サカタニ
木も草も花ざかりの公園は、甘い匂いがしていた。芝生広場をぐるりと囲む桜が見事だ。青く澄んだ空とのコントラストが美しい。
ふと視界の端に赤いものが映った。
広場の端でバケモノが桜を眺めていた。
不思議と不気味な感じや怖い感じはしない。むしろ美しくて、しばらく見とれてしまった。人間からはほどとおい、冷たくも澄んだたたずまい。桜のやわらかな風合いとすばらしい対照をなしている。
風が吹いた。そよ風なのにすごく大きな音に聞こえる。そのくらい、この公園もとても静かだ。
ここまで十分ほど歩いてきたが、誰にもあわなかった。いくつか建物の側も通ったが、どれも人気がなかった。道路もなにも通らなかった。見たものといえば、爆笑するバケモノくらい……。
この街はバケモノしかいないのだろうか。
人間はどこに行ってしまったのだろうか。
そんなことを考えながら、バケモノの後ろを通ろうとした。すると。
「おや、人だ」
女性のようなアルトボイス。バケモノが宝石の頭をすこし傾げた。
え?
「わ、わあああああ! しゃべったああああ!」
思わず絶叫してしまった。というかそっちが前なんだ。僕はバケモノの後ろではなく前を堂々と通っていたようだ。
バケモノもバケモノで僕の反応に困惑している。
「喋ったもなにも……」
「こ、言葉がわかるんだな?!」
バケモノがじゃっかん引きぎみになる。
「え? それはまぁ、そうだが……」
僕はバケモノににじり寄った。思わず一気にまくしたてる。
「なぁ、なんでこの街は誰もいないんだ?! というかここはどこだ? いるのはどうしてバケモノなんだ?!」
「……」
「わからないなら、なぁ、せめて、……うっ、ぐすっ。せめて、少し話を、させてくれ……っ!」
どっと涙があふれてきて、少し驚いた。僕はこんなにも寂しかったのか。言葉が通じて、こんなに安心したのか。
背を丸めてすすり泣く僕を、バケモノはしばらく黙って見下ろしていた。
「……。話をさせて、か。雑談はあまり得意じゃないんだが」
白い布が宝石を磨いた。
「あー。じゃあ、自己紹介でもしようか。私は、サカタニ。専門は、あー、そんなのどうでもいいな。素人に研究の話をしたがるのは、私の悪い癖だ。だからあの人も……あー、なんでもない……」
サカタニは話題を探すように周囲を見回した。桜の花が静かに咲き誇っている。
「……ふう。失礼。きみの名前は?」
サカタニの問いに、僕は首を横に振る。
「僕? 僕は……。……覚えてないんだ……」
また涙があふれてきた。僕はだれなんだろう。
「あー。それは、うん……。なんというか……」
サカタニはしばらく頭を揺らしていた。
何かを言うか言うまいか、迷っているように見えた。
……結局言わないことにしたらしい。
「えー。ところで、きみ。泊まるところはあるのか?」
「……わかんないです。ないと思います」
不安が声に出てしまう。
するとサカタニは白い布の隙間から小さな鍵を取り出した。
「ならこれをあげよう。落ちてた鍵だ。番地書いてあるし、不法侵入するといいんじゃないかな」
不法侵入なんて、俗っぽい言葉を知っているバケモノだ。
僕は鍵を受け取る。鍵にはタグがついていて、そこに番地が書いてあった。不用心な持ち主もいたものだ。
「あちこち花だらけで春のように見えるだろうが、今は秋だ。夜は冷えるからな。建物の中にいた方がいい」
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
「とりあえず今日はもう休んだほうがいいんじゃないかな。もうじき日も暮れるし」
言われてみれば、だんだんと景色が夕焼け色に霞んできている。
サカタニは言う。
「明日は、花見でもして過ごしてみたらどうだ? せっかくこれだけ花が咲いているんだから。眺めているうちに、何か……あるかもしれないし」
いまいちぼんやりしている僕に、サカタニは次いだ。
「困ったことがあったら。えー……。また会いに来ても、かまわないよ」
サカタニは僕に背を向けた。東屋の方へと歩いてゆく。
どこかぽかんとしたまま、僕はもう一度礼を言った。
「ありがとう、サカタニ」
「どうも。まあ、その鍵、数時間前にここを通ったキミが落としたんだけどね」
「え?」
聞き返したがサカタニは振り向かぬまま遠ざかってしまった。頭の赤い宝石に夕日があたり、燃えるように輝いていた。
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