聖女は剣士とお留守番です


「メルヴィナちゃんってさぁ、実はあの騎士が大好きだよね」

「!?」


 神聖な空気漂う祈りの間へと足を踏み入れ、昨日と同じく奥の泉に入る寸前のこと。

 急にかけられたその声に、メルヴィナは驚いて顔から泉にダイブしそうになっていた。

 まあ、ようするに。ずっこけそうになったわけである。


「コホンッ。コスド様、いきなり変なことを仰らないでください」


 慌てて体勢を立て直して、なんでもないふうを装う。これから祝詞を捧げるというときに、雑念を持ち込ませないでほしいとメルヴィナは思う。

 しかも、なんてタイムリーな。


「別に変なことでもないと思うぜ? あんな色男にあそこまで尽くされちゃあ、女なら靡かないはずがない」

「アランとはあくまで主とその従者の関係です。邪推はやめてください」

「いやいや、邪推したくもなるって。――なぁ、メルヴィナちゃん。どうして俺を、今回の護衛に選んだんだ?」


 ん? とヴァリオが意地悪く口元に弧を描く。そのときの彼は、ただの軽薄そうな男ではなく、腹に一物抱えていそうな男の顔を覗かせていた。

 アランもときどきそんな笑い方をするが、そろって何を考えているのか分からない。


(どうしてこう、私の周りには厄介な人が多いんだか……)


 ひくり、と片頬が不自然に上がる。油断も隙もあったものじゃない。


「あらら、答えてくんないの? じゃあさ、俺が代わりに答えてやろうか」


 そう言ってふざけるこの男の口を、誰か永久に塞いではくれないだろうか。メルヴィナはわりと本気でそう願った。変人は一人アランで十分である。

 しかし、願いも虚しく、ヴァリオがからかうように続けた。


「これは俺の勘だけど、たぶん色男と喧嘩でもしたんだろ? だから二人きりにはなりたくない。かといってジルと二人きりになると、まあ色男が黙っちゃいないだろうな。なぁんか知んねぇけど、ジルのことめちゃくちゃ警戒してたから。その点、メルヴィナちゃんは偉いと思うぜ。色男に余計な心配をかけさせないように、自分に興味がなさそうな俺にしたんだろ?」


 当たってる? とヴァリオがニヤついてくる。


(悔しいけど、当たってるわ)


 まるで昨日のことを盗み聞きされていたのではと勘ぐりたくなるほど、その予想は的を射ていた。

 溜息をつきそうになって、なんとか寸前で飲み込む。


「ま、本当はエレーナ嬢が一番よかったんだろうけど、男三人じゃまとめ役がいないしな。いい選択だったんじゃねぇの」


 終いにはけらけらと笑い出したヴァリオを、メルヴィナは無言で見つめた。

 彼の言ったことは当たっている。では、じゃあ、そんなことをわざわざ掘り起こして当てて、彼は何がしたいのだろう。言ってしまえば、他人のことである。ヴァリオがそこまで他人に興味があるとは思えない。

 それに、軽薄そうな男だが、その瞳の奥には違うものが潜んでいると、メルヴィナは今気づいた。むしろ、それを隠すために軽薄さを装っているような。

 

(怒り、悲しみ、悔しさ……それと、焦り?)


 たぶん、大きくは外していないはず。だてに王女をやってきていないので、メルヴィナは人の感情を読み取るのは得意なほうだ。

 彼女のそんな視線に気づいたのか、ヴァリオが自分の感情をさらに隠すように、へらりと眉尻を下げてみせる。

 

「そんな見つめんなって。なに、メルヴィナちゃんってば、色男に飽きて本当に俺に興味持っちゃった?」

「そうですね。わざわざ軽薄そうに見せようとする真意を訊いてみたいと思うくらいには」


 メルヴィナがそう言うと、今度はヴァリオが面食らう番だった。

 しかし何を思ったのか、次には膝を叩きながら爆笑している。アランと同じくらい理解できない行動だ。


「うわマジか。やっぱ王女だなぁ。俺の演技なんてお見通しってわけだ」

「認めるのですね」

「んー、まあ、ね。でも、完全な演技ってわけでもないけどな。四割は素だぜ?」

「四割ですか」


 また微妙な。


「そー。でもほら、そこはメルヴィナちゃんなら解ってくれるだろ? あんただって、素は隠してるんだから」

「似た者同士、分かってしまいますよね」

「だな」


 きっと理由は違う。でも二人とも、自分を隠している。そういう意味で、似た者同士。


「ま、あんたの場合、色男のせいで剥がれてきてるけど」

「それは言わないでください」


 メルヴィナが苦い顔をすると、ヴァリオが「ははっ」と声を出して笑う。たぶん、そのときの彼は素だった、とメルヴィナは直感した。


「やー、メルヴィナちゃんが案外面白い子で困ったなぁ」

「?」

「俺としては、メルヴィナちゃんは嫌な子であってほしかったのにさぁ」


 それはどういう意味で受け取ればいいのだろう。メルヴィナのほうが困ってしまった。


「だってほら、聖人君子なんて、この世にいるわけないじゃんね? もしいたら俺、そいつのこと絶対好きになれねぇわ」

「はぁ……」

「人のためだけに生きてる奴なんて、なーんにも面白くねぇからな。自分の人生なんだから、自分のために生きないと」

「……それが許されない身でも?」

「んなもん、誰が許さないんだって話だろ。俺の人生に口を挟めるのは俺だけだ。だからさ」


 おちゃらけた表情から一転、ヴァリオの顔に、翳りが差す。


「だからさ、俺は、俺のために生きるよ。悪いな、メルヴィナちゃん」

「いえ、私に謝る必要はありませんが……?」


 やっぱり理解が難しい男である。彼はもうへらりと表情を崩していた。なんだか振り回されている気分だ。


「ま、あれだよ。俺は俺の大切にしたいものを優先するから、メルヴィナちゃんもちゃんと自分の大切なものは大切にしたほうがいいぜって話」

「そんなお話でしたか?」


 思わず半目になりそうだった。そんないい話だったろうか。適当にまとめられた感が否めない。


「やっぱ人生は一度きりだからなぁ。後悔はしちゃいけねぇよな」


 ヴァリオはまるで、ひとり言のように続ける。


「後悔は取り戻せないからダメだよな。あのときこうしておけばよかったって、後から気づいても遅いからなぁ」


 うんうん、と今度は一人納得しているようだ。

 それを見ていて、メルヴィナは思った。もしかして、と。


(もしかしてコスド様は、過去に取り戻せない後悔でもしたのかしら)


 彼の一人劇場は続いていたが、メルヴィナが口を挟める空気ではなかった。たぶんこれは、彼が本心を隠すため、わざと演じている部分なのだろう。


「いやぁ、ほんと、後悔はいけねぇや」


 彼が口を挟むな、と言うのなら。メルヴィナは口を挟まない。メルヴィナにだって他人に触れてほしくない本音がある。

 だからメルヴィナは、あえてヴァリオを放置した。泉の中に足を入れる。ちゃぷ、と水の音が木霊した。


「……――――」


 そのまま詠唱に入る。

 だから、気づきようもなかった。

 ヴァリオが、そんな自分を哀れむように見つめていただなんて。

 ヴァリオが、このときすでに、仲間を裏切ろうとしていたなんて。


「ごめんな、メルヴィナ王女」


 罪悪感に塗れた声は、神にも聖女にも届かなかった。


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