聖女は狙われました




 ――〝黙らっしゃい!!〟



 それは、かつての彼女が放った言葉。今も心に残っている。


『私は決して、ただ自分の運命の言いなりになっているわけじゃないわ。私の人生は、その運命を含めてなお幸せなのだと、なんなら叫んであげてもいいけど?』


 アランが初めてメルヴィナと出会ったのは、王家主催の仮面舞踏会でだった。そこでは誰もが仮面をかぶり、身分も素性も隠して楽しむ。

 自分の運命に嫌気が差し、意味を見出せず、魔王という孤独と退屈の中にあったアランが、暇つぶしに紛れ込むにはちょうどいい舞踏会だった。

 しかもその舞踏会には、今代の聖女もいるらしい。それを知ったアランは、そこで目的の人物を見つけ出すと、その娘に訊ねていた。


『あなたは、決められた運命に辟易しないのですか? それともあなたは、その運命に何の疑問も抱かない、ただの人形なのでしょうか』


 そのときは確か、ダンスの最中だった、とアランは思い出す。

 聖女メルヴィナを見つけ出した後、アランは仮面で顔の半分が隠れていることをいいことに、ダンスの相手を申し込んでみたのだ。

 曲も中盤といったところで訊いた質問には、きつ〜い無言の睨みが返ってきた。仮面越しからでも分かる、可憐な姿からは想像もできないほど強烈な睨みだった。

 それがまず、アランの心に衝撃を与えた。

 が、その動揺をおくびにも出さず、彼は自分の容姿や声が女性受けすることを武器に、さらに耳元でとろりと囁く。


『お気を悪くさせたのなら謝ります。ですが、自分の人生をもっと自由に楽しみたいとは思いませんか? 私なら、あなたを自由にして差し上げられますよ』


 それは間違いなく、誰かを堕とすための甘い誘惑だ。

 さも私はあなたの味方ですよといい加減なことを囁き、綺麗なものを汚すときに使う甘言。

 今までなら、アランの凄絶に艶めく笑みに逆らえた者など、一人としていなかった。

 どの聖女も結局は人間だ。ある者は理解者がいたと泣き、ある者は自由がほしいと喜び、ある者は誘惑に負けて快楽へと堕ちていった。

 なのに、メルヴィナは。

 彼女だけは。

 

(あなただけは、他のどの聖女とも違っていた。ただ唯々諾々と従うわけでもなく、自分の人生について考えることを放棄するわけでもなく。疑問も、不安も、その小さな身体で抱いていたというのに。あなただけは、私の言葉に一切迷わなかった)


 そのことに、どれほど心打たれたか。

 同じように数奇とも言える運命を背負わされ、けれどそれだけのために生きるのが癪で、もがき苦しんできた日々。

 だからといって逃げ出すつもりはなかったが、それでも、誰にも知られることなく、認められることもなく過ごさなければならない永い時に、いつしか心は疲れていたのだろう。無意識に、自分と同じように運命に立ち向かう人間を探してしまうくらいには。

 どんな誘惑にも負けず、誰かの言いなりになるでもなく、運命に翻弄されながらも、懸命に生きる誰かを。

 自分と同じ誰かを。

 探さずには、いられなかった。

 

(報われないと、ずっと思っていた)


 報われたくて、あのとき受け入れた運命ではなかったはずなのに。


(このまま独りで死んでいくのだと、なかば諦めてもいた)


 だってあの男が、そうだったから。

 でも。


(メルヴィナ様を見つけた。あの方は、一人で隠れて泣くくせに、気丈に踏ん張っていた。――惑わされては、くれなかった)


 それが、泣きたくなるくらい嬉しかったのだ。

 自分と同じ苦しみを味わっている人間を見つけられたことに、どうしようもない歓喜がじわじわと心を満たした。

 なんて歪んだ想いだろうか。苦しむ彼女を見て喜びを感じるなんて。自分と同じ傷を持つ彼女を、愛しいと思うなんて。

 でも、同時に眩しくもあった。自分では辿り着けなかった世界で生きている、彼女の強さが。 


(強くて、弱い方。だから、メルヴィナ様だけは失えない。あの方の世界を、私は守りたい)


 そうすることで、自分も報われる気がするから。

 だからやっぱり、これは酷くいびつな感情だ。浅ましく、醜い想い。

 理解などいらない。誰も分かってくれなくていい。ただ一人、彼女だけが受け入れてくれれば。


(そのためにおそばにいるというのに――まさかこんな邪魔が入るとは。誰だか知りませんが、余計な茶番を用意してくれたお礼は、きっちりと返させていただきますよ?)

 

 アランの目の前では、祝詞の最終章を唱え始めようとしているメルヴィナがいる。

 そうして完成する祝詞に合わせて、舞い上がっていた水は弾け、無数の水粒がゆっくりと上昇しながら空気に溶け込んでいくことだろう。

 それが雨となり、瘴気の幕に降り注ぐ。

 やがて、聖女の力が宿った雨が止むと、頭上には広大な蒼穹が顔を出す。同時にその雨のあとは、必ず空に不思議な虹色の架け橋がかかるのだ。

 それを見て、人は初めて瘴気が浄化されたことを知る。

 メルヴィナが最後の一節に入った。そのとき。


「! メルヴィナ様っ」


 見上げるほど高い位置にあるステンドグラスが、突如ぱりんと音を立てて割れた。

 続くガラスの割れる音。メルヴィナは何事かと困惑する。

 聖女以外が決して入ってはいけない泉の前で、アランはメルヴィナに向けて必死に手を伸ばした。

 上から侵入してきたのは、黒い羽を持つ魔物たちだ。その見てくれは鬼だったり、トラや大きな鳥だったりと、共通の黒羽以外はバラバラだ。

 

「どうして魔物が……っ」


 慌てて祝詞を中断し、メルヴィナは伸ばされたアランの手を取った。そのまま彼の背に隠されると、侵入してきたモノの正体を知って呻く。

 だってここは、正真正銘、教会の中なのだ。

 どの教会も魔物の侵入を許すまいと、結界が張られているはずである。だというのに。


「メルヴィナ様、ひとまず外に。いけますか」

「分かったわ」


 黒羽の魔物たちが一斉に突進してくる。狙いはどうやらメルヴィナのようだ。


〈セイ、ジョ……セイジョヲ……サラ、エ……〉


 メルヴィナが走る。言われたとおり、外を目指して。

 敵に背中を見せても全力で走れるのは、己の護衛騎士を誰よりも信頼しているからだろう。


〈……セイ……セイ、ジョ……〉


 どの魔物からも発せられる同じ言葉に、アランは彼らの攻撃を防ぎながら違和感を覚えた。

 まるで焦点が合っていない。彷徨う浮浪者のように、ふらふらと近づいてくる。しかも狙いをしっかり定められないのか、魔物の何体かはメルヴィナではなく壁に激突していた。

 これはどういうことだろう。


(試しに少し、魔力を放ってみましょうか)


 どんなに下級の魔物でも、彼らは魔王の魔力に何かしらの反応は見せる。彼らにとっても、魔王は自分たちを存在なのだから。

 ましてや、今ここに現れた魔物たちは、聖域に足を踏み入れている。中級以上の魔物であることは確実だ。ならば、余計に魔王の力には敏感なはず。


(それにしても、ここまで野放しにした覚えはないのですが)


 アランが、隠していた魔力を少しだけ解き放った。メルヴィナの走る足に合わせて、アランも少しずつ扉を目指して後退する。

 しかし、反応があるだろうと思った魔物たちは、どういうわけか無反応だった。相変わらず虚ろの様相で、アランの障壁が破れないことを、何度も繰り返された攻撃で気づいてもいいだろうに、馬鹿の一つ覚えみたいに突進し続けている。

 いよいよこれはおかしい。本能に逆らわず生きている彼らだから、本能的に自分より強い者には必ず怯えてみせるのに。


(なるほど。つまり私は、取るに足らない相手だと……?)


 アランの口端が不敵に歪んだ。見る者をぞっとさせる一笑だ。

 そもそも、メルヴィナを狙っている時点で、アランの中では最初からの処遇は決まっている。


「塵一つ残さず死んでもらいましょう」


 アランの瞳に金が混じったとき、瞬き一つの間に魔物たちは灰と化す。しかし、アランはそれだけでは飽き足らず、宣告どおりその灰さえも一瞬で消滅させてしまった。

 あっという間である。これこそが魔王の力。人が恐れ、絶対的悪だと決めつけられた力。


「大丈夫ですか!?」


 そこに、メルヴィナの叫ぶ声が聞こえた。


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