聖女は攫われました


 人の良さそうな聖職者に案内されたメルヴィナは、部屋に荷物を置いた。

 内装は、ここもセス・テーナ教会も変わらない。シンプルだ。寝台があり、テーブルがあり、ソファがある。

 メルヴィナは、さっそく部屋の窓を開けた。


「アルマ=ニーアは、思ったより瘴気が少ないのですね」


 話しかけたのは、案内してくれた聖職者にだ。彼はまだ扉で待機してくれていた。もしかすると、この後に礼拝堂にも案内してくれるのかもしれない。

 

「そうですね。その必要がないから、と申し上げておきましょうか」

「え?」


 メルヴィナが振り返る。

 驚くことに、聖職者のローブを羽織った彼は、いつのまにか真後ろにいた。

 彼の顔には笑みが浮かんでいる。でも、メルヴィナは直感した。これは笑顔なんかじゃない。

 たまにアランがするような、笑っているのに笑っていない顔。怒り。いや、目の前の男の場合は、本心を隠そうとして――。


「それ以上近寄らないでください。いきなりなんですか?」

「察しは良いようですね。でも、危機管理能力は弱そうだ」

「はい?」

「だめですよ。危険を感じたなら、即座に叫ばないと」


 男がニィと口角を歪めた。そのときだ。

 メルヴィナの隣にあった窓が、ガシャンッと音を立てて割れたのは。

 割ったのは、黒い翼を持つ、異形のモノ。魔物だ。


「なんでっ――」

「あなたはその魔物に襲われるのです、聖女様」


 男の笑みが深まる。自分の足元に、いつのまにか術式が刻まれていた。

 メルヴィナが男の正体に気づくと同時、魔物に身体を拘束される。術が発動した。


(これは、転移……!?)


 メルヴィナは、エレーナが使う転移を何度も見ている。だから術の正体もすぐに分かった。

 廊下から、いくつもの騒がしい足音が聞こえてくる。


「誰か、誰か来てください!」


 男がわざとらしく叫んだ。その声に応えるようにして、


「メルヴィナ様……!」


 アランの声が聞こえた。姿は見えない。でも、助けに来てくれている。アランが。

 メルヴィナも、アランの名前を呼ぼうとして。


「……――――」


 しかし、それは声にはならず、メルヴィナは一人どことも分からない場所へと転移させられてしまったのだった。

 





「おい、どうなってんだよ!」


 怒鳴ったのは、ジルだ。窓が割れるような音が耳をつんざいたと思ったら、魔物の気配が急に現れたのだ。

 しかも、聖女の元に。


「アラン、お姫様は」

「……やられました。すでに連れていかれた後です」

「はあ!? の割にはなんかおまえ、落ち着いてね?」

「これが、落ち着いていると……?」


 ギギィ、とアランの背後で地獄の門が開く。これはかなり怒っている。激怒だ。もうちょっとでその門から地獄の番人でも出てきそうな雰囲気である。

 静かに怒る奴ほど怖いというのは経験上で知っているため、ジルは「なんでもない」と高速で首を振った。


「ところで、そこのあなた」

「は、はい」


 アランに呼び止められ、メルヴィナを案内した聖職者が応じる。


「あなたは、メルヴィナ様が連れていかれるのを黙って見ていたのですか?」

「す、すみませんっ。その、魔物が思ったより大きくて……怖くて……」

「おいアラン。戦えない奴を責めるのは筋違いだろ。だいたい、魔物の気配を察せなかったのは俺らなんだから」

「あなたは黙ってなさい。私はこの方に訊いているのです」

「あ? この状況で黙れってか?」

「では、魔物はどんな魔物でした?」

「今度は無視かよ!」

「え、えーと、黒い翼の生えた、大きな鳥みたいな」

「魔物はどちらに向かって飛んでいきましたか?」

「あっちです。あっちの、南のほうに」

「なるほど」


 アランは黙って考え込む。

 隣でジルが喚いているが、完全にシカトを決め込んだようだ。いや、これはもう聞こえていないに違いない。

 冷静でいるように見せかけて、今のアランははらわたが煮えくり返っている。メルヴィナのことしか頭にない。だから、他事を聞いている余裕なんてないのである。

 そして、何よりも一番許せないのが、目の前でメルヴィナを攫われた自分だった。


(油断しました。まさか、こんな隙を狙われるとは)


 いつもなら絶対に離れなかった。でも今日は、昨晩のことがあってか、メルヴィナがどこかよそよそしかったのだ。それに気づいていたから、アランは気を遣ってメルヴィナから離れた。彼女は悩むとき、だいたい一人にしてほしそうにするから。

 今回も、その気配を読み取ったがゆえの行動だったのだが。


(こんなことなら、やはり一人にしなければよかった!)


 たとえそれが、メルヴィナからの懇願だったとしても。

 彼女を一人にすれば、危ないことは分かりきっていたのに。


「アラン様、人払いをお願いできますか?」


 するとそのとき、ジルとともに駆けつけていたエレーナが、アランに耳打ちした。


「ついでにあちらの聖職者を、どなたかに監視してもらえるようお願いしたいのですが」

「んじゃ、それは俺がやろーか?」


 二人の会話にヴァリオが割って入る。

 いつのまにか彼も来ていたらしい。

 エレーナは迷うことなく「お願いしますわ」と聖職者をヴァリオに預けた。

 人払いを済ませると、ここにはエレーナとアラン、そしてジルの三人だけが残る。


「ギュンターヴ様、それで、いかがなさいました?」

「ええ。ちょっとここを見ていてくださいませ」


 エレーナが杖を掲げる。

 宙に式を描くと、たちまちそれが淡く光り出した。アランには、見たこともない術式だった。

 そもそもアランは、昔ながらの術式なら知っているが、最近のものは知らない。式などなくとも魔術が使えるし、自ら式を編み出そうとする気力は彼にはなかった。

 さらに言うなら、彼はメルヴィナと出会うまで、ほとんど引きこもりのような生活を送っていたのだ。


「これは、この部屋であったことを再現する術式ですわ」

「!」


 だから、そんな術式が開発されていたなんて、アランは全く知らなかった。


「ただし、少しお時間をいただきますの。これには魔力も使いますし、まだ試作段階ですので」

「お願いします、ギュンターヴ様。協力なら惜しみません」

「ありがとうございますわ。お二人には、魔術が完成した後、ここに映し出される映像を見ていてほしいのです」


 曰く、この魔術を使った後のエレーナは、しばらく使いものにならなくなるから、とのことだった。

 そうまでして、魔力を使ってくれるのは。

 

「メルヴィナ様はわたくしの友人ですのよ。わたくしは、友人を奪われて何もしないほど薄情な人間ではありませんの」

「チビっ子……」


 ジルが感動に胸を震わせる。最近は魔王へんたいとか魔王へんたいとか魔王へんたいとばかり接していたからか、こんなふうに心温まる話には心が弱くなっている。

 涙腺が緩みかけた。が。


「ジル様、今度わたくしをそうお呼びになったら、あなたの息子を使えなくしますわよ」

「すみませんでした!!!」


 涙は一瞬で引っ込んだ。


「とにかく、後のことは任せましたわ。アラン様はあの聖職者をお疑いなのでしょう?」

「……ええ、まあ」

「はあ? なんで?」

「あなたに教える義理はありません」

「ほんとてめーはムカつくな」

「こんなときに喧嘩はおやめなさい。ですが、アラン様の直感にわたくしも賛成です」

「げ、マジかよ。なんで?」

「あの方から、魔力の残滓を感じたからです」

「ん??」


 ジルがよく分からない、といった顔をする。

 魔術師でもないジルだから、仕方がないと言えば仕方がないのだ。けれど、アランは面倒くさそうに嘆息する。


「あなた、仮にも勇者でしょう。魔力を使っていないわけでもないのに、気づかなかったんですか?」

「あー、俺、魔力ってイマイチ分かんねぇから」

「それでどうやって魔力を使っているのです?」


 ジルが聖剣と魔術の合わせ技を放つのを、アランも見たことがある。


「え、勘だけど?」


 これには、エレーナも絶句した。天才と謳われる彼女でさえ、勘で魔術を使ったことはない。


「むしろ、それ以外ってどうやんの?」

「あなたに訊いた私が馬鹿でした」

「あん? 喧嘩売ってんのかてめぇ」

「とにかく! 聖職者であるあの方から魔力の残滓を感じた。これはおかしいのですわ」

「へぇ。なんで?」

「聖職者は魔力ではなく、神力を扱うからですわ」


 エレーナの説明に、ジルがようやく「あ、そういえば!」と納得する。

 そう、聖職者は神力を使う。神力とは、名の通り神の力。神から分け与えられた力だ。だからなのか、それは結界などの守るための力に特化にしている。

 そしてそういう理由があるから、〝神官〟として一行に加わったアランは、下手に魔力が使えなかったのだ。


「魔力と神力は全く違うものですわ。相容れないと言ってもいいものです。二つの力を一緒に持つ者はおりません。つまり」

「つまり、あのメガネが嘘をついてるってわけか」


 エレーナは頷いた。


「それと、もう一つ」


 そしてアランが、瞳をこれまで以上に鋭くさせて付け足す。


「彼は、魔物は南に行ったと証言しました」


 南。その方向が重要なのだと、アランは言う。


「南には何がありますか?」

「海」

「馬鹿には聞いてません」

「てめっ」

「ヴォルスゲニア、ですわね」

「その通りです、ギュンターヴ様」

「はあ? ヴォルスゲニアって、魔王のいる、南大陸の?」


 つかおまえが魔王だろ? とジルは言外に詰る。

 アランはそれを軽く流すと、少しの真実を明かした。


「魔物は、南には絶対に行きません。南に王がいると知っているからです」

「……つまりどういう意味ですの?」

「魔物は、魔王には近づきません。自分を滅ぼす存在に、誰が好き好んで近づきたいと思いますか?」

「え?」

「は?」


 ジルとエレーナが、二人してぽかんと口を開けた。無理もない。人間は、嘘偽りで固められた歴史しか学んでいないのだから。

 魔物は魔王が作り出すモノ。人間は、そう語り繋いでいる。

 しかし真実は違う。魔王が作り出すのは、魔族だけだ。魔物は、瘴気からしか生まれない。

 そして、その瘴気を生み出しているのは――


「ですから、、魔物は南には行かないのですよ。絶対にね」


 やがて、エレーナの魔術が完成する。


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