好きな人

 菓子や携帯食料の類をビニール袋に詰め、僕は事務所を出た。やみくもに歩いた記憶を頼りにミノリの家へ向かう。今日もかぐわしい香りと共に稲穂が揺れている。



 ミノリはガーデンテーブルにいた。僕を待っていたのだと思う。


「あ、おにいさん。毒は手に入った?」


 僕は首を横に振る。そんなことを頼まれたのすら忘れていた。


「毒はないけど、食べ物を持ってきたよ」


「え? いいの?」


 やはりお腹をすかせていたようだ。袋をテーブルに置くと、不器用な手つきでガサガサと探り始めた。クッキーを取り出して僕に渡す。


「あけて」


 料理はおろか、菓子の袋すら自力で開けられないのか。僕は必死に動揺を隠す。クッキーの袋を破いていると、ミノリは言った。


「おにいさんって好きな人いる?」


 その唐突さが、どれほど退屈していたかを感じさせた。話に付き合ってやってもいいだろう。僕も忙しくはない。


「好きな人、か。覚えてないけど、たぶんいないと思う」


 たぶんそれどころではなかった。そんな気がした。


 そんな質問をするくらいだ、自分の話がしたいのだろう。僕は先を促す。


「高校一年のとき、結婚したいって言ってくれた先輩がいてね。わたしもその人大好きだったんだ」


 バケモノにも高校ってあるのか?


「でもお母さんに反対されちゃって。お母さんもシングルマザーで、恋愛で苦労したみたいだから、きっと理由があるんだろなって」


 クッキーを渡す。ミノリは「ありがとう」と言って受け取り、話の続きをした。


「先輩がわたしを不幸にする未来がお母さんには見えてるんだ、うまく説明できないだけでわたしの幸せを考えてくれているんだ、そう思ってわたしは先輩をあきらめたよ」


 さく、さく、とクッキーの削れる音がする。


「でも結局お母さんはわたしを置き去りで出て行っちゃったなぁ……。わたしを捨てるくらいなら、なんで反対したんだろうなぁ……。お母さん、昔はちゃんと優しかったのにな……」


 胸がうずいた。似たような感情でいたことが、あった気がする。

 それもつい最近。


 バケモノは触手をうねうね揺らす。


「わたしこの手脚だからさ、食べ物も自分で取れないの。お風呂も入ってないからあちこちカユいし。置いていかれてから毎日苦しいんだ。だから早く死にたいの。毒、よろしくね、おにいさん」


 そこまで言われると、毒を取ってくるしかないような気がしてきた。料理はおろか菓子の袋も自力で開けられない小さなバケモノ。ずっと面倒を見れるわけじゃない。毒の入手を拒否して苦しみを長引かせるのが本当に正しいのかわからない。


 秋風にアジサイたちが揺れている。


 毒、か。

 なんとなくだけどサカタニが持ってそうな気がする。

 なんとなくだけど。

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