解放

 ショックのあまり黙ってミノリのもとを離れ、花爛漫の街をさまよい歩いた。


 致死性の毒ガスで立ち入り禁止。とてもそうは見えない。この街はまるで天国のようだ。桜吹雪が舞い、ツツジが咲き、テッポウユリが揺れ……誰もいなくて……だからなんの危険もない。


 僕は大きく深呼吸しようとした。息がつまってうまくできない。自分がしようとしたことを考えると、心臓が激しく鳴って汗も止まらない。まだ言葉にまとまってすらいないのに。


 そのうち、かすかに人の声が聞こえてきた。笑い声だ。


 その家にはそれはそれは見事なハクモクレンが満開だった。まるで白い炎が燃ゆるよう。花弁が日の光にきらめき、目がくらむほどだ。


 そして、そのハクモクレンの幹に。


「げいひゃひゃひゃ、ひー、ひゃひゃひゃひゃ、うひゃひゃひゃひゃ」


 幹にぴったりとはりついて、バケモノが笑っていた。僕がめざめた日と全く同じ状態で。


 バケモノのそばに近づいてみた。バケモノには縞模様がついているように見える。


 僕はすう、と大きく深呼吸した。じっと目をこらす。


「……おまえも、人間なんだな」


 全身全霊で集中する。少しずつ、靄が晴れるように視界が変容する。バケモノの形が変わってゆく。老婆だ。ハクモクレンの幹に老婆が縛りつけられていた。縞模様に見えていたのは麻縄だった。


 老婆は相変わらず大声で笑っている。


「うひゃひゃははははは、いーっはははははは」


「……あんたも、置いていかれたのか? ミノリみたいに」


 一瞬、老婆の爆笑が止まったような気がした。でもまた大声で笑い始めた。その声を聞くと、老婆はまたバケモノの姿に戻っていった。


 僕はデザインナイフを取り出し、老婆の体を傷つけぬよう慎重に麻縄を切り裂いた。


 老婆が笑いながらその場にくずおれる音がした。僕は早々と老婆に背を向けた。縄が食いこんでいるよりはマシになったろう。


 手に持ったデザインナイフを眺める。そういえばこれ、ミノリに渡そうと思っていたんだっけ。


 少し落ち着いてきた。黙って出て行ってしまったことを謝りたい。ミノリのもとに戻ろう。


 笑い声が遠ざかる。離れていく途中、それが少しだけ泣き声にも聞こえた。




 

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