魔王は勇者を脅します
メルヴィナが自室で
今歩いているのは三階だ。だからか、窓の外を見上げれば、いつもより空が近い気がする。瘴気が広がっているせいで星一つないけれど、王宮が明るいから気にならない。
気になるといえば、一つだけ。
「……後なんかつけんなよ。あんたに背後とられんの、正直怖いんだけど」
いつ声をかけようかと悩んでいたが、思いきって立ち止まった。
「それは失礼いたしました。では、正面からにいたしましょう」
「げっ」
目の前に、いきなりアランが現れる。彼こそ後をつけてきた犯人だ。ほんの数秒前まで後ろにいたはずなのに、瞬きの間に目の前に現れるとはどういう了見だ。
ジルは、反射的に腰に佩いていた剣に手を伸ばしていた。そのまま抜こうとしたが、寸でのところで思いとどまる。
「さすが、〝人〟が選んだとはいえ『勇者』です。懸命ですね。もし抜いていれば今頃あなたの首は飛んでいました」
「こわっ」
事も無げに言ったアランに、本心からそう思ったジルである。どうやら魔王ことアランは、自分が一人になるときを狙っていたのだと気づく。
「で? わざわざお姫様のそばを離れてまで俺のところに来たってことは……」
「ええ、あなたに釘を刺しに参りました」
「え、それ物理的な意味じゃないよな? 比喩だよな?」
「あなたは馬鹿ですか。しかしお望みとあらば、そうしないこともありません」
「ごめん、悪かった。いやほんと、俺が悪かったからそんな愉しそうな顔しないでくんない!? どっから持ってきたのその釘!」
黒い笑みを見せながらアランが懐から取り出したのは、本当に釘である。なぜそんなものを常備しているのか。鋭く光る
「冗談はさておき」
「おまえのは冗談に聞こえねぇよ」
アランが釘を懐に戻すと、一気に彼の纏う気配が変わった。
何者をも圧倒するような、そこにいるのが勇者でなければ膝を折ったに違いないほどの、冷たく
「おいおい、いいの? 正体もろバレじゃねぇか」
「しらばっくれなくてもいいですよ。あなたは最初からご存知だったでしょう?」
「いや、まあそうだけど。でもそんなことしたら、俺以外の奴も勘づくんじゃねぇのか」
「なるほど、あなたはお人好しの人間なのですね。私の正体に勘づいていながらも、誰にもそれを漏らさなかったくらいですし。ですが問題ありません。私が放ったこれは、放ちたい相手を選べます。今はあなたと……メルヴィナ様に近づく
くす、とアランが薄い笑みを佩く。
その瞳が妖しく光っているのを見て、ジルは「あれ」と思った。確かアランの瞳は、澄んだ空を彩るブルーモーメントのような藍色の瞳だったはずだ。なのに今は、そこに金の輝きが揺らめいている。
――魔王。
間違いなく、ジルは確信した。魔族の最上位である魔王は、どの代であろうと皆一様に金の瞳をしているという。それは妖しく光り、見た者を惑わせるほどに美しいとか。
「……お姫様は、知らないよな? あんたいったい何がしたいんだ? 何のために、聖女の近くにいる?」
こんなところでいきなりラスボスとの戦いは御免だと思ったが、訊かないわけにはいかないだろう。
これでも一応勇者なのだ。いつまでも魔王に圧倒されているわけにはいかない。
「愚問です」
アランから、表情が消えた。
「私はメルヴィナ様がほしい。あの方のおそばにいられるなら、どんなことでもいたします。ですが……知っていますか? 私があの方の護衛騎士に決まる前、当初この国の王は、あろうことか何人もの男をあの方の騎士として任命するおつもりだったのですよ」
そんなことは当然だろう。ジルは真っ先にそう思った。
王女であり、聖女でもあるメルヴィナだから、彼女の護衛騎士が何人もつくのは当たり前である。むしろアラン一人しかいない現状のほうが、異例と言っても過言ではない。
しかしアランは、それが信じられないとばかりに切り捨てた。
「あの方に近づく男は私だけで十分です。あえて例外を申し上げるならば、父王と兄王子だけはギリギリ許せます」
「……それでギリギリなのか」
思わずジルの目が半目になる。
「仕方がないとはいえ、メルヴィナ様が舞踏会で男と踊らなければならないときは、男たちが後で勘違いしないよう根回しもしてきました」
「魔王が根回し……」
もうどこから突っ込めばいいのやら。
「それでも他の男はまだ構いません。メルヴィナ様にその気がないことは分かっておりますから。問題は、あなたです」
「俺ぇ!?」
いきなり標的を自分にされて、ジルの心臓は文字どおり飛び跳ねた。そして、高速回転でメルヴィナと会ってからの自分の行動を思い出していく。まさかどこかで魔王の気に障るようなことを、メルヴィナにしてしまったのか。
けれど、思い当たる節はなかった。メルヴィナを綺麗な人だなと思ったことはあっても、それを態度には出していない。そもそもこれは、美人を見たときには誰に対しても抱く感情で、メルヴィナに特別な想いがあるわけでもない。さらに言うならば、今日のパーティーのときのダンスだって、アランからの無言の圧力を察して全力で辞退したほどである。
するとアランは、平然ととんでもないことを言ってのけてきた。
「聖女と勇者。まるで対のような存在。メルヴィナ様とそんな関係でいられるなど……! 許し難き所業です」
「いや、それを俺にどうしろと!? 関係なくね?」
「あります。しかもこれから一緒の旅に出るんですよ? 勇者と聖女は、総じて最後に結ばれることが多いと聞き及んでおります」
「誰だよそんな面倒なこと吹き込んだのはっ!」
「巷の恋愛小説です」
「そんなの読んでんの!?」
ジルの鋭いツッコミに、アランが分かりやすくムッとした。
「そんなの、とは聞き捨てなりませんね。恋愛小説はメルヴィナ様のご趣味です。それを侮辱するとは……」
「訂正! 素晴らしいですよね恋愛小説!」
はたから見れば、ジルが勇者とは誰も思うまい。
「とにかく結論を言わせていただきますと、羨ましいことこの上ない」
「あーうん、つまりそこに行き着くわけね……」
想像していた魔王像とはあまりにもかけ離れているアランに、ジルはもう何もかもが面倒になってきた。
それにこの様子だと、どうやら魔王は本気で言っているらしい。
「そんなにお姫様が好きなんだ?」
「いいえ。それは私のような者が抱いていい感情ではありません」
「どっちだよ! 面倒くさいなおまえっ」
「そう言い聞かせないと、私はきっと壊れてしまいます。メルヴィナ様がお許しになっていないのに、どうしてこの醜い感情をあの方に押し付けることができますでしょうか」
そう言ってアランが見せたのは、腹黒い彼には似合わないほど、悲しげに微笑む姿で。
常ならその質問に答えることはなかったアランだが、今は目の前に〝勇者〟という、もしかしたら自分から愛しい人を奪っていくかもしれない男がいるのだ。うまく感情が抑制できない。
弱々しく目尻を下げる魔王に、ジルは意外だと言葉を詰まらせる。
でもここで、ふと思う。
「あの、さ。じゃあもし、お姫様に許されたら?」
「もちろん一生離しません」
「……」
さっきまでの悲痛な様子はどこへやら。若干食い気味に答えが返ってきた。その豹変ぶりに、ジルの目は据わった。
しかもアランは、今ではもう陶酔した様子で頬を上気させているではないか。一瞬心を痛めたあの時間を返してくれ、と思わないでもない。
「メルヴィナ様がお許しくださるというのなら、一分一秒だって離しません。存分に愛でて甘やかして私なしではいられない身体に仕上げる所存です」
「しあげ……っ逃げてお姫様!」
つい叫ぶ。怖い。怖すぎる。何がって、魔王の執着具合が怖い。
「というわけで、ジル・クラウゼ様」
「はいぃっ」
「私の正体をバラされるには、まだ早いのですよ。秘密にしていてくださいますね?」
こくこくこく。高速で三回頷いた。
「あなたが話の通じる方でよかったです」
「ほぼ脅されたようなもんだけど」
「何か言いました?」
「いえ何も」
「まあそれはさておき。実はあなたには、もう一つ訊きたいことがあるのですよ」
「え、まだあんの?」
もう勘弁してくれ、とジルが嫌そうに顔を顰める。けどもちろん、それで話をやめてくれる相手ではない。
「ええ。というのも――――あなたはなぜ、勇者と呼ばれているのでしょう?」
「……は?」
ぽかんと口を開ける。そんなことを訊かれても、周りがそう呼んだから、という答えしかジルは持っていない。
「なんつーか、ある日偶然拾った剣を、珍しい形してたからちょっと拝借したんだよ。そしたらなんか、それが聖剣だったらしくて。あとはあれよあれよとあっという間に勇者として認識されるようになってた、てな感じだな」
「なるほど。……まあ私の正体を見破ってはいますし、全くのガラクタではなさそうですね」
「なんかあんた、顔は結構優しそうな奴だけど、口はひでぇな」
「お褒めに預かり光栄です」
「褒めてねぇよ」
なぜそうなった。
「なにはともあれ、たとえあなたがどちら側であろうと、メルヴィナ様に危害を加える場合は容赦いたしませんので、そのおつもりで」
「いや、ていうか俺ら、もともと敵同士だよな?」
「では、今からここで戦いますか? 私としてはメルヴィナ様の近くにいる
「あー……うん、やっぱやめとくわ」
「さようですか」
「さようです」
「「…………」」
二人の間になんとも言えない沈黙が流れる。
とにもかくにも、明日がいよいよ出発日だ。
魔王討伐隊の中に魔王がいるという前代未聞の一行は、はたして無事に使命を果たせるのか――。
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