魔王は暴走しました
「クラウゼ様には、助けてもらったお礼を伝えただけよ」
「助けてもらった?」
「ほら、あのとき場の雰囲気が悪くなりそうだったでしょ?」
メルヴィナはあえてヴァリオの名前には触れず、仄めかすような言い方を選んだ。
そして自分のその選択が正しかったことを、すぐに実感する。
「ああ……あのときというのは、ヴァリオ・コスドの軽薄な発言のときですね。あれは私も彼をどう料理すべきか色々と考えましたよ」
名前から敬称が抜けていることから、アランの怒りが伝わってくる。
同時に彼の笑みが凄絶に艶めいたものに変化したことから、その本気度が伝わってきた。
(そうよ……なんで忘れてたの。アランは本気で怒れば怒るほど、なんかよく分からない色気が出るんだったわ……!)
おかげでこんな悪循環な図式ができあがる。
アランの容姿に惹かれたご令嬢たちが、アランに近づく。メルヴィナの名誉を守るためにもそんなご令嬢たちを無下にできないアランは、笑顔で彼女たちの相手をする。気をよくしたご令嬢たちがさらに群がる。アラン、その間メルヴィナのそばにいられない。ご令嬢は諦めない。
やがてアランが苛々してくる。それが増すごとに、なぜかアランの笑みには黒く艶めいたものが帯び始める。ご令嬢、その色気に当てられノックアウト。
正直、その光景をはたから見ていれば、なぜアランの隠しもしない苛立ちに気づかないのかと不思議ではあるのだが――実際遠巻きにそれを見ている紳士たちは、皆一様に顔を青ざめさせている――どうやらご令嬢たちには、アランの不機嫌な態度も魅力の一つであるらしかった。
アランの苛立ちが完全に爆発する前に、何度兄からあれを止めてこいと目で訴えられたことか。
「あのね、アラン。私は別にそこまで気にしていないし、クラウゼ様のおかげであの場は収まったでしょう? だからこの話はこれで終わりよ」
「メルヴィナ様がそう仰るのであれば、私もあれに関しては口を閉ざしましょう。しかしそれだけではないですよね? 彼と話したことは」
彼、というのは、もちろんジルのことだろう。
確かにそれだけではないのだが、なぜそんなところで勘がいいのか。優秀な自分の護衛騎士が、こういうときはなんだか憎い。
「別に大した話じゃないわ。今日も天気がいいですね、くらいの世間話よ」
「そうですか。ではメルヴィナ様は、今日も天気がいいですね、くらいの世間話でお顔をいちごのように真っ赤に
「!?」
「先ほどのように、そのお顔を私がさせたというのならおいしくいただくだけなのですが……」
なんだか不穏な表現が聞こえた。
「けれど、それが他の男の影響であるならば、私はそれを摘み取らねばなりません。この場合、もちろん摘み取るのはいちご本体ではなく、その原因となった病原菌のほうを、ですが」
やっぱり不穏な言葉が聞こえる。
怖い。何が怖いって、アランなら本当にそれをしてしまうと知っているから恐ろしい。
「わ、私、そんなに赤くなってたかしら」
「無自覚ですか? それはもっといただけ――」
「待って! 違うわ、もちろん気づいてたわ。クラウゼ様とは、あなたのことを話していたのよ」
「……私のこと、ですか?」
「そうよ。だからクラウゼ様は何も関係ないの」
ジルに被害がいくなんてたまったものじゃない。と考えたメルヴィナは、残念ながらアランの微弱な変化には気づかない。
アラン自身も気取られまいと、仮面の下に感情を押し込めて、ジルと自分の何について話したのかを探ろうとする。まさか、自分の正体についてだろうか、と。
「いけない方ですね、メルヴィナ様は。私に関する話を、私のいないところでされるなんて。どんなお話をしたのです? 私への不満? 怒り? それとも、私を捨てて彼を護衛騎士にと、そんなお話でしょうか?」
「なんでそうなるの!」
完全に話があらぬ方向へと飛んでいる。そのせいか、メルヴィナはなかばやけになりながら答えた。
「私はただ訊かれただけよ。あなたのことをどう思っているのかって。だからあなたへの不満でも怒りでもなく、ましてや護衛交代の話なんて露ほどもしていないわ!」
予想外のことを返されて、アランはぽかんとした。どうやら自分の正体についてではなかったらしい。
けれど、それはそれで、気になるものがある。
「メルヴィナ様が、私のことを、どう思っているか?」
「そうよ」
なぜか胸を張って頷くメルヴィナに、アランは「それで?」と続きを促した。
「それでメルヴィナ様は、なんとお答えしたのです?」
「…………優秀な護衛だと答えたわ」
「!」
そのとき、アランの瞳に映ったのは、頬に朱を差しながら、ふいっと顔を逸らしたメルヴィナだった。
本当に彼女は気づいているのだろうか。自分が今、どんな顔をしているのか。そしてその反応が、アランにどんな期待を与えるのかを。
「メルヴィナ様、私は、優秀な護衛ですか? 本当に、それだけ?」
だから、アランは思わずそう訊いてしまっていた。期待がふつふつと沸き起こってくる。
でも、これは仕方ないと思う。自分のことを話しながらそんな顔をされたら、アランにとってはたまったものじゃないのだから。愚かにも、その言葉以上の感情を望んでしまう。
「それだけって訊かれても」
「たとえば、私のことを、人として慕っているとか」
「したっ!?」
途端、メルヴィナの顔から火が吹いた。ここまで分かりやすく顔色を変える人もいないだろう。
そんな反応をされると、止まらなくなる。
「あくまで、人としてですよ」
「ひ、人ね。そうね。そうよね」
「で、どうですか?」
「それは、もちろんよ。人としてね、人としてなら、嫌いじゃないわ」
「では、好き?」
「すっ……!?」
面白いくらい反応する。それを見逃すまいと、アランはメルヴィナの顔をしっかりと覗き込む。彼女を抱きしめる手に力を込めて、もっと、と無意識のうちに求めてしまう。
もっと、自分のことでいっぱいになってほしい。
「ねぇ、メルヴィナ様。私のこと、好きですか?」
「ひとっ、人としてね!? 人としてならそうかもね!?」
「好き?」
「だ、だから、そうね」
「ちゃんと言ってください。好きですか? もしメルヴィナ様に嫌われていたら、私はもう立ち直れません。メルヴィナ様の騎士を辞職するしか……」
「〜〜っそ、れは、ずるいわ!」
「辞職してほしくないなら、言ってください。好きだって」
「あ、あくまで、人としてよ? 人としてなら、その、好きよ」
その、瞬間。
「〜〜〜〜っっ」
あまりの破壊力に、アランは声もなく悶えた。
「好き」という言葉がこんなに甘美なら、もっと早く言わせればよかったと後悔もする。
今まで絶対に一線を越えようとしなかったのは、メルヴィナが必死にその線を守っているように見えたからだ。それに、越えたが最後、自分も色々な抑制ができなくなると分かっていたからでもある。
抱きしめたい。キスをしたい。甘やかしたい。閉じ込めたい。
現に今、これらの欲望が溢れそうになっている。
もっと強く抱きしめて、触れて、めちゃくちゃにしたい。自分なしでは生きられないように。他の男なんてその瞳に映さないように。
もっともっと、自分だけのものに。
――私だけの、メルヴィナ様に。
「メルヴィナ様……メルヴィナ様っ」
「ア、アラン? なに?」
「申し訳ございません、メルヴィナ様。少し、調子に乗ってしまったようです。もう止められない。どうか……どうか不快だと感じたならば、私を傷つけてでもお逃げください」
「ちょっ、アランっ?」
言いながら、アランがメルヴィナの手のひらに口づける。軽くリップ音を響かせると、今度は垂れた蜜でも舐めとるように、舌をぺろりと滑らせた。そして一滴も残すまいと、見えない蜜を啜るがごとく、強く、深く、メルヴィナの手を食べていく。
メルヴィナは放心していた。何が起きているのか分からなかった。脳は、この行為の理解を拒否している。
しかしそのとき、アランと視線がばっちり重なる。
「っ、」
青い瞳は、見たことがないほど情欲の焔に揺らめいていた。
鼓動は信じられないほど胸を叩き出して、自分でもどうすればいいのか分からない。
その間にも、アランのキスは止まらない。挨拶のそれでも、彼お得意の忠誠のためのそれでもない。
まるで瑞々しい果実を
(これは、本格的にまずいわ……!)
メルヴィナが内心で焦っていると、あろうことかアランは、次にメルヴィナの細い指を自分の口元に寄せた。
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