サカタニ

 木も草も花ざかりの公園は、甘い匂いがしていた。芝生広場をぐるりと囲む桜が見事だ。青く澄んだ空とのコントラストが美しい。


 ふと視界の端に赤いものが映った。


 広場の端でバケモノが桜を眺めていた。赤い宝石ロードクロサイトみたいな頭に白い布の台座がついたみたいな姿だ。背が高い。170センチくらいあるだろうか。ときおり白い布が腕のように持ち上がり、頭の宝石を磨いた。 

 

 不思議と不気味な感じや怖い感じはしない。むしろ美しくて、しばらく見とれてしまった。人間からはほどとおい、冷たくも澄んだたたずまい。桜のやわらかな風合いとすばらしい対照をなしている。


 風が吹いた。そよ風なのにすごく大きな音に聞こえる。そのくらい、この公園もとても静かだ。 

 ここまで十分ほど歩いてきたが、誰にもあわなかった。いくつか建物の側も通ったが、どれも人気がなかった。道路もなにも通らなかった。見たものといえば、爆笑するバケモノくらい……。

 

 この街はバケモノしかいないのだろうか。 

 人間はどこに行ってしまったのだろうか。 

 そんなことを考えながら、バケモノの後ろを通ろうとした。すると。 


「おや、人だ」


 女性のようなアルトボイス。バケモノが宝石の頭をすこし傾げた。

 え?


「わ、わあああああ! しゃべったああああ!」


 思わず絶叫してしまった。というかそっちが前なんだ。僕はバケモノの後ろではなく前を堂々と通っていたようだ。 


 バケモノもバケモノで僕の反応に困惑している。


「喋ったもなにも……」


「こ、言葉がわかるんだな?!」


 バケモノがじゃっかん引きぎみになる。


「え? それはまぁ、そうだが……」


 僕はバケモノににじり寄った。思わず一気にまくしたてる。


「なぁ、なんでこの街は誰もいないんだ?! というかここはどこだ? いるのはどうしてバケモノなんだ?!」


「……」


「わからないなら、なぁ、せめて、……うっ、ぐすっ。せめて、少し話を、させてくれ……っ!」


 どっと涙があふれてきて、少し驚いた。僕はこんなにも寂しかったのか。言葉が通じて、こんなに安心したのか。 


 背を丸めてすすり泣く僕を、バケモノはしばらく黙って見下ろしていた。 


「……。話をさせて、か。雑談はあまり得意じゃないんだが」


 白い布が宝石を磨いた。


「あー。じゃあ、自己紹介でもしようか。私は、サカタニ。専門は、あー、そんなのどうでもいいな。素人に研究の話をしたがるのは、私の悪い癖だ。だからあの人も……あー、なんでもない……」


 サカタニは話題を探すように周囲を見回した。桜の花が静かに咲き誇っている。


「……ふう。失礼。きみの名前は?」


 サカタニの問いに、僕は首を横に振る。


「僕? 僕は……。……覚えてないんだ……」


 また涙があふれてきた。僕はだれなんだろう。 


「あー。それは、うん……。なんというか……」 


 サカタニはしばらく頭を揺らしていた。 

 何かを言うか言うまいか、迷っているように見えた。 

 ……結局言わないことにしたらしい。 


「えー。ところで、きみ。泊まるところはあるのか?」


「……わかんないです。ないと思います」


 不安が声に出てしまう。

 するとサカタニは白い布の隙間から小さな鍵を取り出した。


「ならこれをあげよう。落ちてた鍵だ。番地書いてあるし、不法侵入するといいんじゃないかな」


 不法侵入なんて、俗っぽい言葉を知っているバケモノだ。 

 僕は鍵を受け取る。鍵にはタグがついていて、そこに番地が書いてあった。不用心な持ち主もいたものだ。


「あちこち花だらけで春のように見えるだろうが、今は秋だ。夜は冷えるからな。建物の中にいた方がいい」


「あ、ありがとう」


「どういたしまして」


「とりあえず今日はもう休んだほうがいいんじゃないかな。もうじき日も暮れるし」


 言われてみれば、だんだんと景色が夕焼け色に霞んできている。 

 サカタニは言う。


「明日は、花見でもして過ごしてみたらどうだ? せっかくこれだけ花が咲いているんだから。眺めているうちに、何か……あるかもしれないし」


 いまいちぼんやりしている僕に、サカタニは次いだ。 


「困ったことがあったら。えー……。また会いに来ても、かまわないよ」


 サカタニは僕に背を向けた。東屋の方へと歩いてゆく。


 どこかぽかんとしたまま、僕はもう一度礼を言った。


「ありがとう、サカタニ」 


「どうも。まあ、その鍵、数時間前にここを通ったキミが落としたんだけどね」


「え?」


 聞き返したがサカタニは振り向かぬまま遠ざかってしまった。頭の赤い宝石に夕日があたり、燃えるように輝いていた。

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