魔王は聖女を攻めます


 用意された部屋に着いたメルヴィナは、その扉を開けようとして――しかしどういうわけか、先に扉のほうが内側に引かれた。

 メルヴィナが「え?」と思ったときには、アランが中から顔を出す。さっきまで話題の中心だった彼だ。そのせいで、メルヴィナは変に慌ててしまった。


「ア、アラン!? どうしてここに」


 部屋に行ったんじゃないの? という疑問は、アランの無言の笑みによって飲み込まされる。


「お待ちしておりました、メルヴィナ様。私は、メルヴィナ様の就寝のお手伝いに参った次第です」


 いつもどおり、という言葉をやけに強調された。メルヴィナがアランの登場に驚いた仕返しだろうか。なんとなく気まずい思いが胸中に広がる。

 ちらりと彼を盗み見れば、それに気づいたアランが笑みを深くした。

 その瞬間、背筋がぞくりと震える。

 いつもの優しい微笑みとはあまりに違うアランの様子に、メルヴィナは知らず喉を鳴らしていた。

 蛇に睨まれた蛙。猫の前の鼠。あるいは鷹の前の雀の気分だ。


「それにしても、メルヴィナ様? おかしいですね。私は確か、寄り道などせずまっすぐお部屋に行ってくださいね、と申し上げたはずですが」


 違う。これはもう、泣く子も黙る大魔王様だ。


「よ、寄り道は、してないわ」


 アランから放たれる無言の圧力に、メルヴィナは意図せずどもってしまった。別に悪いことをしていたわけでもないのに、なぜかアランの目を見られない。


(こんなアラン、初めて見るわ)


 やはり言われたとおりにしなかったのがいけなかったのか。でも、寄り道は本当にしていない。

 この部屋に行く途中で、少しジルと会話しただけだ。心の中でそう弁明してみるも、アランの醸し出す雰囲気が恐ろしすぎて、声には出せなかった。

 すると。


「そうですか。では、メルヴィナ様に一つ良いことを教えて差し上げましょう」


 アランが一歩、コツンと足音を響かせる。


「あなた様は私に隠し事をするとき、必ず視線を合わせようといたしません。いつもなら聖女のお役目について悩んでおられるようでしたので、私もあまり出過ぎた真似はしないよう自制しておりました。ですが、今回は違いますよね?」


 ゆっくりと、確実に距離を縮められている。

 それに抵抗するように、メルヴィナは無意識に左足を引いていた。

 アランの深い青眼が、いよいよ笑わなくなる。口元だけが、かろうじて微笑みをたたえているくらいだ。

 それが余計に怖くて、メルヴィナは右足も引いていた。


「だめですよ、メルヴィナ様。私から逃げるおつもりですか? では、質問を改めましょう。ここに来るまでのわずかな時間で、いったいどなたと、何をしていらしたのです?」

「それは……」



 ――〝お姫様はさ、アランのこと、どう思ってる?〟



 脳裏に浮かんだその問いに、メルヴィナの頬はまた勝手に熱を帯びた。表情なら、メルヴィナはいくらでも誤魔化せる。でも身体の熱まではコントロールできない。

 そして、敬愛するあるじのその変化に、忠実なしもべである彼が気づかないはずがなかった。


「メルヴィナ様、あなたは……」


 アランの表情から、一切の感情が消えた。代わりに現れたのは、肌を刺すような圧迫感だ。

 

(なに、この感じ。アラン……?)


 明らかにいつもの彼と違う。メルヴィナは完全に困惑していた。アランがここまで怒りを向けてきたのは初めてだ。

 いや、これは怒りなのだろうか。なんだかちょっと違う気がして、メルヴィナは余計に分からなくなっていた。

 少しだけ、そんな彼を怖いと思ってしまう。

 それを見透かされたのか、急に腕を引っ張られる。抵抗もできずに捕らわれると、背後で扉が閉まる音がした。

 慣れているはずの二人きりが、今はなぜか緊張する。不安、にも似ているような。

 ああ、逃げられない。そう思った。


「ねぇ、メルヴィナ様?」


 耳元でアランの吐息がくすぐる。反射的に身を引こうとしたけれど、腰をがっちりと押さえられていて抜け出すこともままならない。

 アランの匂いがする。香水とは違う、不思議な匂い。夜の匂いに似ていて、優しいのに、どこか危険な香りだ。

 それを意識すれば、今度は心臓が勝手に暴れ出した。


(ま、まずいわ。これじゃバレるのも時間の問題……!)


 離して、とアランを強く拒む。しかしどんなに力を込めて押し返そうとも、アランはびくともしなかった。むしろ押しつけられるようにさらに身体が密着する。


「残念ですけれど、そんなかわいらしい力で本気で私を拒絶できるとお思いですか?」


 くす、と。アランの笑った吐息が頭にかかる。そのくすぐったさに、メルヴィナはたまらず身体を震わせた。

 甘い毒だ。全ての力を抜けさせる、甘い毒を流し込まれたよう。

 

「かわいそうなメルヴィナ様。あなた様がどれだけ頑張っても、私は離れてなんて差し上げませんよ? それで、とはどんなお話をしていたのでしょう? 隠すということは、私に知られたくないお話だったのでしょうか」

「!?」


 アランの口からジルの名前が出てきて、メルヴィナの心臓が違う意味でドキリとした。だって、ジルの名前は欠片も出していなかったのに。

 どうして、と視線で訊ねる。


「微量ですが、あなた様から彼の匂いがするのですよ。私は人より色々と優れていますから、それくらい分かります」


 つぅと、アランの細長い指が、メルヴィナのうなじを味わうようになぞっていく。

 彼が唇を動かすたびに、それが今にも耳朶にれそうで気が気でない。


「っ、アラン、ふざけてるのね? あまり私をからかわないで。とにかく離れてくれる?」

「お断りします」


 ここまでにべもない彼も初めてだ。

 アランはたまに強引に自分の意見を通すことがあるけれど――今回の旅の同行しかり――こんなふうに迫ってくることは一度だってなかった。

 忠誠を誓うためのキスを、と迫られることはあっても、やはりそこに妖しい気配などみじんも感じなかった。

 そこにあるのは、行きすぎた忠誠心だけだ。だからこそ、メルヴィナは今まで平気だった。アランにとって自分が対象にならないのなら、自分の想いが暴走することもないだろうと。

 たぶん、高を括っていた。

 

(なのに、今は違う。これじゃまるで……)


 まるで、自分の中の想いを暴こうとされているような。

 嫉妬に似た怒りを滲ませ、アランに見つめられるだけで。メルヴィナの中の秘めた想いが、彼の真意を知りたいと疼き出す。

 今まで頑なに守ってきたものを、自ら壊してしまいそうで、それが何より恐ろしい。

 だって、この関係を続けるのが、一番長く彼といられる方法だと知っているから。


(そう、絶対にだめなのよ。だって私、もの。この関係でないと、アランと一緒にいられなくなる……!)


 なのにどうして、彼は急にこんなことをするのだろう。せっかく穏やかな関係を続けていられたのに、その均衡を壊されたらもう無理だ。ギリギリのところで抑えていた想いは、ちょっとした拍子に溢れてしまう。

 それが、彼との最後だと分かっていても。


「かわいそうなメルヴィナ様。そんなに泣きそうな顔をされても、私を煽るだけですよ?」

「っ……かわいそうだと思うなら、離して」

「強気なメルヴィナ様も素敵です」

「意味が分からないわ」

「ええ、そうでしょうね。ですが、存外私は楽しくなってきたみたいです」


 この一言には、メルヴィナの混乱がさらに加速する。


「楽しい……? なんで?」

「メルヴィナ様が、こうして私に反応してくださるからです。頬も、耳も、首筋も。ほら、れたところから真っ赤になる」

「っめて……っ」


 言いながら、ゆっくりと滑っていくアランの指に、おかしくなるくらい神経が集中した。まるで見えない軌跡を描かれているように、そこから熱が灯っていく。

 やがて、その細くて綺麗な指が鎖骨にまで下りていくと、アランが瞳に悦を滲ませながらその輪郭をすうっとなぞった。

 その瞬間、意図せず背筋が震えた。

 アランが満足そうに目を細める。

 全てを誤魔化すように、メルヴィナは慌てて口を開いた。


「アラン、いい加減にして。私をからかっても楽しくないわよ」

「からかうなど」

「じゃあどうして急にこんなことをするの? いつもはこんなことしないじゃない。私に怒ってるから、だからこんなことをするんでしょ?」

「いいえ? 私は最初から怒ってはおりませんよ。あなた様には」


 それはつまり、相手がメルヴィナでないにせよ、やっぱり怒っていたということではないか。


「私がメルヴィナ様に怒りをぶつけるなど、とんでもない。ただ、少しはあなた様にも、自覚をしていただこうかと思いまして」

「自覚……?」


 はい、といい笑顔で頷くアランは、絶対ろくなことを考えていない。メルヴィナはそう直感した。


「その前に、メルヴィナ様には最後のチャンスを与えて差し上げましょう。ジル・クラウゼ様と、何を話していたのです?」

「それを言ったら、あなたが今企んでることはしないと約束する?」

「さすがメルヴィナ様。私が何を考えているのか、お分かりになるのですか?」

「分からないから怖いのよ!」

「それでも、私が何かを企んでいることは分かるのですね」


 自分の直感が肯定されれば、メルヴィナの頬は思いきり引きつっていた。


「待って。話すわ。話すから何もしないで」


 何をされるのかは知らなくても、やっぱりそれがろくでもないことであるのは間違いない。だってアランのブルーモーメントのように深い青眼が、いつの間にか獲物を捕らえるときの目つきになっていたから。


「では、どうぞ?」


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