聖女は先代を恨みます
「「誰?」」
少女とネロの声が重なった。
「えっ、あ、ぼ、僕たちっ? 僕たちはその……」
「こんにちは。私はヴェステル王国第一王女、メルヴィナ・リストークです」
慌てるネロと違い、メルヴィナは至極冷静に応えた。
ネロが隣で「誰きみ」と目を見開いているが、猫をかぶったメルヴィナはさらっと流す。
でも、メルヴィナには目の前の少女の見当がついていた。
聖女、と名乗らなかったのは、少女にとっても〝王女メルヴィナ〟のほうが親しみやすいだろうと思ったからだ。
なぜなら彼女は。
「メル、ヴィナ? もしかして、メルちゃん?」
「はい、お久しぶりです。シャーロット」
「メルちゃん……!」
少女は勢いよく立ち上がると、そのままメルヴィナに抱きついてきた。
メルヴィナより一つだけ年下の彼女だが、その見た目は童顔といっていいほど幼い。プラチナに近い金髪は、メルヴィナが知っている頃より艶がない。
「シャーロット……ロッティ。どうして泣いているんですか? それに、あなたがここにいるということは……」
シャーロット・アルマ=ニーア。彼女はアルマ=ニーアの第三王女である。
つまり、王女がここにいるということは、ここはアルマ=ニーアの王宮である可能性が高い。
いや、本当は薄々気づいていた。今まで歩いてきた道は、ヴェステン宮殿と造りが似ていて、なんとなく、見覚えがある気がしていたから。
「メルちゃん、メルちゃんっ。お願い、助けて。ヴァリオを、助けて……!」
「え? コスド様?」
またしてもヴァリオの名前が出てきた。魔王といい、シャーロットといい、ヴァリオはいったい、何に関与しているのか。
それに「助けて」とは、穏やかじゃない。
「ロッティ、落ち着いてください。いったい何があったんですか。それに、あなたはずっと病気だったんじゃ?」
「違うの。病気なんかじゃない。お父様が、勝手に……っ」
「ねえ、聖女様」
シャーロットを慰めていたら、ネロがいつのまにか寝台の横に立っていた。
メルヴィナは顔を上げて応える。ネロは寝台を指差していた。
「この人間、死んでるよ」
「!?」
「あ、だめっ、触らないで!!」
「ロッティ!」
シャーロットがネロに突進していく。正しくは、ネロを押しのけようとして、ひょいと躱されていたが。
「ごめんなさい、ごめんなさい。でもだめなの。お母様に何かあったら、お父様が気づいてしまうから」
「お母様?」
驚いたメルヴィナは、寝台まで駆け寄った。
この部屋唯一の家具の上に横たわっている人物は、なるほど確かに、メルヴィナも幼い頃に会ったことがあるアルマ=ニーア王妃で間違いない。
とても優しい目をした、優しすぎる人だった。
しかし、アルマ=ニーア王妃が亡くなった話なんて、聞いたこともない。
「ネロ、眠っているだけじゃないの?」
「ううん、死んでるよ。そうだよね? えっと、シャーロット王女?」
「…………」
シャーロットは、少し悩むそぶりを見せてから、小さくこくりと頷いた。
「そんなっ……本当なの? でもだって」
死んでいるにしては、王妃はとても綺麗だった。
メルヴィナは死体なんて見たことはないけれど、知識では知っている。
「いつ、お亡くなりに?」
「……半年前に」
「そんな前に!?」
だったら余計に異常だ。まるで眠っているようにしか見えないのに。
「魔術がかかってるみたいだよ。時間を止めてる。でも、完全じゃないんだね」
今度はシャーロットが驚く番だった。
魔術に詳しい人間でないと、そこまで正確には分からない。現に、シャーロットはよく分かっていない。ただ、たまに訪れる魔術師がぼやくことを聞いて、なんとなく状況を理解しているだけだ。
「あなた、魔術師なの?」
訊いて、しかしシャーロットはようやく気づいた。ネロの紅の瞳に。
「……! 目が、
それまでは、旧知のメルヴィナに会えた喜びや、現状への恐怖や不安でいっぱいいっぱいだった。だから気づかなかった。
でも、紅の瞳がどういうものか、シャーロットも知っていた。
「どうして魔族が……!?」
シャーロットはがたがたと身体を震えさせて、メルヴィナの背中に隠れる。
「ロッティ、落ち着いてください。彼はネロです。ネロは、良い魔族なんです」
「……いい、魔族?」
「その紹介はどうかと思うよ、聖女様」
なぜかネロが苦笑する。この紅の瞳を見た人間がどんな反応をするか、ネロは少ない経験でも知っていた。
恐怖に慄き、逃げる、攻撃する、死んだふりをする。だいたいこの三つの反応をされる。最後のは熊か、と突っ込んでやりたい。
「それよりさ、今こっちに向かってきてる魔力が二つほどあるんだけど、どうする?」
「えっ。なにそれ」
「まずいわ! きっとお父様よ」
「お父様って、アルマ=ニーア国王のことですよね? さっきから思ってましたけど、ロッティ、なぜ国王陛下に怯えているんです?」
「そ、れは……」
シャーロットは、目に見えて狼狽えた。
そのとき、彼女の首筋に見えたものに、ネロがはっきりと反応した。
「君、なにこれ!」
「ネロ? どうしたの?」
「これ! すごい量の瘴気が溜めてある!」
「瘴気!?」
メルヴィナもシャーロットの首筋を見た。魔術印が刻まれている。
指摘されたシャーロットは、かわいそうなくらい顔を青ざめさせていた。奥歯までカチカチと鳴り始めている。
「魔術で閉じ込めてあるんだよ。だから全然気づかなかった」
「ネロ、これ、どういうものなの?」
「えっと、たぶん、これを仕掛けた魔術師の気分次第で……」
溜まっている瘴気が身体に流れ出し、死ぬか、魔物になるか、どちらかだろうと。
「なんなのよそれ!」
「ぼ、僕に言われても!」
「これ、どうにかできないの!?」
「だから僕に言われても! そういうのは君のほうが得意なんじゃないの!?」
ネロが叫んだと同時、重い鉄の扉が外から開けられた。
差し込む廊下の灯りに、三人はドキリと心臓を揺らす。
「これはこれは……こんなところにおったのか、ヴェステルの王女よ。いや、聖女殿」
ローブを羽織った人間を三人従えて、アルマ=ニーア国王がゆったりと近づいてくる。
「隠し通路を使われるとは、さすがに思ってなかったよ。よくあの迷路に突っ込もうと思ったね。あれの怖さを知らない君ではないだろうに」
「……お久しぶりでございます、アルマ=ニーア国王陛下。こんな格好で申し訳ありません。なにぶん、非道な魔術師に誘拐され、命からがら逃げている途中ですので」
暗に「おまえが黒幕かコノヤロー」と喧嘩を売ってみたのだが、そこで反応したのは、意外にもローブを羽織った一人だった。
「ぶっ、はははは! ここでそんな喧嘩売るとか、さすがメルヴィナちゃん。だてに色男の影響受けてないね」
その、声は。
その呼び方は。
メルヴィナは知らず息を呑む。
男がゆっくりとローブを脱いだ。そこから現れたのは。
「やっほー、元気してた?」
「「あぁーーーーっっ!!」」
ヴァリオ・コスド。魔王討伐隊の剣士である。
メルヴィナと共に大声を上げたのは、ネロだ。
「いた! 見つけた! うわよかったこれで魔王様に叱られずにすむぅぅうう」
メルヴィナは、咄嗟にネロを背中に隠した。
「ちょっとネロ! 今はそんなことどうでもいいのよ! あと目!」
隠しなさい! と小声で言う。ネロもまた、小声で反論した。
「よくないよ! 失敗は許さないって言われてるんだよ!? これ失敗したら……僕……僕っ、絶対魔王様に
え?
「ネロ? あの、あなたと魔王って、そういう関係だったの?」
場違いにも、メルヴィナの顔が赤くなった。同性同士であろう二人のそういう関係を想像して、メルヴィナは挙動不審になってしまう。無駄に察しのいいメルヴィナである。
だって、ネロが弄ばれるなんて言うから。
「そういう関係ってなに!? 違うよ!? ただ拷問されるだけだよ!」
「……それもそれでどうかと思うわ」
おかげで冷静になった。呆れ目になったのは仕方がない。
オホンッ。と誰かの咳き込む声がした。
「そろそろいいかね」
「「あ……」」
ここが敵陣であることをすっかり忘れていた二人である。
「ってそうよ! コスド様、なぜあなたがここにいるんです? アランたちは?」
「んー、今頃的外れの魔物でも追っかけてんじゃない?」
「……質問を変えます。なぜあなたは、私を連れ去った魔術師と一緒にいるんです?」
ローブを羽織っているのは三人。そのうちの一人がヴァリオだった。
残りの二人のうち、一人は見覚えがある。たとえフードで顔が見えにくくても、少しでも見えるならメルヴィナは間違えない。
なぜなら、彼女が王女だから。完璧な王女と囁かれるメルヴィナは、人の顔を覚えるのが得意だった。
「へぇ、すごいなメルヴィナちゃん。せいか〜い」
ヴァリオが魔術師のフードを勝手に剥ぎ取る。
それを迷惑そうに睨んでいる男は、やはりメルヴィナをここで迎えた魔術師だった。
とすると。
「残りのお一人は、私を送り出した魔術師の方ですね?」
「またまたせいか〜い」
ヴァリオがまたフードを取る。
ふざけているのだろうか。
「コスド様、あなた方の目的はなんですか?」
「んー? それはねぇ」
「ヴァリオ、ぺらぺら喋りすぎた」
「えー、いいじゃないっすか。どうせ話さないとやってもらえないっすよ?」
「……」
国王に対してもあの態度なのか、と少しだけ感心する。
ヴァリオは、寝台に視線を移した。
「メルヴィナちゃん、聖女ってさ、浄化以外にも特別な力があるんだよね?」
メルヴィナは動揺を悟られまいと、極力瞳に力を入れた。
「隠しても無駄だよ。メルヴィナちゃんはさ、先代聖女様のことを知ってる? あの人、どうやら日記を書くことが好きだったみたいでさ」
知っている。先代聖女と言わず、歴代聖女のことを、メルヴィナはよく知っている。
彼女たちの魂が、メルヴィナに受け継がれているから。
「その日記がさあ、見つかったんだよね」
「見つかった?」
それがなんだというのだろう。
確かに先代聖女ヴィラは、日記に鬱憤を書き連ねるのが好きだった。そこで吐き出して、周囲にはそんな自分を見せない。彼女はそうやって聖女として在り続けた。
だからきっと、見つかった日記には、彼女にとっての黒歴史しか書かれていないだろう。気の毒ではあるけれど、それが聖女の秘密に繋がっているわけがない。
(いくらヴィラでも、まさか秘密を日記に書いたりなんて……)
「その日記に、聖女は死んだ人間を蘇らせることができるって書いてあったんだ」
「っんぐ」
思わず、盛大にむせてしまった。
(ヴ、ヴィラーーー!?)
叫びそうになったのを堪えるかわりに、内心で元凶の名前を叫ぶ。
まさかだった。まさかの、日記に書いていた。聖女にとっての最重要機密事項を。
しかもそれを、発見されていた。
「あ、やっば。ごめんねメルヴィナ。てへ」なんてお茶目に舌を出す彼女が簡単に想像できる。泣きたい。
「というわけで、メルヴィナちゃん。そこにおられる王妃殿下を、ささっと蘇らせてくんない?」
ヴァリオのそれは、メルヴィナにとっての死刑宣告そのものだった。
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