんだよね。だから知らなかった」


 だからみんな、僕よりもずっと人間を嫌ってたんだね、とネロが続ける。

 メルヴィナは、何か自分が酷いことをしている気分になった。だって、ネロの声が、あまりにも悲痛だったから。


「ネロ、どういうこと? もしかして私たち人間は、何か大きな勘違いをしているの?」

「うーん、まあ。でも、言っても仕方ないって、みんな言ってる。信じてもらえないって」

「そんなの聞かなきゃ分からないわ。私、魔物は怖いし、魔族と魔王はよく知らないけど、ネロのことは良い魔族ひとだって思ってる」

「え!? いきなりなに!?」

「だってほら、私のこと聖女だって知ってるのに、殺そうとしないでしょ?」


 聖女は魔王の敵なのに。


「いや、それは、なんていうか、むしろ殺しちゃったら僕が殺されるっていうか。殺した奴が殺されるっていうか」

「なんでもいいわ。とにかく、私はそんなネロの言うことなら、信じられると思うの」

「ああああ! なんでそんなこと真っ直ぐこっち見て言っちゃうの!? なに、僕今日が命日なの!?」

「意味が分からないわ」

「僕もだよ!」


 睨み合いが続く。といっても、睨んでいるのはメルヴィナだけだ。ネロはあわあわと落ち着かなく瞳を泳がせている。


「ネロ」

「うぅぅ」

「ネロ、吐いちゃいなさい」

「そんなゲロッちゃいなさいみたいな」

「楽になるわよ」

「本当に吐きたくなってきた」


 そしてついに、ネロが折れる。


「分かった言うよ! でもこれ、絶対僕から聞いたって言わないでね!? 特にアラン様に!」

「なんでここでもまたアランが出てくるのかは謎だけど……分かったわ」

「実は、魔王様は――――……」






 ネロから衝撃的なことを聞かされたメルヴィナは、しばらく放心した。やはりすぐには受け入れられなかったけれど、ネロの話が本当なら、今まで漠然と抱いていた違和感がクリアになる。

 たとえば、魔王が滅多と人前に姿を現さない理由だったり。

 たとえば、魔王が魔族を使って人間を襲わない理由だったり。

 たとえば、今まで、勇者と結婚した聖女がいない理由だったり。

 メルヴィナがそうであるように、今までの聖女の中には、きっと勇者との婚姻話が上がった代もあっただろう。なのに、一人として結婚していない。その記録がない。真実を聞くまでは、みんな違う人を愛して結婚したんだなあと、軽く思っていたけれど。


(そうじゃない。結婚したくても、できなかったんだ)


 勇者とは、誰も結ばれない。なぜなら――


(そんな酷い話が、あるっ?)


 メルヴィナの瞳に、じわりと涙が浮かんだ。


「ちょっ、まっ、待って泣かないで! 君に泣かれたら殺されるんだけど!」

「……ねえ、ネロ。さっきから殺される殺されるって言うけど、いったい誰に殺されるの?」

(アラン様にだよ!)


 と、声に出して言えたらよかったのに。もちろん死んでも言えないけれど。

 ネロは、魔王の真実は教えたが、魔王の正体については教えていない。それが最後の砦だろう。この砦を勝手に崩してしまったなら、殺されるどころではない。確実に、消される。


(怖い! おっかない! むりむり怖いッ!)


 殺されてもいいけれど、消されるのは嫌だった。

 人間のことが嫌いなくせに、人間のように在りたいと願う。それが、魔族の悲しいさがだから。


「で、僕らはどこに向かってるの?」

「知らないわ」

「知らないの!?」


 現在二人は、隠れることもせず、堂々と敵陣の中を歩いていた。開き直ったメルヴィナのせいである。

 魔王の真実を聞いたメルヴィナは、別の意味で、早く魔王の元に向かいたいと思っていた。

 討伐のためじゃない。魔王自身の口から、世界の真実を聞くために。

 そのためには、一刻も早くここから逃げたい。でもその前に、自分を攫った〝依頼主〟とやらには聞いておきたいことがある。

 だから、わざわざ姿を現しているのだ。


「でもこういうときに限って見つからないって、どうなの? あんなに頑張って隠れていた私がバカみたいだわ」

「君って昔もそうだったけど、相変わらず無鉄砲なんだね」


 そりゃアラン様も苦労するよなぁとしみじみ思う。


「あら、失礼ね。言うほど私のこと知らないでしょ?」

「それはそうだけど……。でも、危ないって言ってるのに川に突っ込んでいって溺れかけたり、触っちゃだめって言ったのに毒草に触って手をかぶれさせたり、空なんて飛べるわけないって言ったのに岩の上から飛び降りたり」

「……私、たった一日でそんなに?」

「なんか箍が外れたように遊んでたよ」

「そ、そうね。確かに外れてたかもね、色々と」


 黒歴史だ。覚えておきたくはないけれど、それが黒歴史であるということは覚えておこうと思ったメルヴィナである。でなければ、知らず掘り返してしまう。今みたいに。


「とにかく、黒幕に会えればいいのよ。もしものときは頼りにしてるからね、ネロ」

「え、困る。僕、怖がりなんだけど」

「大丈夫よ! 魔物に立ち向かっていったあの勇姿は、ちゃんと覚えてるわよ、私」

「いや、だってあれは……」


 その小さな子供が聖女であることを、ネロは知っていたから。

 アランはいつもそうだった。どの代の聖女のときも、必ず魔族の誰かに見守らせていた。もちろん姿を見せないよう、影からのお守りが絶対だ。ネロは完全に任務に失敗していた。

 アラン本人は、聖女も自分と同じように、できるだけ長く運命に苦しめられればいいと口にしてはいたけれど。


(ああ見えてあの人、ツンデレみたいなところあるからなぁ)


 魔物に狙われすぎて、子供のうちから命を落とす聖女が多いことに、何も思わない人ではなかった。


「ネロ、ネロ」


 すると、思考に沈んでいたネロの意識を、メルヴィナが引っ張り上げてきた。


「なに?」

「泣いてるわ」

「誰が?」

「知らない。でも、この部屋から……」


 メルヴィナがしたのは、他の部屋よりもずっと重そうな扉がつけられた部屋だった。


「うわ、いかにも面倒事が眠ってそうな部屋なんだけど。いつのまにこんな奥まで来ちゃったの、僕たち」

「私が誘導したわ」

「なんで!?」

「こういうときのセオリーよ。奥のほうが黒幕に会えそうじゃない」

「僕は会いたくないけどね!」

「ねえ、ネロ。これ、開かないわ」

「さっそく開けようとしたの!?」

「開けてくれる?」

「ええー……。こんな人とずっと一緒とか、ほんと、アラン様ってすごいや……」

「何か言った?」


 ネロは、諦めて扉に手をかけた。鉄だ。木じゃない。鉄でできた扉だから、ずぅんと重い雰囲気が出ているのだ。

 ネロは「ふんっぬぅぅう」と奇声を上げながら、力ずくで扉を押した。

 少しずつ、少しずつ、ゆっくりと扉が開いていく。途中、ガキッと嫌な音がしたが、ネロは気にせずそのまま開けた。それが扉にかかっていた鍵だとは、ネロもメルヴィナも気づかない。

 そうして、二人は部屋の中へと足を踏み入れる。

 その先に広がっていたのは、意外にも物の少ない部屋だった。

 柔らかい絨毯が敷かれ、大きな寝台がある。それだけだ。寝室にしても、物が少なすぎる。

 だから、二人はすぐに目が合った。

 その寝台の横で、さめざめと涙を流す、一人の少女と。


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