聖女は魔王を呼びます


 聖女は、瘴気を浄化することができる。

 それは浄化の力と呼ばれ、万民が知っていることである。

 対して、聖女以外は知らない力を、聖女は神から与えられていた。己の命を対価に、死んだ人間を生き返らせる力だ。

 どうして神がこんな力を与えたのか。それは聖女にも分からない。

 ただ、歴代聖女の魂を受け継ぐ聖女たちは、この力は秘すべきものであると判断し、決して誰にも言わなかった。というのも、遥か昔、この力を巡って数多の争いが起きたからだ。

 だからメルヴィナも、家族はもちろん、アランにさえ伝えたことはない。

 伝えたことはないのだが。


「ほら、メルヴィナちゃん。さっさとやってよ」


 まさかの先代が日記に書いていた。

 

(日記……! 日記ってなに!? ヴィラ、後で覚えてなさいよ!)


 きゃーっ、とヴィラの魂が逃げていく。それを呆れた目で見ているのは、歴代聖女の魂だ。


「コスド様、まさかそんな力、いくら聖女とはいえありません」

「やらないと、そこの王女がどうなっても知らないよ?」


 ハッとする。

 気を取られていたうちに、魔術師の一人がシャーロットの後ろにいた。男は、彼女の首筋を晒した。

 そこには魔術印が刻まれている。瘴気が溜められているところだ。


「どうしてですか! シャーロット王女はあなた方の王女でしょう。それを、人質みたいなことにっ」

「みたい、じゃなくて、人質なんだよ、メルヴィナちゃん」


 そう言ったヴァリオが、あまりに真剣にメルヴィナを見つめてくるから。

 メルヴィナも負けじと睨み返す。ヴァリオの真意を探ろうとして。


「聖女よ。ヴァリオの言うとおり、早くやってくれぬか。余は待ちくたびれた。早く我が妻に会いたいのだよ」

「……そのために、娘を人質にして?」

「尊い犠牲だ。仕方あるまい。たった一つの大切なものには変えられぬ。それに、娘を犠牲にするような性格でもあるまい、慈悲深き聖女なら」


 メルヴィナは、つい笑ってしまった。ふふ、と。

 なにが慈悲深き聖女だ。そんな女、ここにはいない。たった一つの恋に振り回され、嫉妬に狂う、醜い女ならいるけれど。


「そうですね。私は慈悲深き聖女です。シャーロットを犠牲になんてできません」

「そうだろう。ならば、早くやっておくれ。こんな茶番を仕掛けたのも、全ては愛する妻のため! 彼女にもう一度会えるなら、余はなんでもいいのだ!」


 ここにも、愛に振り回されている男がいる。

 アルマ=ニーア王妃は、それはそれは美しく、メルヴィナなんかよりも慈悲深い人だった。夫を愛し、子を愛し、民を愛し、全てに愛された女性だった。

 メルヴィナとしても、親戚の叔母が亡くなったように悲しい。


「ですが、約束してください」

「なにをだね?」

「これは聖女の命を対価とするもの。今後一切、この秘密を外に漏らさないと」


 そこまでは知らなかったのか、ヴァリオが一瞬目を見開いた。

 それでも、アルマ=ニーア国王の態度は変わらない。


「ああ、よかろう。約束しようとも」

「ちょっと待った!」


 しかしそこで、ネロが邪魔をした。


「聖女の命を対価? だめに決まってるよ!」


 彼としては、メルヴィナに死なれてアランが怒り狂うほうが恐ろしいのだ。

 でも、そんなネロをメルヴィナが制した。瞳を晒さないようにという意味も込めて、頭をぐっと押さえつける。


「大丈夫だから、私を信じて」


 ぽつりとそれだけ言って、メルヴィナは王妃の元へと進み出る。

 やはり綺麗だ。とても死んでいるとは思えない。

 

(お悔やみ申し上げます、王妃様。そして、ごめんなさい)


 メルヴィナは胸の前で両手を組んだ。まるで神に祈るように。

 聖女の力は、いつだってそんなふうに行使される。力を与えてくれた神に、感謝を捧げるように――。

 メルヴィナの身体から、淡い光が浮かび上がった。


 *

 

 最初に異変に気づいたのは、誰だったか。

 シャーロットを拘束していた魔術師だったかもしれない。

 けれど、彼が異変を伝えるより早く、メルヴィナのが完成した。

 

「――コスド様っ!!」


 メルヴィナが叫ぶ。ヴァリオが風のごとき速さで魔術師の間合いに入った。

 不意を突かれた魔術師は、シャーロットを捕らえていた手を離してしまう。

 そのままヴァリオ渾身の回し蹴りをくらい、遠くの壁まで飛ばされる。ヴァリオはシャーロットを腕の中に収めると、すぐに魔術印を確認した。


「! 消えてる」

「え、え? あの、ヴァリオ?」

「よかったっ、消えてる……!」


 はぁぁぁとヴァリオが長い溜息を吐く。それは安堵の溜息だった。

 しかし安心したのも束の間、状況の暗転を察したもう一人の魔術師が、迷うことなくメルヴィナに向かった。


「メルヴィナちゃん!」


 ヴァリオが助けに入ろうとするが、間に合わない。どうすると足踏みしたとき、メルヴィナの前に小柄な少年が立ち塞がった。


「ネロ!?」

「ぼ、僕だって、やるときはやるんだから!」


 氷のつぶてが現れる。自分と同等くらいのスピードで行われた魔術展開に、男は一瞬動揺した。

 防御の魔術を展開する。そのとき、男は見てしまった。ネロのあかく光る瞳を。


「な、魔族だと……!?」

「僕はまだ、魔王様に殺されたくないんだーっ!」


 意味の分からない叫び声を上げながら、ネロが男につぶてを放つ。

 小さく無数の攻撃が男を襲った。障壁でなんとか防ぐが、防ぎ切れなかったいくつかが身体に当たっている。


「や、やめろおまえたち! ソフィアに当たるではないか!」


 国王が必死に妻を守ろうと、彼女の身体に覆いかぶさった。

 国王がやったことは、人として、父親として最悪だが、夫としては分からないでもない。メルヴィナは、途端にこの国王が憎めなくなってきた。自分の命も顧みない行動には、むしろ尊敬の念すら抱きそうだ。


「うるさい! 魔術研究の投資をしてくれるというから乗ったが、こちらの邪魔をするなら別だ。おい、いい加減起きろファゼル!」


 男が、ヴァリオに気絶させられていた仲間に声をかける。

 

「ファゼル、魔族だ! 初めて見る。実験できるぞ!」

「う……なんだって?」

「だから魔族だよ! 本物の、くれないの瞳だ!」

「なんだって!?」


 気絶していた男が起き上がる。その勢いたるや、引っこ抜かれた芋のようだった。


「俺が聖女を捕まえる」

「なら俺が魔族だね。いいねいいね。いいねぇ〜。実験材料が豊富じゃないか。ぐふふふ」

「素が出てるぞ、ファゼル」

「ヨダレが止まらないよぉ」


 ファゼルと呼ばれた男は、本当にだらだらとよだれを垂らしている。それを見て、もう一人の男は眼鏡の奥を呆れ目にさせていた。

 が、標的とされたメルヴィナとネロは、二人して気持ち悪いものでも見るように顔を強張らせていた。


「なにあれ、きたなっ」

「同感だわ。でもこれだけは間違いないわね。捕まったら、終わりよ!」


 伸びてきたムチのようなものを、メルヴィナとネロは同時に躱した。分断される。

 ネロはメルヴィナの元に駆け寄ろうとするが、ファゼルと呼ばれた気味の悪い男に足止めされてしまう。

 一方、メルヴィナは、神経質そうな眼鏡の男と対峙していた。ヴァリオは、シャーロットを守るので手一杯らしい。そのまま彼女を守ってなさいと、メルヴィナは視線で告げた。


「さて。できれば無傷で連れ帰りたい。大人しく捕まる気は?」

「ありません」

「言うと思った」


 ムチが伸びてくる。どうやらさっきの攻撃もこの男のものだったらしい。非戦闘員のメルヴィナが、そんな何回も避けられるような攻撃じゃない。

 足首を捕らえられ、これ見よがしに逆さ吊りにされた。


「ちょっと!? 私今、ワンピースなんですが!」


 聖女の猫も、羞恥には耐えられない。

 スカートの部分を押さえていないと、危うく下着が見えてしまう。


「いい眺めだな」

「変態!!」

「失礼だな。お世辞を言ってやったのに。あいにく俺は、人の女にしか興味がない」

「やっぱり変態じゃないの!」


 思わず力一杯突っ込んだが、それがいけなかった。ただでさえ逆さまになって、頭に血が上っている。おかげでくらくらしてきた。

 なんとか足に絡まるムチを外そうともがいてみるが、如何せん、腹筋が足りない。

 しかし、そのときだった。

 

「まぁぁぁぞぉぉぉくぅぅうう」


 ファゼルが、奇声を上げながら広範囲魔術を使ったのだ。


「!? あのバ――」


 カ、と続くはずだったのだろう。

 けれどその前に、両目を開けていられないほどの光がカッと広がった。

 メルヴィナの身体が衝撃を受ける。まるで強風に押されたような、風圧の塊をぶつけられたような、そんな衝撃だった。

 窓が割れる音。誰かの悲鳴。何かが壊れる音。

 その全てが、遠くに聞こえる。


「聖女様ッ!」

「――え?」


 ネロの呼ぶ声が聞こえて、メルヴィナは目を開けた。視界の中では、ボロボロのネロが、破壊されて露わになった部屋から必死に手を伸ばしている。

 その距離が、あまりにも遠くて。

 しかも、どうしてネロは、メルヴィナよりずっと下にいるのだろう。

 

(ああ違うわ。私のほうが、高くなってる?)


 呑気にそんなことを考えていたら、次に浮遊感に襲われた。

 空が、いつもより近い。


(って、まさかこれ――)


 メルヴィナは吹き飛ばされていた。


「い、やぁぁぁああああ!!」


 急速に身体が落ちていく。気持ち悪い。吐きそうだ。

 それにこのままでは、地面に落ちて……


(ああああ下なんか見るんじゃなかった!!)


 もうだめ……。

 そう思ったら、急に過去の映像がフラッシュバックし始める。

 最初に見えたのは、アランと初めて会ったときのこと。次に、アランと初めて喧嘩をしたときのこと。原因は確か、メルヴィナが兄にキスをしたからだ。といっても、頬にだが。しかしアランにとっては、どうやら許しがたいことだったらしい。結局その日以来、メルヴィナは兄や父にもキスをしないと決めた。後が面倒だったから。

 初めてアランが他の女性とダンスを踊っているのを見たときは、胸を刺されたような痛みを感じたことを覚えている。元はといえばメルヴィナが悪いのだが――意地を張って他の女性を勧めたのはメルヴィナである――あのときは久しぶりに枕を濡らした。

 年々酷くなっていくアランの変態ぶりに呆れながらも、でも安心していた自分もいて。

 彼にとって、自分はまだ、大切な聖女様なのだと。


(やだわ、これ、走馬灯というやつよね)


 まるで世界から切り離されてしまったように、何も聞こえない。無音の世界に侵されている。

 

(死ぬときって、こんな感じなのね。好きな人以外と結婚する未来より、ある意味幸せなのかしら?)


 だって、こんなときに思い出したのが、アランのことばかりなのだ。

 もう重症だろう。これでどうしてアランへの想いを断ち切れると思ったのか。他の男の元に嫁げると思ったのか。


(私は、聖女だから)


 たとえ死んでも、次の聖女の元にいく。

 そうすれば、またアランに会えるだろうか。彼に自分は視えないけれど、自分はまた、アランを見ることができるだろうか。

 だって、今生ではもう、会えそうにないから――


(――なあんて、そんな悲観ばっかりして泣き寝入りするような女じゃないわよ、私は!)


 そんなか弱い女だったら、そもそもメルヴィナは父王に願っていない。アランを生涯の騎士にと。


(私は図々しい女なの。最期はせめて、アランに見送られながらじゃないと納得しないわ!)


 素早く視線を走らせる。

 掴むものはない。下は完全なる地面。クッションになる植物さえない。

 浄化の力で何かできないか。考える。できない。


(詰んでるじゃないの!)


 ちょっと本気で焦ってきた。焦るのが遅すぎる。


(やばいやばいやばいわ。ほんとこれ、どうすれば……っ)


 呼ぶ。心の中で。

 今一番助けてほしくて、今一番会いたい人の名前を。

 アラン。アラン。アラン。


「っ、どこにいるのよ、アラーーーンッ!」


 そのとき。


「――ここに。ここにおります、メルヴィナ様」


 落下していた身体が、急にぴたりと止まった。

 気持ち悪くない。代わりに温かいものに包まれている。


「ああ、メルヴィナ様。遅くなってしまい、大変申し訳ございませんでした。間に合ってよかった」

「ア、ラン?」

「はい、アランです。メルヴィナ様がお呼びになった、アランです」

「アラッ、アラン! あなた、遅い、のよっ」


 鼻を掠める彼の匂いに、涙が勝手に込み上げる。


「お仕置きでしたら後ほど。たっぷりとかわいがられたい所存ですので、よろしくお願いいたします。――ただ、その前に」


 アランの深い青眼に、金の揺らめきが混じる。


「私直々に、生き地獄を味わわせなければならない輩がいますので、そちらを優先させてください」


 メルヴィナの「絶対お仕置きなんかしないわよ」という冷静なツッコミは、残念ながら誰の耳にも届かなかった。


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