聖女と魔王の行く末は
結局、魔王を討伐する必要がなくなった討伐隊は、そのままヴェステル王国に帰還――というわけにもいかず。
「当然ですわ。だって、メルヴィナ様誘拐事件はなかったことにするのでしょう? では、それなりの行程を経て、あたかも魔王を倒しましたと言わんばかりのお顔で帰還しませんと」
エレーナのこの言葉により、一行はしばらく身を隠すことにした。
なぜか、
「いやなんで!? 本当になんで!?」
ジルのツッコミは最もである。
「いいじゃありませんの。アラン様もゆっくりしていいと仰ってるんですし」
「つーかチビは馴染み……ぐぉぉおおああ」
「あら、ごめんあそばせ」
ジルが悶絶する。二度と呼ぶなと忠告されたのに、彼はまたエレーナを「チビ」と呼んだ。その報復をされただけだ。どこに、というのは野暮だろう。
「でもさぁ、なんで俺まで?」
「そんなの、あなたも剣士だからでしょう」
「マジかよぉ。せっかくシャーロットと心置きなくイチャイチャできると思ったのにぃ」
「自業自得ですわ」
「それ言われると痛いわー」
帰ろうと思えば帰れるのに、ヴァリオはなんだかんだ言って留まっている。罪悪感と感謝の表れだろうか。
「それで、メルヴィナちゃんは?」
「今日はまだ見てませんわね。もうすぐ来るのでは?」
というのも、魔王城に身を置くことになってから、このちょっとした広間が一行の溜まり場になっているからだ。
やることもなく、迂闊に外を歩けば魔族と遭遇。アランはメルヴィナ以外については襲うなとも何とも言っていないので、ジルやヴァリオ、エレーナは容赦なく襲われる。それも「ひっ。人間!? 来るなぁああ!」というなんとも複雑な理由で。
「まあ、ゆっくり待ちましょう。きっとアラン様のところでしょうし――」
と、エレーナに判断されたメルヴィナは、ただ今絶賛ピンチに陥っていた。
外柱廊を歩いていたら、目の前には、いつぞやのアランの密会相手がいる。顔は見ていない。が、この羨ましすぎるプロポーションは、間違いなくあの夜の女性だ。
「お初にお目にかかります。私はネル。アラン様の側近です」
「は、はい。これはご丁寧に。メルヴィナと申します」
なんて、呑気に挨拶を交わしている場合ではない。魔王城に来て早数日だが、アランが四六時中そばにいたため、メルヴィナは初めてネロ以外の魔族と出くわした。
それが、まさか、アランの恋人とはどういうことだ。聖女なのに、どうやらついに神に見捨てられたらしい。
「えーと、ネルさん?」
「なんでしょうか」
「いえ、それは私のセリフと言いますか」
メルヴィナが左に動けば、対面のネルは右に動く。メルヴィナが右に動けば、ネルは左に動いた。つまり、通せんぼをくらっているのはメルヴィナだ。
(これ、やっぱり気づかれて怒ってるんじゃ……?)
メルヴィナが、アランをずっと自分のそばに縛りつけようとしていることを。
彼の恋人からすれば、それはそれは面白くない話だろう。文句を言いたいに違いない。
だったら心置きなく言ってくれ、反論するから。と、いつ戦闘を開始しようかメルヴィナは悩んでいた。
(私だってアランが好きなのよ。恋人の座を奪われたのに、他の座まで誰が渡すもんですか)
今ならどんな喧嘩でも買えそうな気がする。一度死にそうになったからだろうか。あんな後悔はもうしたくない。
――かかってこい。
そんな気持ちで相手を見つめた。
すると、
「あなたは、アラン様のことをどう思ってるんですか?」
(き、きた!)
ついに、試合のゴングが鳴った。
「それはもちろん、す、好きです」
「ふ。そこで噛むなんて、とんだお子様ですね」
(ぐふっ)
右ストレートだ。
「そ、そういうあなたはどうなんですか」
「もちろん愛してます」
(あいっ……!?)
今度は左フックがお見舞いされた。
「あなたはアラン様を愛していないのですか? その程度の想いだと?」
「まさか! 私だってアランのこと、あい、あ、愛してますけど!?」
「そうですか」
興味なさそうに打たれた相槌は、まるでカウンターを受けた気分だ。
メルヴィナは、ここまで悔しい思いをしたのが初めてだった。
だからか、いつになくムキになってしまう。
「よ、余裕なんですね。さすが、アランの恋人です」
「……は?」
「ですが、私にだってプライドというものがあります。私のほうが、あなたよりずっとずっとアランをあい、愛してるんですから! どうせ私がアランと結婚できないからって余裕なのかもしれませんが、私は、絶対、アランを離しません! あなたに返してなんてあげませんからっ」
はぁ、はぁ、と大きく呼吸する。
言ってやった、という達成感が大きかった。
しかし、どうやら相手はまだ戦えるようだ。
「へぇ? 私のこと、アラン様の恋人だと分かってるっていうなら、これも当然分かってますよね? 私はアラン様とキスしたことだってあるし、それ以上のことだって、やってるんですよ?」
(キ、キス……!? それ以上のこと!?)
だめだ。これはだめだ。ドロップキックがもろに入った。泣きそうだ。立ち上がれそうにない。
(いいえ、ここで負けたら女が廃るわ)
立て、立つんだメルヴィナ!
「だったら私は、私はっ――」
しかし、何も思い浮かばなかった。
(ま、負けた……!)
膝から崩折れる。試合終了のゴングが鳴った。
一人落ち込むメルヴィナは、だから気づかない。
メルヴィナの後ろから、アランがやってきたことに。気づいたネルは、動揺することもなく、静かに一礼して去っていく。
もともとネルがこんなことをしたのも、アランに頼まれてのことだった。
(あの方は、罰という意味をよく分かっていらっしゃる)
二人に背を向け歩くネルは、悲しげに瞼を伏せた。これは、メルヴィナに殺気を向けた罰だ。
どんな拷問よりも、ネルを傷つけることに成功している。
(本当に、酷い方だ)
でも、好きになってしまったのだから仕方ない。ある意味晴れ晴れとした思いで、ネルは兄の元に向かうのだった。
*
「メルヴィナ様」
ネルが去ったことにも気づいていないメルヴィナは、その声でようやくアランの登場に気づく。
「ア、アラン!? あなたいつのまにっ」
「つい先ほどです。皆様のところに行くのでしょう? 一緒に参ります」
「え、でも」
そしてここで、ネルがいないことにようやく気づいたメルヴィナである。
「メルヴィナ様?」
アランは心なしか、機嫌が良いようだ。メルヴィナの沈んだ心とは裏腹に。
それがなんだか憎らしくて。
「アランは、私なんかより、恋人といたいんじゃないの?」
だから、こんなかわいくないことを言ってしまう。
「私に恋人はおりませんが」
「嘘はいいわ。だって私、見たもの」
「といいますと?」
「アランが夜、女性と抱き合っているところ。彼女、魔族なのね。だから私には隠してたの?」
「違いますよ」
「じゃあ」
「違うというのは、彼女が私の恋人ではないという意味です」
「え……?」
でも、抱き合ってたわよね? とメルヴィナが言外に問い詰める。
「あれは、まあ、彼女が魔族だったので、それを隠すために致し方なくです。あのときは、私も正体を隠していましたし」
「そう、なの?」
「そうですよ。もしかしてネルに何か言われました? 彼女は人で遊ぶのが好きなので、遊ばれたのですね」
「そうなの!?」
「ええ」
アランが蕩けたような瞳になる。
やっぱり今日の彼はご機嫌だ。なぜかこちらが照れてしまう。
「ところでメルヴィナ様。メルヴィナ様は、どうやら私の恋人を気にしているご様子。なぜですか?」
「な、なぜって」
「今までそんなことを訊かれたことはなかったので、私も気になってしまいます」
「そ、そうだったかしら?」
「そうですよ。私がどれだけあなたを嫉妬させようとしても、あなたは全く興味がなさそうでしたのに」
「あなた、そんなことしてたの……?」
我知らず頬が引きつった。なんて傍迷惑な。
「してましたよ。だって私は、メルヴィナ様の周りにいる男に、いつも嫉妬していましたから。不公平だと思ったのです。私ばかり、メルヴィナ様を想っている気がして」
「な、にを」
「私はいつも伝えてきました。愛しいメルヴィナ様、と。私はいつも、あなただけを想っております。行動でも、そう示してきたはずですが」
「ちょっと、アラン? いきなりどうしたの?」
「いきなりではありません」
瞬きの間に、メルヴィナの背中には壁があって、至近距離にアランの顔がある。
視線を逸らさないよう顎を捕らえられて、逃げたくても逃げられない熱い瞳と見つめ合う。
「メルヴィナ様、私は、あなたを愛しております。あなたを愛しているから、この城を出て、あなたの元に居続けました」
心臓が苦しいくらいに鳴っている。
こんなアランは初めて見る。いや、一度だけ似たような彼の熱を感じたことはあるけれど、結局あれはからかわれていただけだった。少なくともメルヴィナはそう思っている。
だから、こんな、自分を一人の女として求めてくる彼は、初めてだった。
「メルヴィナ様に嫌われたくない、軽蔑されたくないからこそ、この想いを敬愛に見せかけました。でも、それももう限界だったのです。いつ暴走してもおかしくないくらい」
「アラン……」
「なのにあなたは、偽物の勇者なんかと結婚しようとしていた。それを知ったときの私の気持ちが、あなたに分かりますか……?」
「アラン、待って、聞いてアラン」
「いいえ、聞くのはあなたです。勇者はあの男ではありません。私こそが勇者です! 偽物なんかに、あなたをとられたくなどありません……!」
そう、アランは――アランこそが、本物の勇者だったのだ。メルヴィナたちは魔王の真実を知ってしまった。
魔王とは、元勇者である。
いや、本来神は、勇者や魔王なんてものを作らなかった。ここまで複雑な物語を作ったのは、人間だったのだ。
最初はただシンプルに、瘴気を浄化する女と、魔物を屠る男がいた。神はその二人だけを生んだ。
やがて時を経て、定期的に増える魔物に辟易した人間は、魔物を操る王がいるのではと考え始める。
そこにちょうど、神によって選ばれた男が、聖剣を手にして現れた。勇者の誕生だ。
しかしなんてことはない。本当は、魔物を屠るために選ばれていた先代が力を失い、次代が選ばれただけのことだったのだ。
聖剣には、根元に水晶がはめ込まれている。その水晶が黒く濁ったときが、持ち主の寿命が尽きるとき。
そして、寿命が尽きる前に、神は新たな聖剣の持ち主を選び出す。
「アランは、もう何年生きてきたの?」
「……覚えてません。百は優に超えてますが」
「すごいわね」
神の力を手にした男は、人と違う時間を生きる。だからこそ、人とともに過ごせなかった。過去、偉大な使命を抱いているはずの男を、人は畏怖し、しまいには気味悪がった。同じでない。たったそれだけの理由で。
だからある代の男は、遠い南大陸に居を構えた。そこは未開拓地だった。
そして、独りに耐えられなかった男は、神から受け継いだ力で〝仲間〟を作ろうとしたのだ。それが魔族の誕生である。
「じゃあアランは、そんなにも長い間、ずっと頑張ってきたのね」
偽りの世界で、人のために、たった一人で。
瘴気を生み出すのは、人の負の感情だ。それが溜まり、魔物が生まれる。生まれた魔物を人知れず滅するのが、男の役目。
そして元凶である瘴気を浄化するのが、女の役目。瘴気に当てられ短命な女を補うために、神は、男をより強く作ったという。
「ええ。でも、いい加減疲れていたんです。自分の運命がバカらしくなっていた。そんなとき、あなたと出会ったんです」
今でも、彼女の強烈なひと言を覚えている。
目が覚めるような思いだった。
「私はそのときから、ずっとあなたが好きでした。なのにどうして、メルヴィナ様は勇者のものになろうとするんです?」
「……やっぱり、知っていたの」
「当然です。私は耳がいいですから」
アランが甘えるようにメルヴィナの首に顔を埋めてきた。
くすぐったいけれど、振り払う気にはなれない。
「まだ次代は選ばれていません。なら、人の言う勇者は私であるはずです。あなたは私のものだ」
「ええ、そうね。そうよ」
「……メルヴィナ様?」
「私はあなたのものよ、アラン」
そんなの、ずっと前からそうだった。
ずっと前から、心は彼のものだった。
「私もね、アランが好き。ずっとずっと好きだったの。あなたが魔王でも、勇者でも、どっちでもいいわ。あなたがあなたであるなら、どっちでもよかったの……」
アランの頭をぎゅっと抱きしめる。
そう、どっちでもよかった。なんでもよかった。彼が彼であるならば。
「あなたが、私の騎士でもよかったの」
気づいてしまった。死ぬかもしれないと思ったとき、なんで告白しなかったんだろうと。なんで、彼ともっと向き合わなかったのだろうと。
死んで会えなくなることに比べれば、他に怖いものなどなかったのに。
「もう、後戻りできないほど、あなたを愛してるって気づいちゃったの」
「メルヴィナ様……」
「だから、ちゃんと責任とってよね」
「お任せください。メルヴィナ様が覚悟を決めたとあらば、このアラン、たとえ王だろうが神だろうが蹴散らしてやりましょう」
「蹴散らすのはやめて」
実にアランらしいけれど。知らず目元が緩んだ。
「じゃ、そうと決まれば頑張らなきゃね!」
「何をです?」
「帰ったら大変よ。お父様にお兄様に、お母様はまあ、大丈夫かしら。納得させないといけない人たちがたくさんいるわ」
「メルヴィナ様は穏便を望みますか?」
あれ、なんか怖い確認をされている。
「そ、そうね。望むわ」
「分かりました。では、穏便に納得してもらいましょう」
逆に、穏便じゃない方法って? と訊いてみたら……
「メルヴィナ様が、私の子を孕むことです」
さらりと告げられて、魔王城にパァンという盛大な音が響いたとか響かなかったとか。
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