第12話 武田家滅亡

 高遠城落城の知らせはその日のうちに武田勝頼の本城、新府城に届いた。


 新府城はそれまで武田本城であった、躑躅ヶ崎館に代わる本拠地として韮崎の地に大規模、堅固な城として天正九年より築城され同年九月には館としての普請が完了していたが防備部分は未完の城だった。


 勝頼は高遠城の落城が余りにも早く想定外だったために大いに慌ててしまっていた。

要害堅固な地に築かれた城とは言え、防御部分が未完成であれば、新府城は苦もなく落城を迎えるだろう。

 また、穴山梅雪の裏切りにより諏訪、上原城から退去してきたが、その途上、逃亡兵が相次ぎ新府城に戻ってきた時には兵は辛うじて千を数える程度まで減ってしまっていた。

 実に九割もの兵が逃亡し、集まらなくなっていたのだった。


 新府城内で武田家の今後の方針を軍議すると、勝頼の嫡男、信勝は新府城での籠城を主張する。真田昌幸の進言は、上野・岩櫃城に逃れる。小山田信茂の進言は岩殿城に逃れるというように意見が割れた。

 そこで勝頼は迷ったが、側近の進めもあり、結局、小山田案を取り、岩殿城行きに結論づけた。

 さらに勝頼は新府城にて預かっていた寝返りをした家臣の人質たちを新府城の一室に閉じ込め、人質もろとも新府城に火を放ち岩殿城へ移動を開始する。


 また、高遠城を脱出した松姫は仁科盛信の娘、督姫(四歳)と従者10名程度で甲府を目指していたが、その途上、勝頼の娘、貞姫(四歳)小山田信茂の娘、香貴姫(四歳)、仁科盛信の嫡男、信基と合流して再び甲府を目指していた。

 甲斐に入ると僧籍にあった信玄の次男、龍宝に相談をして塩山の寺に逗留することとした。

 この後武田家が滅亡すると、落ち武者狩りを避け、武田勝頼夫人の実家、北条家を頼って八王子に落ち延びることになる。


 織田信忠は高遠城落城の翌日、城の後始末と防備のために兵を5百ばかり残して、信忠軍3万は諏訪へと兵を進める。


 諏訪大社の本殿前に虎面をつけた芦屋道鬼が立っていた。

 「さすがに諏訪を焼くのに神号、唱えちゃまずいだろうなぁ。」

 道鬼は頭をひとつ掻くと、黄色い紙を懐から取り出し、朱墨で何かを書き込む。

 「オンアビラウンケンソワカ。」

 黄色い呪符を本殿に投げると、呪符はゆっくりと本殿へ近づく。手前で一瞬、障害物にぶつかったような様子を見せたが、本殿へ吸い込まれるように飛ぶ。

 本殿の中に呪符が入った瞬間に呪符が炎に包まれ本殿内部を焼き尽くしていく。炎はやがて広がり、武田の崇敬高い諏訪大社を焼き尽くしたのだった。


 諏訪に入った信忠は炎に包まれた諏訪大社を見たが特になんの行動も起こさず燃えるがままにした。


 信忠は周辺の城を開城を促しながら甲府へと向かう。


 この途上、織田信長本隊は明智光秀、丹羽長秀、筒井順慶、細川忠興、長谷川秀一、堀秀政、蒲生賦秀、等2万の兵と、公家、近衛前久をも同伴し安土より出陣した。


 甲府に到着した信忠は武田勝頼一行の行き先を探し始める。


 その頃、勝頼は勝沼から駒飼を抜けたところで、信茂の人質として預かっていた信茂の母の行方がわからなくなった。そのため、万全を期すために岩殿に斥候を出すが、途中に関所を設け勝頼の入城を拒否する旨の通告を受け、小山田信茂の裏切りを確認した。

 行き場をなくした勝頼は思案の末、武田家祖先の墓がある天目山、栖雲寺へと向かうこととする。新府城を出た時の随行員は8百程いたのだが、この頃には百を切っていた。


 勝頼一行の行き先を突き止めた、滝川一益と川尻秀隆は勝頼を追い詰める。


 栖雲寺にたどり着くことができた勝頼一行だったが寺側が織田を恐れ、入山を拒否したためここに進退窮まり、織田軍を天目山の手前、田野の地で迎え撃つことにした。


 「悲しいねぇ。滅びの戦いっていうのは。そう思わないかい。叔父貴。」

 前田慶次郎は馬上で隣を走る滝川益重に話しかけた。


 「そうだな。あれだけ強大で強かった武田の末路がこれって、考えられないな。」

 益重も慶次郎同様、虚しさを感じていた。


 「おっと叔父貴、あそこにいるぜ。ていした偉丈夫じゃねかあいつはやりそうだねぇ。」

 十人ばかりが道の先で待ち構えていた。


 「なあ、叔父貴あいつらの最後見届けてやってもいいかい。」


 「慶次郎好きにしろ。ただ、ここを立ち去ることだけは許さん。」


 「すまねえ、叔父貴。」


 武田の忠臣たちは寡兵ながらよく戦った。

 慶次郎も積極的にならないが、織田方の旗色が悪くなると加勢して助けるぐらいのことはした。


 勝頼に最後まで従った武将、土屋昌恒、小宮山友晴、阿部勝宝、長坂光堅、秋山源次郎・紀伊守、兄弟、小原下野守・継忠、兄弟、大熊朝秀、達は織田相手に獅子奮迅の働きをし、死んでいった。むろん、勝頼嫡男武田信勝も戦った。信勝にはこれが初陣だったのだが。

 信勝は父の元に戻ると睨みつけ口を開いた。

 「皆、臆したのかすべてのものに終がある。松樹の千年も槿花一日の栄えも同じこと。百年の歓楽もわれ十六年の生涯も同じように夢に違いない。命を惜しむなかれ。痛恨の極みは新府に踏みとどまり奮戦し、城を枕に討ち死にすべきものを臆病者どもの讒言に従い、ここまで落ち延び野人の手にかかり屍を晒すだけだ。賊徒の手にかかるより麟岳りんがくと刺し違えれば冥土までの導きを頼むことができよう。」

 信勝は恨みを父にぶつけると大龍寺麟岳(武田信綱の子・信勝の従兄弟)と共にお互いに脇差で刺し違えた。


 最後まで付き従った忠臣たちの獅子奮迅の働きも衆寡敵せず次々と討たれていく。


 そんな中、武田大膳大夫勝頼は静かに腹を切り、残っていた正室や側室、女房衆、武者などはすべて自害をした。


 ここに、甲斐武田は滅亡した。浅間山の噴火から一ヶ月足らずのできごとだった。


 その後、土壇場で勝頼を裏切った小山田信茂は信忠に投降するが「土壇場で勝頼を裏切るとはなにごとか。小山田こそは古今未曾有の不忠者よ。」と罵られ処刑される。


 三月二十一日に信長本隊は諏訪、法華寺に入った。


 「惟任日向守さまでございますね。」

 夜半、眠れない様子で庭に出ていた、明智光秀に黒衣の僧が話しかけた。


 「御坊は面を付けておるのか。」

 僧の顔には亀面が付いていた。


 「御無礼お許しあれ。日向守様は天下をお望みの様子、いかがですか、我らの力を貸しましょう。」

 光秀はいきなりの提案にいささか面を食らった。


 「な、何を申すか。妖しい面をつけたものの話など、聞く耳持たんわ。この日向、上様を裏切る気持ちなど微塵もないわ。それ以上、虚言を弄するならば、僧といえどもこの場で切る。」

 光秀は脇差に手をかけた。

 

 「これは失礼した。いずれまた会いましょう。我が名は弓削道硯。さらばでございます。」

 弓削道硯は光秀を見つめたまま夜の闇に消えていった。


 光秀はその場を動けずただ見つめるばかりだった。

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