魔王の帰還です


 あれから、魔物の襲撃に遭うこともなく、メルヴィナは無事に浄化を済ませて、ヴァリオとともに祈りの間を出ていた。

 出て、その横に申し訳程度に備え付けられているベンチに並んで腰を下ろしている。

 ヴァリオは楽しそうに隣のメルヴィナに話しかけ、一見、メルヴィナもそれに応えているかのように見受けられる。

 しかしよく見ると、社交界で妖精と噂されるほど可憐なメルヴィナの顔は、ヴァリオとは対照的にどこか暗い。


「お、見ろよメルヴィナちゃん。聖女が浄化したおかげで、灰色の空が晴れてるぞ」

「……そうですね」

「まあ、まだ魔王を倒してねぇから、完全な晴天とはいかないか。ジルには頑張ってもらわねぇとな」

「……そうですね」

「にしても、魔王ってどんな奴だろうなぁ。魔族すらお目にかかったことないから、その王っていうと全く想像つかねぇよなぁ」

「……そう、ですね」


 第三者が二人の会話を聞いていれば、これは会話じゃないと断言してくれただろう。けど、当の本人たちは気づいていない。

 片や、物憂げに何かを考え込んでいて。

 片や、勝手に話を進めていくマイペース。

 この組み合わせはよろしくない。しかも、メルヴィナは同じ答えしか返していないというのに、それでも外面的には会話が成立してしまっているところが余計によくなかった。

 これでは、互いに通じ合っていないという違和感すら、二人は抱けない。


「メルヴィナちゃんはさ、魔王ってどんな奴だと思う?」

「そうですね……」

「ちなみに俺は、悪臭放ってどす黒くて見るに堪えない容貌をした野獣のような奴……ってイメージかな」

「そうですね」

「お、メルヴィナちゃんもそう思う? やっぱ魔王っていったらそうだよなぁ。俺の知り合いにさぁ、物語に影響受けた奴がいて『魔王はきっと、こんな感じに美人さんですよ』とか口走るバカがいて」

「そうですね」


 すると、ここでようやくヴァリオが「ん?」とメルヴィナの異変に気がついた。

 ヴァリオの知り合いとは会ったことがないはずのメルヴィナが、ここで「そうですね」と返すのはおかしい。ゆえに、自分たちの会話が成り立っていないことに気づいたのだ。

 ジルがいれば「いや遅ぇよ!」と全力で突っ込んでくれただろうが、彼は今頃別の問題児に振り回されていることだろう。


「……えーと、メルヴィナちゃん?」

「そうですね」


 いや、何が「そうですね」なのか。

 メルヴィナは今にも溜息をつきそうな雰囲気だ。何かを考え込むように厳しい表情で、心ここにあらずといった感じだ。

 ヴァリオがメルヴィナの顔の前で大きく手を振ってみても、メルヴィナからはまた謎の「そうですね」発言がもたらされる。

 そして「これは面白い」と思うのが、ヴァリオ・コスドという人間だった。


「実は俺、あんたが好きなんだ」


 とりあえず、ド直球にぶっ込んでみた。

 ぶっ込まれたメルヴィナはというと、


「そうですね」


 やはり変わらない返答である。


「でもごめんな。あんたは初心な女の次くらいかな」

「そうですね」

「……でもさ、一夜の恋くらいなら、許されると思わね?」

「そうですね」


 いや、許されるわけないだろう。言った本人のヴァリオが心の中で突っ込んだ。

 なんというか、ここまで反応が薄いと男としてどうなのか。ここはいっそさらに踏み込んで、照れる顔の一つでも見ないと気が済まない。

 そんなよく分からない対抗心を燃やし始めてしまったヴァリオを、残念なことに止める人間はここにはいない。

 熱い眼差しでメルヴィナを見つめ、まるで月光を溶かし込んだようだと形容されるメルヴィナのつややかな金髪を、手でするりと絡め取っていく。


「なぁ、メルヴィナちゃん。今宵俺に、あんたの大切な純潔を捧げてはくれないか?」


 これほどわざとらしく直接的な表現を使ったのは、まずはメルヴィナの意識を自分に向けさせたかったからだ。

 これならさすがに反応せずにはいられないだろう。と、そう思ったが。

 ヴァリオが上目遣いで様子を窺うも、彼女の紫の瞳がヴァリオを映すことはやはりない。

 それがなんとなく面白くないと感じたのは、そこそこ女性にモテるはずの自分が、全く相手にされていないからだ。

 そして、もう一つ。

 薄々気づいてもいるからだろう。メルヴィナがこうなっている原因を。

 だっておそらく、彼女をそうさせた一端を、他でもないヴァリオ自身が担ってしまったのだから。


『ヴァリオ様、私たちも応援に行きましょう。アランたちが心配です』


 このベンチに腰掛ける前、そう言ったメルヴィナを「大丈夫だって」と軽くあしらったのはヴァリオである。

 たぶん、それからだ。メルヴィナがどこか落ち着きなく、黙り込んでしまったのは。

 今思えば、彼女は本人が言ったとおり、アランたちを心底心配していたのだろう。


(まあたぶん、確かにジルやエレーナ嬢のことも心配してんだろうが、一番はやっぱあの色男のことだろうな。……ったく、やりにくいったらないぜ)


 内心で毒づくも、それを一切表には出さない。

 ヴァリオはなかば八つ当たりのように続けた。


「ちなみに返事は、『そうですね』なら了承とみなすからな?」


 ちゅ、と軽く毛先に口づける。


「そうで……」


 そのとき。

 一陣の風が、二人の間を裂くように舞った。


「――何をしているのです? ヴァリオ・コスド」


 突然背後から落ちてきたのは、感情を極限まで抑えたような低い声だ。その瞬間、ヴァリオのうなじにぴりりとした悪寒が走る。

 急所くびに感じる冷たい感触を、できれば気のせいだと思いたかった。


「それ以上その穢らわしい手でメルヴィナ様に触れてみなさい。殺しますよ」


 まさに一瞬の出来事だ。

 視線を下にずらせば、かろうじて見える鈍色が鋭い光を放っている。全てが見えていなくても、その切っ先が今にも自分の首の皮を突き破ろうとしているのが、ヴァリオには感覚で分かってしまった。


「――っ」


 アルマ=ニーアでは負け知らずと名高い彼ですら、死の恐怖を感じる。

 突然の事態に嫌でも状況を呑み込まされたヴァリオは、知らず口に溜まった唾を嚥下した。その拍子に、ぷつと薄い皮が破られ、小さく赤い玉が肌の上に膨らむ。そのまま重力に従って、首筋に赤い軌跡が流れていった。

 待て、冗談だから。そう言いたくても、そのために喉を震わせることすらできそうにない。

 肌を刺すような緊張の中、すると、舞い上がった風に視界を奪われていたメルヴィナが、ようやくヴァリオの背後に現れたアランを認識した。


「アラン!? 何をしているの!」


 開けた視界の中で起きていた事態に、メルヴィナは咄嗟に反応していた。

 慌ててアランの手を止めようとして、けれど逆にメルヴィナのほうが伸ばした手を乱暴に引っ張られてしまう。あっという間にアランの腕の中にいた。

 覗き込んでくるアランの瞳は、その乱暴さとは裏腹に、大好きな飼い主に捨てられた仔犬のように寂しげで。

 理由が分からないメルヴィナは、思わずきょとんとしてしまう。


「ただいま戻りました、メルヴィナ様。お怪我などはございませんか? 魔物に襲われたりもしていませんね? 離れている間、私はあなた様が心配で心配で気が狂いそうでした。お願いですから、もう二度とご自身から私を離そうとしないでください」


 切ない声でそう吐露すると、アランはメルヴィナの肩をより一層強く抱き寄せる。

 メルヴィナの髪に顔を埋め、まるでメルヴィナの匂いを全て吸い取らんばかりに大きく息を吸い込んだ。


「はぁ……」


 吐き出された熱い吐息に、メルヴィナもようやくアランが帰ってきたことを実感する。

 彼のこんな変態行為なら、すでに慣れている。むしろその変態行為こそが、彼を「ああ本物のアランだわ」と思わせてくれたりもする。

 だから、メルヴィナは待ち望んだアランの帰還に、先の混乱など頭の中からすっかり消してしまっていた。

 代わりに顔を出したのは、メルヴィナのほうもずっと抱えていた心配だ。


「私なら大丈夫よ。そんなことより、アランは? 何もなかった? あなたが強いのは知っているけど、万が一があるもの。怪我はしていない?」

「ふふ、メルヴィナ様は心配性ですね。ああでも、畏れ多くもあなた様に心配していただけるのは、思っていた以上にグッときます。よろしければもう一度言っていただけませんか? 『アランは大丈夫だった?』と私の袖を掴みながらの上目遣いであればさらに興奮します」


 寂しげな瞳から一転。蕩けた様子で、かつメルヴィナの匂いを堪能しながらそう言ったアランに、


「勝手にイチャついてんじゃねぇぞこのバカップルめがぁぁあああ!」


 容赦ないツッコミが落ちてきた。というより、本当にジルの鉄拳がアランの短剣を持つ手に落とされる――直前。


「邪魔をしないでいただけませんか」


 アランが、無詠唱でジルに魔術を放つ。


「ちょっ」


 吹き飛ばされる、とジルが思うより早く、実際に身体がふわりと浮かんだ。

 そして次の瞬間、目も開けていられないほどの風圧によって、容赦なく後方へと飛ばされた。なす術もないジルの代わりに、その先ではエレーナが彼を受け止めるための魔術を展開している。

 仲間のおかげでなんとか事なきを得たジルは、もう我慢の限界を迎えていた。

 アランが魔王とか、そんなことはどうでもいい。それ以前に、理由は知らないが、自分の仲間ヴァリオを本気で殺そうとしていたことに腹が立った。

 それだけじゃない。先の魔物退治で、アランは本当にめちゃくちゃだったのだ。


「おいアラン! てめぇいい加減にしろよ! この際だから言わせてもらうがな、いくら早く戻りたいからって魔物をけしかけるだけけしかけて全部俺のとこに寄越したり隙を見て俺を攻撃したり挙げ句の果てにヴァリオまで殺そうとしたり……ふざけんなよっ。お姫様を守る以外では輝かなかったんじゃねぇのかよ!? おまえの剣は!」 

 

 ――え、そこ? 

 誰もが話の腰を折りたくなるようなことを、ジルが一気に捲し立てた。残念ながら、アランに効いている様子は全くないけれど。「それが何か?」とでも言いたげに首を傾けている。ジルが余計に憤慨したのは言うまでもない。

 かわりに――と言っていいものか――その主であるメルヴィナのほうが、顔色を真っ青に染めていた。


「アラン、どういうこと? クラウゼ様の言っていることは本当なの? ……とりあえず、コスド様から手を離しなさい」

「それはご命令ですか」

「……命令よ」


 メルヴィナにそう言われてしまっては、アランも渋々短剣をしまう。

 だがこれだけは譲れないというものが、アランにだってもちろんある。


「しかしメルヴィナ様、先ほどあなた様は、この男に何を囁かれておりました? 私の聞き間違いでなければ『あんたの大切な純潔を捧げてはくれないか』と、そう囁かれておりましたよね?」

「え」

「……マジ?」

「それは……」


 順にメルヴィナが驚き、ジルがぽかーんと口を開け、エレーナが頭を抱えた。

 それが確かなら、メルヴィナ至上主義のこの男がこれほど殺気を露わにした理由が分かるというものだ。だいたい、相手が王女とか聖女以前に、未婚の女性にそんなあからさまなことを言う男なんて、どの国でも最低とされている。

 ヴァリオのことに関しては、アランだけが悪いというわけではないらしい。


「さて、不思議ですね。なぜメルヴィナ様が驚いておられるのでしょう? あろうことにあなた様は、この神秘的な御髪に触れることをこの男にお許しになっていたのに?」


 至近距離から落ちてくる問いに、今度はメルヴィナが肝を冷やした。

 アランの目が、笑っているのに笑っていない。さっきの仔犬の幻覚はどうした。ついでに蕩けた笑みすら跡形もなくなっていて、その落差が余計に冷や汗を生む。

 

「メルヴィナ様。もしあなた様が青天白日だと仰るのなら、あなた様は私にこう命ずるだけで良いのです」


 彼の背後で、悪魔が笑う。


「――――れ、と」


 それは。

 それはもう、すっっっごくいい笑顔だった。


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