第27話 白面金剛九尾狐
佐久を発った信長一行は、軽井沢村を経て上野に入るべく碓氷峠に差し掛かった。
碓氷峠を馬で登るとその先にひとりの女性が戦支度で薙刀を構え立っている。
「我が夫、諏訪勝左衛門尉の仇。織田の者。」
信濃、高遠城で命を落としたかに見えた、はなは恨みを込めた声を峠に響かせた。
信長一行が乗る馬は、意図せず歩みを止める。
だが、桃はそのまま走り、はなに近づいてゆくと脇差を抜く。
はなの薙刀の一足一刀の間合いに桃が踏み込んだ瞬間、薙刀が恐ろしい速さで振り下ろされる。
桃は脇差で受け流そうとするが、脇差は半ばから折れ刃が飛ぶ。
桃は辛うじてとんぼ返りで、躱したが右腕を負傷し、血を大地に流す。
一拍の時を稼いだ桃は、信長たちの元に戻ると、すでに、信長達は馬を降り迎撃態勢にあった。
信長は右方から宗三左文字を抜き、力丸は左方から槍を構えはなに近づく。
牛一は弓を放ち、妙は符を投げ打ち、はなを牽制する。
はなは、弓を避け、符を妖しく赤く光る薙刀で切り裂いていく。
力丸は馬上槍をはなの間合いの外から繰り出すと、はなは、薙刀で槍の穂先の根元を狙う。だが、力丸はそうさせないと、槍を引き、再び突く。
牛一の矢が飛んでこないと、はなが気づいた時、牛一の構える火縄銃が火を噴き黒き煙を吐いた。
火縄銃の玉は、はなを貫き一瞬、よろめく。妙の放った符がはなに張り付くと、右方の信長の一刀がはなを襲う。
はなは、信長の一刀をかわそうと薙刀を振るうが、はなに張り付いた符の影響を受けて動きが鈍っていた。
信長はその身にまとう須佐之男の影と共にはなに袈裟斬りの一撃を浴びせかけた。
はなは涙を一筋流す。
「これで、やっと勝左衛門様の元にいける。」
一言残すとそのまま後ろに倒れた。
信長は、はなに一瞥を投げかけると刀を収め、山道に迫る崖の上を睨んだ。
他の者には見えていないが、信長には崖の上に龍面の女が立っていることに最初から気が付いていた。
「皆の者、前に進むぞ。」
信長は短く命じると、信長一行は再び、動き出した。
「足止めにもならないなんて誤算でしたわ。信長の力侮りがたし。」
悔しさを全身で表した、龍面の蘇我智子は一人つぶやいた。
はなの遺体は既に土に還っていた。
碓氷峠を越えた信長一行は、夕暮れの中、厩橋に向けて馬を走らせていた。
途中二度ほど十匹程度の妖狐の襲撃を受けるが、信長一行は難なく撃退していた。そこで、信長一行は、途中の箕輪城下町に立ち寄ることにし、朝方に城下町に着き、町外れの宿をとる。
峠越えの戦闘から夜通しの強行軍に途中の戦闘により信長一行は信長、力丸を除いて眠りについている。
さすがの力丸も信長の次の間で番をしているが、座ったままうつらうつらしている。
信長は部屋の中で一人で思案を深めていたが、なにがしかの気配を感じる。
「何者か、わしに用があれば出て参れ。」
抑えた声で信長は天井を見つめた。
すると、天井板がずれ一人の男が、飛び落ちて信長の前で平伏する。
男は柿色の装束で明らかに忍びの者と見受けられる。信長はしばらくこの者を見定めるように沈黙をしている。忍びの者も沈黙の中、身じろぎもせず平伏したままだった。
「して、真田の使いが何用だ。」
信長はいきなり確信をつく。
忍びの者は、信長の言葉に内心色を失うが、平静を装ったため、そのまま動けなかった。
「は、真田の忍び、佐助でございます。主君、昌幸よりの書状をお持ちしました。」
佐助は平伏したまま書状を取り出し、信長の前に滑らせる。
「無用。」
信長は一言言うと、書状を開かず突き返す。
「それを持って昌幸に伝えよ。出過ぎた真似をするなとな。そちの息子だけで十分である。」
「は、必ずやお伝え申します。」
佐助はそう答えると書状を受け取りそのまま天井へと消えた。
「佐助ご苦労であった。首尾の方はいかがであった。」
岩櫃城内の一室、囲炉裏の間で城主、真田昌幸は佐助の帰りを待っていた。
「殿、全てお見通しでございました。いやはや、かの御仁は恐ろしきお方でございました。誠に申し訳ございませんでした。」
囲炉裏を挟んだ対面に天井から落ち座った佐助は、頭をひとつ掻くとニッコリ微笑む。
「そうか、見破られておったか、腹芸では負けぬと思っておったが完敗だな。我が家の忍び衆すべてに活動の中止を伝え、すべての動きはなかったものとせよ。我が叔父、矢沢頼綱には、私から直接伝える。佐助、苦労かけるな。」
昌幸は己の野望をひとまず切り捨てる。これも名将の由縁であろうか。
「は、殿のためならば、真田忍び衆、命を捧げております。」
佐助は一言、残すと天井に消えていった。
信長一行は早朝、箕輪の町を発し、しばらく行くと後方より馬を駆けさせ近づくものがいる。
「三郎様、何者かが近づいてきています。」
馬で走る信長の横を歩走りで桃が告げた。
「で、あるか。」
信長はそう、桃に返事を返すと馬に一鞭、当て先頭を馬で走る牛一と力丸を追い抜き、一行との距離を開けていく。
「三郎様!!」
牛一と力丸は信長に声をかけるが、信長は馬速を緩めることなく先へ先へと進んでいく。
充分、一行との距離を稼いだ信長は、突如として馬を反転させ馬上のまま、馬の鞍にくくりつけたあった種子島を取り、素早い手つきで弾を込め種子島を構える。
信長に遅れることなく信長の横にぴったりと寄り添った桃は懐から礫を取り出す。
信長の行動を駆けながら見ていた牛一と牛一に相乗りの妙と力丸は、街道の左右に寄り信長の射線を開きつつ信長の元へと馬を急がせる。
「そこの者、待たれい---!!」
信長一行を馬で追ってきていた何者かが近づく。何者かと信長との距離が
ちなみに、種子島銃の人体必中距離は十二間、人体殺傷距離は半分の六間となる。
信長の種子島が火を吹く。信長を追った者の人馬が街道の右に大きく飛び、種子島の弾を避ける。
信長はちょっと感心したように微笑し大声で叫ぶ。
「慶次郎、こんな所で何をしておるか。」
信長に追いついていた牛一は構えていた弓を下ろす。力丸は槍を下ろす。
慶次郎は馬上でぎょっとし、馬を並足にし、信長にゆっくりと近づいてゆく。
「う、上様。何故ここにおられますのですか…」
馬から降り片膝立ちになって慶次郎は聞いた。
「ふ、狐退治よ。」
信長は慶次郎に端的に答える。
「厩橋の女狐で。」
慶次郎はそう言って笑う。
「うむ。そちも同道するか。」
「それは面白そうで、ぜひにお願いします。」
そう言った慶次郎は桃に片眼をつぶってみせた。桃は慶次郎の態度にはどこ吹く風とばかり何の感情も表すことはなかった。
予定外の慶次郎を加えた信長一行は再び、厩橋へと馬を進める。
辰刻も終わろうとしている頃、信長一行は厩橋城の大手門に到着する。
信長は漆黒の南蛮胴に真っ赤なビロードマントをまとっていた。
馬を降りた信長一行は、牛一に馬を預ける。信長、桃、妙、力丸、慶次郎は大手門前に立つ。
「織田信長、推参!!」
信長自身が大声で叫ぶと大手門は大きく開かれる。牛一を除いた信長一行は堂々と大手門をくぐる。
途中の門は開け放たれており、一行は本丸御殿へと難なく歩みを進め信長は再び、大声で叫ぶ。
「織田三郎信長である!!」
力丸を先頭に桃、信長、妙、慶次郎と本丸御殿の奥へと進む。最後尾を進む慶次郎は頭の後ろで腕を組みニヤニヤしながらついて行っている。
本丸御殿の広間まで来ると奥から滝川一益が慌てて出てくる。身支度も整える時間のない状況のようだった様子で寝巻き乱髪の姿だった。
「う、上様。こ、このような辺境に突然のお運び何用でご、ございますか。」
信長は一瞬、目を閉じ、かっと見開いた。
「たわけ者が!!狐にたぶらかされおって!!左近そこになおれ。」
「う、上様。申し訳ありませんでした。上様のご勘気に触れたからにはどのようなご処分もこのさ、左近将監うけまする。」
一益は額を床に擦りつけんばかりに頭を下げた。
「で、あるか。女狐はどうした。」
「あ、いや、褥におるかと。」
一益が答えると奥から得子が現れる。
「わらわに何か用かえ。」
そう言った得子の背中から四本の銀色の狐の尻尾が現れた。
一益は得子の様子を見ると驚愕した。
信長は無言で宗三左文字を抜く。桃は小刀を抜き、力丸は槍を構える。慶次郎は感心しながら槍を立て、妙を守る位置に移動する。
「姉上復活のための人柱になってもらいます。」
得子はそう言うと、四本の尾を信長、桃、力丸、慶次郎へと叩きつける。
信長は刀で尾を弾き、桃は体術で尾の攻撃をかわし、力丸は槍を繰り出すが尾に弾かれ、慶次郎は妙を守りながら槍を繰り出し、尾に傷を付ける。
「おのれ、おのれ、おのれ。」
得子には意外だったのか、誰ひとりとて傷つかない状況に怒りを顕にした。
桃が得子に近づこうとすると、新たに得子の二本の尾が唸りを上げ、襲いかかる。桃はとんぼ返りで二本の尾を避けると、信長と力丸が得子に刀と槍を繰り出すが、更に二本の尾が攻撃を弾き返す。
慶次郎の後ろに居た妙の詠唱が聞こえる。
「おん・だきに・ぎゃち・ぎゃかにえい・そわか。」
「おん・だきに・ぎゃち・ぎゃかにえい・そわか。」
妙の手から四枚の符が放たれると得子の四本の尾に張り付く。
「ギャ---!!」
得子の悲鳴が館に木霊し、呪縛された。
信長、桃、力丸、慶次郎が一斉に得子に一撃を加えようと獲物を繰り出した瞬間、館内に赤い光が現れる。広間の壁に狐の影が大きく映る。狐の尾は九本あった。
得子の尾の符は一瞬にして燃え上がり、呪縛が解かれる。
一瞬、動きが止まった四人の隙きを突き得子は銀色の狐の姿となって逃げ出した。
「この恨み覚えていよう。いつか必ずこの恨み晴らして見せようぞ。また会おうぞよ。」
得子は捨て台詞を残して行った。
「まだ意識があるとは、この儂も考慮してなかったわ。」
信長は刀を納めると一人つぶやいた。
「上様、面白いもの見せてもらった。」
慶次郎は信長にそうつぶやいた。
信長と慶次郎は、視線を合わせ一瞬微笑した。
滝川一益は、ただただその場で呆然としていただけだった。それでも、東国の混乱は一応の決着がついたようであった。
今しばらくは平穏が訪れることだろうとここにいる誰もが思った。
平静を取り戻した一益は信長からの叱責を受けたが、今の地位を追われることはなく自質的な関東管領として政務をとることを命じられ、上杉家と友好関係を築くことを命じられる。
さらに、折を見て真田昌幸と真田信繁の安土城登城を命じ、前田慶次郎は安土にて預かることを宣言した。
ここに、前田慶次郎が織田家陰陽寮、武闘派に属する第一号となった。
信長あやかし記 松平上総介 @matudairakazusanosuke
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