魔王がいたんですが


 対面式には、この国の王族と、城で働く側近や大臣、近衛騎士団長や魔術師団長など、国の重鎮たちが参加する。魔王の討伐に向かう前に行う、出発式のようなものだ。謁見の間で行われるそれは、非常に簡素なものだった。

 しかし、この後に待ち構えているのは、これの比にならないくらい盛大なパーティーである。開幕時には、王宮のバルコニーから討伐隊のお披露目も予定されていた。

 神に選ばれし聖女と、同じく神に選ばれし勇者。他に世界一の魔術師と、負け知らずの剣士。それが、今回魔王討伐隊に選ばれたメンバーである。

 慣習のようなものだろう。そして、民を安心させるための義務でもある。

 聖女が誕生した国で行うこのパーティーは、一度も欠かされたことはない。しかし、それが面倒だと思う者もいるわけで。

 その一人が、今代の勇者だった。


「勇者、ジル・クラウゼ」

「はい」


 名前を呼ばれ、赤髪の青年が立ち上がる。今は、討伐隊に選ばれた面々が赤絨毯の上で横一列に跪き、玉座に立つヴェステル国王に頭を垂れていた。彼らを挟むように、重鎮たちが両脇に立っている。

 ジルは、国王の元へ進むため、一歩を踏み出した。

 けどその際、退屈だとぼーっとしていたのがいけなかったのか、はたまた隣で跪いている王女が思ったよりも美人だなと、どうでもいいことを考えていたのがいけなかったのか。ジルの足が、あろうことかその王女のドレスにつまずいた。


「あ」


 ヤバイ。そう思ったジルは、慌てて自分の身体を捻る。このままでは王女を押し倒してしまうからだ。

 傾いでいく途中、目を見開いたメルヴィナと目が合った。彼女は驚きすぎて、呆然と固まっている。

 でも、このままいけば押し倒さずにすみそうだ。ジルがそう安堵したとき。

 右の視界から、ものすごいスピードで黒いものがやって来た。


「――お怪我はございませんか? メルヴィナ様」

「ぶっ」


 ごつんと、それはもう痛そうな音を上げて、ジルは磨き上げられた床に顔面を打つ。

 そんな彼には目もくれず――いや、むしろ何もしなくても被害を受けそうになかったメルヴィナを守るため、ジルを軽く突き飛ばしたのはアランだ。

 しかし、その一部始終を目に収められたのは、おそらくジルだけだろう。それほど素早い動きだった。


「あ、ありがとうございます、アラン。私は平気です。それより、クラウゼ様は……」


 メルヴィナが心配そうに言うと、


「ああ! メルヴィナ様は、なんてお優しい方なのでしょう」


 なぜか黒い笑みを浮かべたアランに、進行方向を塞がれた。

 なんとなく不穏なものを感じたメルヴィナの頬が、ひくりと引きつる。


「あの、アラン?」

「だってそうでしょう? あなた様をより一層可憐に仕上げている、あなた様の一部と言ってもいいドレスによもや足を引っかけるという大罪を犯したその男を、まさか心配なさるなんて」

「でも、すごい音がしました。心配するのは当然です」

「そんなことはありません。自業自得なのですから。それともメルヴィナ様は、私よりもそこで野垂れ死んでいる男の味方をすると? 私よりも、その男のほうがいいと仰るのですか?」

「なんでそうなっ――オホン、違います。そんなこと、私はひと言も言ってません」


 一瞬だけ、かぶっている猫に逃げられそうになったメルヴィナである。聖女である彼女は、人前に立つときは猫をかぶるのが標準装備だ。

 しかし、己の騎士のはちゃめちゃな理論には、かぶっている猫も逃げ出したくなるらしい。

 メルヴィナ以外にも、アランのこれには「また始まった」と頭を抱えている人間は多い。むしろ初対面の魔術師と剣士なんかは、驚きを通り越して唖然としていた。――が。

 この中で、一番アランに衝撃を受けていたのは、おそらく勇者であるジルだろう。

 というのも。


(ちょっ……と待てぇぇえええ!! え、なに、なんで? これ俺の勘違い? うん、きっと勘違いだよな? だってまさか、まさかっ――魔王本人がそこにいるとか!)


 そう。ジル・クラウゼという男は、腐っても勇者に選ばれた人間だ。

 本人まおうがたとえどれだけ狡猾に気配を隠そうとも、魔王と戦うことを宿命づけられた勇者だけは、どの代もその気配には敏感だった。

 だからジルは、顔を上げられない。たった今し方自分を突き飛ばした魔王は、明らかに自分に向けて殺気を放っているから。


「メルヴィナ様がそう仰ってくださって安心いたしました。万が一メルヴィナ様がその男を選ぶようなことがあれば、私は彼を殺すしかないと思っておりましたので」

(おいおい、冗談に聞こえねぇんだけど。なにあの魔王。なんで王女と仲良しなの。つか王女って聖女じゃねぇの!?)

「だめですよ、アラン。そんな物騒なことを言っては。撤回してください」

「申し訳ありませんでした。撤回させていただきます」

(即答かよ! てかマジでどうなってんの、これ!?)


 残念ながら、顔はまだ上げられない。突き刺さる視線が杭のように縫い止めてくるからだ。


「しかしメルヴィナ様、私はあなた様のための私。メルヴィナ様に捨てられてしまうと、私は私の価値を失います。ですからどうか、私を捨てないでくださいませ」

「……ちょっと待ってください。なんで今、そんな話になるのです?」

「メルヴィナ様が旅の同行をお許しにならないからです。私はあなた様に必要とされることが生きがいなのに。同行を許可してくださらないということは、私を必要としていないということ。ひいては、私の価値は失われ、生きる意味もないということです。自害してきます」

「ちょっと!? 話が飛びすぎよ!」


 飛びすぎて、思わず素が出てしまう。メルヴィナの猫も仰天したらしい。そもそも、なぜ旅の同行についての許可如何で、アランの生死に繋がるのだろう。勘弁して、と強く思う。


「死ぬのはやめて。困るから」

「メルヴィナ様は、私に生きていてほしいと?」

「当たり前よ。あなたにはたくさん助けてもらっているし、知り合いに死なれたら寝覚めも悪いもの」

「では、メルヴィナ様のおそばにいてもいいのですね?」

「死なれるよりはいいわ」

「この先もずっと?」

「そうね」


 その瞬間、アランの顔が一気に輝いた。

 もちろん、本当に光ったわけではない。けれど、そう形容したくなるほど、彼の表情が喜びに満ちた。


「ありがとうございます、メルヴィナ様! そう言っていただけて嬉しいです。ではこれで、私も魔王討伐隊に参加できるのですね」

「……はい?」


 え、なんでそうなった? とメルヴィナはぽかんとしたが、遅れて自分の失言に気づく。

 つまり、ずっとそばにいてもいい=旅のときもそばにいていい、となるわけだ。アランのめちゃくちゃ理論では。

 メルヴィナの顔が見る見るうちに強張っていく。

 ギギギ、と効果音がつきそうなくらいぎこちなく父王を見やると、彼もまた硬い表情で自分の妻へとその視線を流した。すると伝言ゲームのように、今度は王妃が息子にその視線をさっと流す。

 三人からの視線を一身に注がれた王太子エリオットは――――すでに遠い目をしていた。

 実はエリオットは、アランとは少しだけ騎士学校で一緒だったのだ。だからこそ、アランという人物の恐ろしさを知っている。

 ヴェステル王家が全員敵に回したくないと思う男、それがアランだ。


「本当に嬉しいです、メルヴィナ様。やっと共に行くことをお許しくださいましたね。メルヴィナ様は誇り高い御方ですから、決して約束を違えることはないと信じております。ええ、決して」


 それは脅迫か。間違いなく脅迫だ。自分が招いた事態に、メルヴィナは泣きたくなった。なんのためにアランの同行を許さなかったと思っているのか。全ては彼から離れるためだ。

 なのに、最後にはこうなってしまったことに、自分への怒りすら沸き上がる。


 結局この対面式がおざなりに終わったことは、もちろん言うまでもないだろう。


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