第14話 妙覚寺
京都所司代にして信長の行政官と言われている村井貞勝春長軒は本能寺近くの自邸にて就寝していた。
村井民部少輔貞勝は尾張統一以前より信長の文官として重用されており、足利義昭を追放した時より、京都所司代を任ぜられていた。この前年天正九年に家督を息子、貞成に譲り村井春長軒と号していた。
春長軒は、何やら外の騒がしさに飛び起き、庭より塀の外を見やると、水色桔梗の旗指物が右に左に動いているのを見る。
春長軒は即座に明智光秀の謀叛と悟り、ボロをまとい隙を伺って、邸を脱出すると信忠の宿舎たる妙覚寺を目指して老齢にも関わらず走り出した。
春長軒は武功派ではなく吏僚派と老齢のためか息が長く続かない。
もう少し頑強な体を作るために槍でも振るっていればこんな情けない状況にならなかったのにと、危急存亡の時にこんな考えなどと、体と反比例してよく回る頭ばかり回転させていた。
本能寺から妙覚寺までは直線にして6百メートル程度の距離なので特に問題なければ10分足らずで歩いて行ける。
それでも、春長軒は明智の兵を警戒しながらかなり遠回りをせざるを得ない状況だった。
春長軒の頭の中には京の地図があり、無闇に動き回っているようでも頭の中の地図上では妙覚寺には確実に近づいていた。
「よし、その路地を曲がればあと少しだ。」
そうつぶやいた春長軒の背後から同じようにボロをまとった者が近づいてくる。
春長軒はもつれる足で走りながらも脇差に手をかける。
「春長軒様?」
もうひとりのボロをまとった者が声をかけた。
春長軒は「ばれた。」と思ったとたん足がさらにもつれその場で転倒してしまった。
ボロをまとったもう一人の者がボロをまとっている春長軒の倒れているところにやってきた。
「あ、やっぱり春長軒様だ。大丈夫ですか?あ、力丸です。」
と言うと倒れたままの春長軒を森力丸は覗き込んだ。
「り・き・ま・る?」
さすがの春長軒ですらも一瞬、頭の中が真っ白になってしまった。
「違った?所司代様とお呼びしたほうが良かった?」
そう言いつつ力丸は春長軒を立たせてやった。
「力丸そなたこのような所で何しておるのか。と言うか、上様はいかがした。もしかして、早。明智はどうした。そなたの兄上達は、同僚達はいかがした。え、どうした。なにか答えんか。」
春長軒の矢継ぎ早の質問に力丸は口を開いたり閉じたりするが声をかけれずにただ聞いているだけだった。
春長軒の話が途切れると力丸はようやく話す。
「えっと、その、そんなに一遍に言われてもどれから答えれば。あ!!それよりも、中将様のところに行かないと。春長軒様も中将様のもとに行くんでしょ。」
相変わらずの緊張感のない力丸の答えだったが、春長軒はわれに帰った。
「む……。そうだなそなたの言う通りだ。一緒に妙覚寺に急ぐとしよう。だが、これだけは聞かせてくれ。上様はどうした。」
春長軒はゆっくりと走り出し力丸も後に続き。
「あ、はい、ここではちょっと言えません。中将様に直接お伝えしなければならないのでその場でよろしいですか。」
力丸はきちんと言った。
「むむ……。あい分かった。では、妙覚寺で一緒に聞かせてもらおう。」
春長軒はようやく平静を取り戻し、力丸の状況を確認する。
力丸の顔はあちこちが腫れ上がりボロから覗く手足にも切り傷が多数ある。
(よくもまあ、この状況で立って、儂とあのようなやりとりをしたもんだ。)
春長軒は感嘆と侮蔑の相反する気持ちが上がり複雑な顔をしていた。
(どうって言うことはないさ。)
坊丸は春長軒の複雑な顔の意味を正確に捉えていたが、気にする様子を見せずに先駆け妙覚寺に向かう。
春長軒はよろめく足取りで力丸を追っていった。
「な、父上が行方不明だと。まことかそれは。」
織田信忠は興奮して立ち上がった。
妙覚寺の一室で信忠、村井春長軒、森力丸の3人が一堂に会している。
信忠は再度座に就いた。
「春長軒殿はご存知だったのですか。」
「いいえ、私も今ここで初めて聴いた次第です。」
春長軒も驚きを隠せない。
「それで、本能寺に残った皆様方は上様のご不在を偽装してできるだけ時を稼ぐつもりだと言ってますので、中将様は一刻も早くなすべき事をなして下さい。」
力丸は真っ直ぐ信忠を見つめている。
信忠も力丸を見つめ、春長軒は二度頷いた。
「あい分かった。これより我らは安土へと引く。春長軒急ぎ支度させよ。」
と言うと信忠は立ち上がった。
「では、私は戻ります。」
力丸はその場で立ち上がる。
春長軒も立ち上がり、
「まて、力丸、そなたどこに戻ろうというのだ。」
「はい、本能寺です。幸い本能寺の外の宿舎にいる仲間もいるので一緒に戻ろうかと思って。」
力丸の答えに春長軒は力丸の腕を取った。
「まてまて、いまさら戻っても本能寺の寺内には入れないぞ。このまま中将様とご一緒するのだ。それがそなたの兄上達の想いでもあるだろう。」
力丸は気がついたような顔をして目に涙を浮かべる。
信忠は襖を開け放った。
「皆の者、これより急ぎ安土へ参る。馬を引け!!飛ばすぞ付いてこれない者は置いていくぞ!!」
そうは言ったものの春長軒は、偽装の必要性を信忠に説いた。
信忠軍、5百騎は50騎づつ編成し7隊を囮としてバラバラに走らせ、信忠本隊の先駆け一隊、もう一隊を後詰めとして妙覚寺より北へ走り転じて東に向かっていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます