本能寺の変 後編
第13話 包囲
桂川を渡り終えた明智光秀は1万3千の軍勢を三隊に分ける。
明智秀満、4千。明智光忠、4千。残り5千を光秀本体とし、まずは本能寺を包囲、急襲するよう命を下した。
「道はひと筋だけにこだわらず分散して進め。本能寺は木に囲まれている。サイカチの高い樹や竹やぶを目指して粛々と進め。」と注意を与えた。
本能寺にはサイカチという名のマメ科の落葉樹が生えている。サイカチの幹はまっすぐと伸び、木は15メートル程になる。本能寺周辺からサイカチの木が生い茂ってるのが良く見え一種の目印になっていた。
ちなみに、信長は本能寺の竹や樹木を伐採することを禁制としていた。
かわたれ時に本能寺は包囲された。実に兵法の見本というべき黎明の奇襲攻撃が開始されようとしている。
「本能寺、包囲いたしましてございます。」
秀満より使い番の伝令を溝尾茂朝が代わって光秀に報告する。
光秀は床几からゆっくりと立ち上がると軍配を握り締めていた右手を大きく振るう。
「攻めかかれ。」
冷たい光秀の声が口から漏れた。
「坊、力、起きよ。何だか外が騒がしい。私は外を見てそのまま上様に報告に行く、そなたらは皆を起こし御用部屋に行け。力丸、起きんか!!坊丸、後は頼むぞ。」
乱丸は部屋を出て走っていった。
「力丸起きろ。大変な異変が起こってるかもしれんぞ。って早く起きんかー!!」
森坊丸長隆は寝ている森力丸長氏を大きく揺さぶった。
「坊兄さんおはようございます。朝ごはんですか?」
間延びした声で力丸が言った。
「違いわい!!外が騒がしいからって、乱兄さんが見に行った。お前と私は他の者を起こすぞ。」
坊丸は力丸を諭すように言った。
「そうですか、多分、けんかじゃないですか。乱兄さん心配性だから。あ、でも、乱兄さんに逆らうと後が怖いから言う通りにします。」
力丸は身震いを一つすると渋々布団から起きだした。
「それじゃぁ後、よろしくお願いします。」
力丸はそう言うと走って部屋を出ていった。
「あ、やられた。」
坊丸は渋々ながらも急いで布団を片づけに入った。
森乱丸成利は、本能寺の廊下を走っていたが、部屋の前で立ち止まりその場で片膝立ちになった。
「上様。」
少々上ずった声で襖越しに中へ声をかける。
乱丸は返事を待ったが返事は帰ってこなかった。
「ごめん。」
そう言うと乱丸は襖を開け部屋ににじり寄った。
部屋の中には上質な夜具が整えられていたが使用された形跡は無いように見受けられる。
(上様がおられぬ。どういうことか。ここでお休みになられた様子はないし。)
乱丸は一瞬、思案すると立ち上がり信長の寝所を出て廊下を再び走った。
「坊丸、力丸。落ち着いて聞いてくれ。上様がおられぬ。寺内の上様の行きそうなところを見て回ったが見当たらなかった。ただ、酒宴の席に禍々しい腕だけが残されてたのが気になったが。それよりも、今、寺はすでに、水色桔梗の旗に囲まれてる。」
乱丸は緊張しながら二人の弟に小声で話しかけた。
「日向守様が謀叛ということでよろしいですか。」
坊丸にも乱丸の緊張が移った。
「あ、じゃあ良かったじゃないですか。本能寺に上様がいないってことは、光秀様の謀叛は失敗ってことですよね。」
間の抜けた声で力丸が言った。
乱丸はため息をひとつついた。
「お力、確かにそうかもしれんが上様不在を悟られないようにここで時間を稼がないとならない。」
「いいですよ、暴れまくりますよ。」
力丸は喜々として言った。
「いや、お力お前は、三位中将信忠様のもとへ知らせにいけ。」
乱丸は力丸の目を見て言いった。
坊丸は大きく頷き、力丸の肩を叩く。
「頼むぞ。」
「兄さん私は嫌です。兄さん達が行ってください。」
力丸は坊丸の手を叩き乱丸を睨みつけた。
「今、言い争ってる時間などない。力丸にしかできないから、お前に頼んでいるんだ。明智の軍勢の包囲を大きな騒ぎにならずに突破できるのは力丸だけなんだよ。頼むから引き受けてくれ。上様のためにも。」
乱丸は力丸に強く言う。
「兄上……。」
今にも涙が溢れそうな目をして二人の兄に視線を送り二人にしがみついた。
しがみついた力丸をふたりの兄は優しく座り直させる。
「早く行ってくれ。私たち小姓組は無碍に殺されはしない、充分に時間を稼いだらここを脱出するよ。力丸は、必ず、中将様のもとにたどり着き落ち延びてくれ。よいな、さあ、早く行け、力丸。」
乱丸は険しい顔で言った。
力丸は無言で立ち上がり、そのまま部屋を出て走り出した。
(頼むぞ、力丸、生き残ってくれ。)
乱丸と坊丸は開け放たれた襖を見つめ心の中で力丸に問いかけていた。
乱丸は本能寺に残っている小姓衆を集めて言い放つ。
「明智日向守光秀、ご謀反でございます。」
一同は驚きを隠せずに目を丸くしたが、乱丸の言葉の続きを聞こうと静まり返っていた。
「上様におかれましては、早、お落ちあそばれました。ですが、明智は、まだ知り得ておりません。だからこそ我らは上様がここにいると思わせねばなりません。」
乱丸は一同を舐め回すように見る。
「お乱殿は我らに戦って死ねと申すのだな。」
年かさの小姓が言う。
「お乱殿、我ら上様にこの命すでに捧げ奉っております。」
別の小姓も口を開く。
「ならば早、ここが死に場所と、決め候。」
小姓とは言い難いぐらいの年の武将が言う。
「一人でも多くの明智の謀叛人どもを道連れに死での旅路と参りましょう。」
利発そうな小姓が大仰な身振りで言い破顔一笑した。
同じ頃、坊丸は女房衆に話をしに行っていた。
「明智日向守、ご謀叛でございます。ついては女房衆は早、裏手よりお逃げ下さいます様お達しが出ております。また、日向守ほどの者でしたら婦女子には手を出さないものと思われますのでご安心くだされ。」
女房衆の中より濃姫従きの女中が出てきた。
「濃姫様が見当たらないのでございます。」
力丸はギクッとしたが、平静さを装う。
「お方様は上様とご一緒ですからお気になさらずに、皆様はお支度を整え、早、お逃げくださいませ。」
坊丸は背筋に冷や汗をかきながらも女房衆の元から足早に立ち去った。
「戸を締めよ。弓を槍を種子島をありったけ持ってこい。火薬を持ってこい。油を用意しろ……。」
本能寺宿舎内では静かに明智軍迎撃準備が進んでいった。
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