聖女は魔族と会いました
メルヴィナが慎重に出た先は、またまた部屋の中だった。がっくりと肩を落とす。
引き返そうかとも思ったが、さすが隠し通路、この一つ目の出口に辿り着くまでかなりの時間がかかっている。
正直に言うと、疲れた。緊張感の欠片もなく本音を言えば、休みたい。
ということで、メルヴィナはそーっと部屋の中に出た。
(さすがに人がいたら出ないけど……ここはいなさそうね)
しんと静まり返っている。人の気配がしない。いったいどの場所に出たかは分からないが、とりあえず安堵の息を吐き出した。
それにしても、暗い部屋だ。
「使われてない部屋かしら?」
物置ではない。ちゃんと部屋としての体裁は整っている。けれど、まるでそう、客室のように、普段は人が使っていないような、そんな寂しい部屋だった。
(ちなみにここは、何階なんだろう)
最初の部屋は三階だった。目測だが。
でも一階なら、窓から逃げることも可能である。しかし。
「……残念すぎるわ。高さが変わってない」
はあ、と落ち込んだのも束の間。
「えーーーー!!!??」
窓の外に、叫び声を上げながらこちらを指差す、見知らぬ少年がいた。
ぎょっとした。だって少年は、紛れもなく、空に浮かんでいたから。
けれどすぐにハッとする。
(まずいわ。敵の仲間かも)
メルヴィナは急いで窓から離れ、隠し通路に向かった。暗いせいで思うように進めず、心だけが焦っていく。
そのとき、
「待って、逃げないでっ」
真後ろから聞こえた声に、今度は心臓が止まるかと思った。
抵抗するため、闇雲に腕を振り回す。体術なんて心得ていない。それでも、アランのおかげで足技だけは使えるようになった。
(簡単に捕まるわけには、いかないのよ!)
力一杯蹴ったのに、少年は難なく受け止める。
少しくらいは効くだろうと思っていたから、この現実にメルヴィナは一瞬だけ
すぐに掴まれた足を取り戻そうと暴れる。
「はな、してっ」
「わーっ待って待って。暴れたら怪我しちゃうから! 君に怪我なんてさせたら、僕がアラン様に叱られちゃうから!」
「――え?」
少年から出た名前に、メルヴィナの抵抗がぴたりと止まった。
それに安堵したのか、少年は胸を撫で下ろしている。ついでにメルヴィナの足も優しく下ろしてくれた。
「今、アランって言いました?」
「あ、言っちゃった」
「……。あなたは、アランの知り合いですか?」
「えーと、えーと」
少年が慌てふためいている。
そのたびに深緑の髪が揺れて、珍しい色だなぁとメルヴィナは思う。見た目は、自分よりは年上だろうか。でも、その落ち着きない様子が、自分よりも年下に見える。
激しく頭を振って呻いていた少年が、疲れたのか、やがて大人しくなった。そのとき、メルヴィナは初めて彼と目が合った。
「あら、あなたの瞳……」
しまった、とこれまた分かりやすく少年の顔が歪む。
一方メルヴィナは、そんな少年を心配した。こんなに分かりやすくて大丈夫だろうか。まず王宮では生きていけない部類だ。
でもそういえば、幼い頃にも一度、こんなふうに分かりやすい少年と出会ったことがある。メルヴィナはそのときのことを思い出した。あの子の瞳も、この少年のように紅の色をしていて。
「綺麗な色ですね。真っ赤な薔薇のような、真紅の瞳」
「!」
「懐かしいです。昔、あなたと同じような瞳の子に会ったことがあるんですけど、なんだかその子を思い出し……」
そこでメルヴィナは、はたと止まる。
なんとなくだが、似ている気がした。あのときの少年に。
紅の瞳。深緑の髪。どちらも珍しい色合いだ。特に紅の瞳は、とある種族にしか見られない。幼い頃のメルヴィナは知らなかったが、大人になった今のメルヴィナは、その色の意味を知っている。
例に漏れず、あのとき出会った少年は、自分をそうだと名乗った。
自分を、魔族だと。
「……もしかしてあなた、魔族だったり?」
「うっ。ぅあ〜、えーと、そのぉ〜」
「顔を見せてください」
「うぐっ」
メルヴィナは、相手の顔を両手でがしりと押さえた。さらさらの髪。大きな目。それを縁取る長いまつ毛。鼻は小さくて、唇も小さい。下手したら女の子に間違えられそうなその姿は、あのときとなんら変わっていない。
「やっぱり! ネロだわ!」
「うぅっ」
「久しぶりね、ネロ。まさかこんなところで再会するなんて。あなたちっとも変わらないのね。え、成長してないんじゃない?」
「だから、魔族は成長しないって言ったでしょ!」
「そうだった? そんなこと、言われたような言われてないような?」
「言った! 絶対言った! 相変わらず人の話聞かないね、君は。ていうか離してよっ。こんなところアラン様に見られたら、僕、殺されちゃうから!」
「どうしてそこでアランが出てくるの? というより、そうよ! あなた、アランと知り合いなの?」
「あーもーそうだよ!」
「あなた、本当に魔族だったの?」
「だからそうだって散々言ったのに!」
沈黙が広がる。メルヴィナは、古い知り合いをまじまじと見つめた。
ネロに会ったのは、確か八歳の頃だろうか。アランともまだ出会っていないときである。
聖女教育が辛くて、城から抜け出したことがあった。八歳というのは、怖いもの知らずで、なにかと好奇心も旺盛の年頃である。メルヴィナは、外に出てはいけないという約束を破り、城の外に出てしまったのだ。
そうしたら、何が起きたか。案の定魔物に襲われた。どうやら魔物というのは、聖女の力に敏感らしい。自分たちの天敵だと分かっているから、メルヴィナはよく狙われた。それも、子供の頃が一番狙われたような気がする。
そこにたまたま通りかかり、助けてくれたのがネロだった。
お人形のようにかわいいネロに、八歳のメルヴィナは夢中になった。
彼が男だと知ったのは、別れる直前だったか。たった一日しか遊んでいないのに、メルヴィナはこの不思議な少年を忘れずにいた。
「そう、本当に、魔族だったの」
「……ほら、どうするの。僕は魔族だから、逃げなくていいの?」
メルヴィナはきょとんとする。
だって、逃げる? ネロから? 昔、自分を助けてくれた恩人から?
「逃げないわよ? どうしてそんなことを言うの?」
「どうしてって……普通はそうでしょ。人間は魔族を怖がるでしょ?」
「そう、なのかしら。でも私、ネロ以外の魔族には会ったことがないから、よく分からないわ。私が会った魔族は、とても心優しい、伝承とは似ても似つかぬ魔族よ。せがまれたからって、一緒におままごとをやってくれる魔族なんて聞いたこともないわ」
「うわやめて思い出させないで。僕、本当に身を削りながらやってたんだから」
「ふふ、ごめんね?」
思い出して、メルヴィナはくすりと笑う。
やはり怖いもの知らずだった八歳児は、あろうことか、魔族の男に「自分と遊んで」とねだったのだ。それも、お姉さん役を押しつけた。あの頃はちょうど姉が欲しかったから。
そして、たどたどしくも懸命に役を演じてくれたその魔族を、メルヴィナはすぐに好きになった。もちろん、近所のお兄さん的な意味でだが。
「だから、また会えて嬉しいわ。あの後も何度か脱走してみたんだけど、結局会えなかったし」
「えー……君、そんなことしてたの」
「まあね。――ってちょっと待って。よくよく考えたら、ネロは魔族なのよね? どうしてアランと知り合いなの?」
「うぐっ」
「しかもアラン〝様〟って……。もしかして――」
「あーあーあー! 違う、違うよ!? 知り合いって言っても」
「――もしかしてあなた、アラン信奉者なの!?」
「…………はい?」
え、今なんて言った? この聖女様は。
ネロは、これまた分かりやすく、目を点にした。
対してメルヴィナは、呆れたように首を振っている。
「まさかあなたまで……。男性の信者もいるとは聞いてたけど、魔族にまで憧れられるってなんなのよ、まったく」
「えーと、聖女様?」
「まあアランは魔王のように強いものね。男性なら、その強さに憧れるのが必然なのかしら」
「おふっ」
「ってそうだ! 魔王! ネロなら魔王のことも知ってるんじゃないの!?」
「あばばばっ」
「魔王ってどんな感じ!?」
やっぱり強いの? とメルヴィナが迫る。
ここが別の意味で敵の根城だということは、すっかり忘れているメルヴィナである。
「ねえ、ネロ。教えて」
「あぶっ、や、魔王様は、そのっ」
「魔王様は?」
「えっと、えっと」
「はっきり言って」
「ま、魔王様は――――た、ただの執着気質の変態ストーカーですッ!!」
「……は?」
なんか思ってたのと違う。メルヴィナがこのとき思ったのは、そんなことだった。
ネロはまだ話し続ける。
「魔王様は、冷たくて、残酷で、震えるくらい怖い方で」
そう、それだ。メルヴィナが話に聞いていたのは、まさにそんな存在だ。
「お仕置きとかちょー怖いし、睨まれたら息が止まっちゃうし」
でも、どうしてか、ネロの瞳は。
その
「でも、優しい方なんだ。誰よりも強い方なんだ。この世界で一番辛い思いをしてるのに、逃げずに頑張ってるんだよ。僕なら絶対逃げちゃうのに。魔王様は、絶対に逃げないんだ。すごいでしょ? それにね」
ふ、と。ネロが、自嘲するように微笑んだ。
「人でない僕らのことを、魔王様は、ちゃんと人と同じように扱ってくれるから」
その、見ているのが痛々しいほど切ない瞳は、ネロがどれほど魔王を慕っているのかを如実に教えてくれる。唯一無二の存在なんだと、言われているような感じで。
「だから、魔族はみんな魔王様が大好きだよ。魔王様は僕らのこと、ちゃんと〝殺す〟って言ってくれるから」
……ん?
あれ?
「だって普通、〝物〟にそんなこと言わないでしょ? 殺すっていうのは、生きてるから使える言葉だもんね」
「ねえ、それ良い話? それとも怖い話?」
なんか、ちょっと感動しかけたのに、ネロの最後の話で台無しにされた気分だ。
魔王。よく分からない存在である。
(まあ、魔族もよく分からないんだけど)
殺すと言われて喜ぶ趣味は、メルヴィナにはない。
はあ、と目頭を押さえた。
「もういいわ。ありがとう、教えてくれて。実は魔王や魔族のことって、あまり文献に載ってないのよ。だから訊いてみたんだけど……。とりあえず、魔王も魔族も変態だってことは分かったわね」
「なんで!?」
それが自分のせいだとは、全く思わないネロだった。
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