魔王は健気です


 一方、メルヴィナが逃げるように立ち去った後のアランは、想像に難くないほど荒れていた。

 いや、落ち込んでいる、と言うべきか。


(最悪です。仕方なかったとはいえ、メルヴィナ様にあんな態度を取ってしまうなど)


 現れた人物が彼女だと分かった途端、アランは内心で動揺した。

 ネルがメルヴィナへと一直線に飛んだのを認識したときには、らしくもなく相当肝を冷やしたほどだ。自分がネルより強いと分かっていても、彼女は魔族のナンバー4。ほんの少しの油断も与えてはならない人物である。

 そうして、意味はないと知っていても、咄嗟に愛しい人の名を叫んでいた。


「やってくれましたね、ネル。まさかメルヴィナ様に殺気を向けるとは」

「っ、」

「まだ先ほどの私なら、あなたを痛めつけるだけで終われそうだったのに」


 二人は抱き合ったまま、会話を続けている。

 しかし実際は、ネルの手にある氷剣が、アランの腹に食い込んでいた。暗くてメルヴィナには見えていなかったが、アランの足元には、赤い水玉がいくつも点々と散っている。

 ネルは絶望した。アランがメルヴィナを庇って自分ごときに刺されたことを、ではなくて。

 たとえどんなときであろうとも、彼が呼ぶのは彼女の名前だけだという現実に。


「アラン様、どうして彼女なのですか! 以前のあなたなら、報われないことはしたくないと仰っていたではありませんか。なら彼女ではなく、私のほうが――」

「だめですね」

「!」

「何度も言っているように、私にはメルヴィナ様だけです。確かに、今まで報われないことが多かったので、そういったものは嫌いですよ」


 でも、とアランは己の腹の中にある氷剣を粒ほどにまで分解すると、一瞬にして溶かしてしまう。


「メルヴィナ様に関しては、報われる報われないといった問題は考えたことがありません。私にとっては、あの方のそばにいるためにはどうすればいいのか、それだけが問題でしたからね。それに、きっとあなたでは私の全てを受け止めきれないでしょう。あなたは王である私のことしか知らないのですから」


 そっとネルの肩を押して、呆然とするネルを自分から引き剥がす。

 アランがネルを離すまいと抱きしめていたのは、ひとえに彼女のくれないの瞳を見られないためだ。闇夜でもはっきりと浮かぶその色は、魔族にしか存在しない色だから。

 自分の正体を隠している以上、一緒にいたネルとネロの正体もバレるわけにはいかなかった。

 

「ネル、もう一度言いましょう。私はメルヴィナ様以外欲しくはありません。あの方以外はどうでもいいのです。こんな私が嫌なら、いつでも私を殺しに来なさい。その代わり、メルヴィナ様に殺気を向けることは許しません。二度目があれば、そのときは」


 ――分かっていますね?

 アランが鋭い魔力を二人に放つ。

 そのとき宙に浮いたままおろおろしていただけのネロが、びしいっと背筋を伸ばして何度も頷いた。

 ネルも、その痛いくらいの魔力には息を呑む。

 でも、本当はちゃんと気づいている。

 誰からも恐れられ、一目置かれる今代の魔王は。魔族からでさえ、冷徹だと囁かれている。

 けど、実際は。本当は、周りに囁かれるほど無慈悲な人ではない。でなければ、今頃ネルは死んでいる。他でもない、王の唯一の人を殺そうとしたのだから。

 さらには王自身に、血を流させてしまったというのに。


(ずるい人です)


 彼女メルヴィナ以外はどうでもいいと突き放すくせに、真実害悪だと判断した者以外は、なんだかんだと許してしまうのだから。どうでもいいのなら、こんな面倒事を起こす奴などさっさと消してしまえばいいのだ。魔王なら簡単なことである。

 それに、彼がただ冷徹なだけの王であるなら、あの気弱な兄が逃げ出さないはずがないのである。


「アラン様――いえ、我らが王よ。此度のこと、謝って許されるものではないと存じております。ですがどうか、これだけは言わせてください」


 すっと片膝をついて、ネルは深くこうべを垂れた。


「このネル、我らが王に真の忠誠を。二度とこのようなことはいたさないとお誓い申し上げます。この命はあなたのもの。お好きにお使いくださいませ」


 そんなネルに、アランは微妙な顔を向けた。それは少しだけ、困ったような表情で。


「……これだからおまえたちは……」


 自分が存在とはいえ、一人一人自我がある。だというのに、ここまでという存在に忠実すぎるのはいかがなものか。先代魔王が残した魔族でさえ、今代アランに忠実だ。いっそ哀れにも思えてくるほど。

 

(こんなことなら、あの男に唆されるまま作らなければよかった)


 彼らは、魔王の孤独を埋めるために作られた。人に似ているのは、魔王がそういうふうに作ったからだ。でも、その性格は個々に委ねている。

 人よりも、ある意味純粋な生き物。それが魔族。魔族を魔族と呼んだのは、遥か昔の〝人〟である。

 アランはこの真っ直ぐな生き物を、好きでもなければ、どうしてか嫌いにもなれなかった。


「分かりました。そこまで言うのなら、とりあえずあのたぬきへの言伝を頼みましたよ。もう少し待っていただければこちらも全て片付け終えるので、それまでは一切口出し無用だと」

「御意に」

「それと、ネロには別のことを頼みます」

「ふえっ、ぼ、僕ですか!?」

「他にネロという名の者がここにいるとでも?」

「いいいません僕だけですッ。なんなりと、我が君!」

「おまえには調べてもらいたいことがあります。おまえほど隠密に向いている者もいませんからね。――失敗は許しませんよ?」

「アラン様、最後のがなかったら泣いて喜んだのに!」

「何か言いました?」

「めめめめっそうもごじゃりませんッ!」


 ――あ、噛んだ。

 ネロは内心で、意外にも冷静に自分で自分にツッコミを入れた。しかしアランもネルも二人して無視するので、一人なんとも言えない恥ずかしさを味わう。

 兄の心など全く気遣わない妹は、すぐに命令を遂行すべく飛び出していった。ネロも、詳しいことをアランに聞いた後、妹とは反対方向に飛んでいく。


「さて、どうしましょうかね、これ」


 一人になったアランは、己の血に濡れた腹部を見下ろした。

 人間より自己治癒能力が優れているとはいえ、さすがのアランも魔族ナンバー4の攻撃を正面から受けては、明日までに治すことなど不可能だ。

 変に気にされると厄介だったので、ネルの前ではなんてことないように振る舞ったが。


(さすがにそこらへんの魔物とは違いますね。気づかれないよう動くのは、少々骨が折れそうです)

 

 ふと見上げたのは、不本意に冷たくあしらってしまったメルヴィナの部屋だ。

 窓から灯りは漏れておらず、すでに寝てしまったと分かる。そうなると、謝罪は明日のほうがいいだろう。

 すぐにでも愛しい主の元に駆け寄りたい衝動をぐっと堪えて、アランは自分に与えられた部屋へと転移した。

 

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