理由

 日が暮れてきて、僕はミノリの家を離れた。ミノリは泊まっていくよう勧めてくれたが、あの悪臭と車輪の跡だらけの家で過ごす気にはなれず断った。あの事務所にはシャワー室もあるし。


 ……なんで知っているんだ?


 そんなことを考えながら、今日の出来事たちをふんわりと思い出しながら、歩いてゆく。毒を求める小さなバケモノ、ミノリ。フジモトさんと呼んで追いかけてきた小鳥のバケモノ。そして精巧な絵を描いていたサカタニ。


 最後にサカタニに会って帰ろうか。


 僕は帰りがけ、桜の公園に立ち寄った。


 サカタニは出会ったときと同じように桜を見ていた。赤い宝石の頭は、夕焼けに染まってゆく空よりさらに鮮やかだ。


「また来たか」


 サカタニは「やっぱり」という言葉を飲み込んだようにみえた。

 静かに暮れてゆくなか、サカタニはゆっくりと振り向く。


「どうだ? 一日回ってみて」


「少し嫌なものを見たり、他のバケモノと話したりしたけど。なにも思い出さなかった」


「思い出せないのは、思い出す機能がないのか? 思い出す理由がないのか?」


「え?」


 一瞬サカタニが何を言ったのかわからなかった。

 サカタニは早口で続ける。


「思い出さないことで自分の身を守っているのかもしれないぞ。無理に思い出さなくても、いいんじゃないか? どうしても思い出したいのか?」


 サカタニに試されているような気がした。


 僕は……。


「……わからない」


 正直に答えた。


「だろうな」


 サカタニは短く言った。桜を風が揺らしてゆく。甘い香りがあたりを包む。


「真実を知らないのは苦しい。その苦痛を私はよく知っているよ。だが君はこの街に来たくらいなんだ、よほどのことがあったのだろう。思い出したくないと君の中の何かが叫ぶのも無理はない」


 サカタニは赤い石の乗った台座、白い布でできた肩をすくめた。


「まぁ、聞いてみただけだ。答えはどちらでもいい。気持ちのおもむくまま、好きにするといいよ。今のお前には時間がいくらでもある。なぜなら今のお前は忘れているがゆえ、何にも縛られていないからな。少し羨ましいよ。……あー、失礼。なんでもない」


 サカタニの早口に圧倒されていると、サカタニはふいと踵を返して歩き出した。


「とりあえずは、よく休め。眠らんことには、動けないし考えられないからな」


 サカタニが昨日と同じ東屋へ向かってゆく。あそこで寝泊まりしているのだろうか?


 僕もあの知らないけれど知っている事務所へ帰ることにした。日が暮れる。街を真っ赤に染めてゆく。

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