真実

「……ふう」


玄関の扉を閉め、僕は大きくため息を吐いた。


ものすごく疲れているはずなのに、妙に頭が冴えている。

今まで天国のようだと思っていたこの街が、現実味とともに腑に落ちてゆく。


改めて建物の中をうろついてみた。

ここはペン軸棚だろうな、と思って開けるとあっている。

ここに食べかけのチョコがあるな、と思うとちゃんと入っている。


並んだパソコンを見て確信する。

ここは、僕の……仕事場だ。

何人かを雇って、漫画を描いていた。ツカダの言う通り、漫画家だった。

アシスタントの皆をこの広い部屋で作業させて、僕は個室を使っていた。


そして。


ずっと開けるのを拒んできた一番奥の扉。あそこは、資料部屋だ。

資料の他にも大事なものがいろいろ入れてある。

だいじなもの……。


心拍数が上がってゆく。

息が荒くなってきた。

あの扉を開ければ、真実に近づくのをわかっていた。


扉のむこうにがある。


『思い出さないことで自分の身を守っているのかもしれないぞ』

『無理に思い出さなくても、いいんじゃないか?』

そうサカタニに問われたとき、僕は。


「わからないって、言ったんだっけ」


僕は扉に手を当て、頬を寄せてみた。

扉の向こうに感じるの気配。

真実の気配。


サカタニに問われてから、数日経った今。

今の僕は。


「今の、僕は」




深呼吸の後、勢いよく扉を開く。


そこに、棚の上に鎮座していたのは、


トロフィーだった。

高名な漫画賞のトロフィー。


記憶がほぐれてゆく。

僕は、漫画家。学生のときに劇画調漫画でデビューして、七年目。

連載していた漫画が完結して、それで賞をもらった。大賞ではないけれど、斬新な表現に送られる、名誉ある賞。


それで、それでどうしたんだっけ?


ぞわりと背筋が粟立った。


「あ……ああああ……」


記憶がほぐれてゆく。

激しい頭痛と、胸の痛みをともなって。



そうだ。漫画家仲間が祝ってくれた。

嬉しかった。鼻高々だった。


その数日後だった。

「素行に問題がある」と次の連載が打ち切りになったのは。


何がおこったかわからなかった。

ちょっと調子に乗っていただけだ。せいぜい酔いつぶれて記憶をなくしただけだ。

戸惑う僕を、担当編集のツカダは怒鳴りつけた。


「しらばっくれないで! このレイプ魔!」


早い話がはめられたのだ。漫画家仲間たちに。

ありもしない噂を吹きこまれたのだ。

正義感の強い、女性編集者のツカダはそれを鵜呑みにしてしまった。


泣きながら仲間に相談すると、みんなは笑った。

裏切るからだよ、と。

僕の酒には睡眠薬が入っていた。


『寝てたんだからわからないだろ?』

『いちおう裸にして写真は撮ったから、警察に行けるわよ』

『俺、週刊誌に友達いるからリークもしといたぜ』

『やだぁ、被害届を出さないであげたいい子になっちゃうじゃん』

『受賞取り消しになるかもなぁ』


みんなのあざ笑う声が次々と思い出される。

裏切ったのは、僕なのか?

そんなはずない。

僕はただ、みんなより先に小さな成果を残しただけだ……。

これからのはずだった……。


全身が震えている。

そうか。そして僕は壊れたんだ。


怖くて、誰にも会えなくなって、ペンも握れなくなって、雇ってたアシスタントのみんなも解雇して、家のものもほとんど捨てて片付けて。


そしてこの街に死にに来た。致死性の毒ガスが充満しているという、この街に。


「うっ……うううっ……」


いつの間にか泣いていた。涙があふれてとまらない。戻った記憶、その棘で心が血を流しているみたいだ。ぜんぜん止まる気配がない。


「うあああ……」


思い出して、それで、これからどうする?


思い浮かんだのはサカタニの姿だった。

とりあえずサカタニに会いに行こう。それで……決めよう。

この百花の街に来た、最初の目的を達するべきかどうか。

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