第11話 激闘高遠城

織田信忠は小笠原信嶺を先頭に川尻秀隆、団忠正、森長可は部隊を山下に配備し、信忠母衣十騎とともに、高遠城の下を流れる川の手前にある高山に駆け上る。

 「仁科五郎もあれだけのことを言ったからには、激戦は免れえぬであろう。」

 信忠は高遠城の構えや動静を展望しながらぽつんと言った。


 「中将様、上様はご自重を促しておいででありますが、いかがするおつもりですか。」

 秀隆が聞いた。


 「そうよのう。いかにすべきかは思案のしどころよ。」

 信忠は腕を組んだ。


 「中将様、この兵力差であれば難なく高遠城を落とせます。なんなら俺と平八郎だけでも落としてみせますよ。」

 長可は強く主張し、忠正は大きく頷いた。


 「何を言うか、上様は自重し性急に事を構えるなと命じておられるんだぞ。」

 秀隆は長可と忠正に向かって言った。


 「しかし、上様を待っていたら、われらの功名手柄なんぞ一気に萎んじまうんです。肥前守様だって功名、上げられなくなっちまうんですよ。」

 忠正は強く言った。


 「だからといって上様のご命令に逆らう訳には……。」

 秀隆の語尾が小さくなる。


 「ここが勝負のしどころなんでい。高遠城を抜けば、勝頼の首に手をかけたとこまでいけるんだぜ。手をこまねいて、上様に功名持ってかれちまっていいんですかい。」

 長可は興奮して声が大きくなった。


 「しかし……。」

 秀隆は困り顔になっていた。


 「森武蔵、団平八郎それまで。決めたぞ。明日、高遠城を攻める。今夜兵を進めるぞ。肥前、森武蔵、団平八郎は信嶺と大手より攻めよ。儂は滝川将監とともに搦手より攻める。者ども励め。」

 信忠は断を下した。


 「は、かしこまって候う。」

 秀隆、長可、忠正、信嶺、四人の武将は信忠に頭を下げ、ニヤッとした。


 貝沼原の砦に帰還した信忠たちは夜半に貝沼原を出陣し、信嶺に三峰川の渡しを案内させ、高遠城を包囲していった。


 夜半過ぎに高遠城周辺に織田の兵が集まってきていることに気づいた保科正直は物見櫓で城外の様子を見ながら少々慌て始めた。

 (何もう攻めてきたというのか、まさかこのように早く攻めかかってこようとは思ってもみんかった。寝返るにしてもそれなりの手順がいるがいかがすればよいものか。お、あそこに小笠原の旗が見える。よし、信嶺殿を頼るとしよう。)


 考えをまとめると正直は小笠原の陣へ寝返りの段取りを記した矢文を討ち入れた。

 だが、正直が放った矢は信嶺の元に届いたが、とき既に遅く寝返りは適わなかった。


 大手門攻め組の陣が整った頃、信忠と一益は搦手に移動していた。


 この頃夜が明けようとしていた。


 高遠城大手門が大きく開かれ騎兵が現れた。

 「武田家家臣、小山田備中。」

 「同じく、小山田大学。」


 「いざ、参る。」

 小山田兄弟は声を合わせ名乗りを上げる。


 織田の将兵はざわついた。


 「死出の旅路と参ろうか。」


 「兄者、いざゆかん、我が槍馳走仕る。」


 小山田兄弟、5百騎の死兵が一気呵成に小笠原と団の馬印、目がけて突っ込んでくる。


 小山田備中が右を刺せば小山田大学が左を切る。

 「甲州武者の武門を見たか!!」

 「かかれー!!死ねや死ねー!!」


 織田の兵を蹴散らしていく、小山田兄弟。小笠原と団の兵が崩れていくと、小山田兄弟は方向を転回し川尻隊にへ突っ込んでいく。


 「ひるむなー!!たかだか小勢ごとき取り囲み、討ち取れー!!」

 秀隆の檄が飛ぶ。


 小山田兄弟を取り囲もうと包囲の輪を作ると、兄弟は騎兵を巧みに操り包囲完了前にするりと抜けて兵を蹴散らかしていく。


 川尻隊も支えきれなくなると森隊に矛先を転じる。

 「ええい。情けねえ。こんな体たらく御大将に大見得切っといてできるかってんだ。鬼武蔵の名前が泣くとくるわい。」

 長可の威勢が飛び、自ら打って出た。


 まさに、小山田兄弟が縦横無尽の活躍を見せると名残残さず城内に引いていった。


 初戦の状況を苦々しく見ていた保科正直は寝返りの手はずを整えられぬと悟り隙をみて手近な側近だけを連れ、人質として城内にいた妻子を残して高遠城を脱出していった。


 大手口の戦いが一段落した頃、搦手口に信忠、一益は陣を構え攻撃を開始する。


 城内に戻った小山田兄弟は一息つくと今度は搦手口に移動する。

 「よーし、次は搦手だ。織田の大将は搦手にいると思われる。よいか、端武者など捨て置け、狙うは大将の首だけよ。皆の者、気張れやー!!」

 「指物や立物などはうち捨てよ。これが先途と攻めかかれ。いざ死ねやー!!」


 搦手口では信忠自ら先頭に立ち城塀によじ登り叱咤激励していく。

 「甲州兵何するものぞ。織田の底力みせてやれ。われに続けー!!」


 信忠の旗本たちは大将を討ち取られまいと必死に防戦、反撃をしていく。


 滝川の兵たちも信忠の奮戦を見て奮い立っていた。

 「叔父貴、御大将突っ込んでるぜ。俺も滾ってくるぜ。」

 前田慶次郎は長槍を縦横無尽に振るい喜々として戦場を楽しんでいる。


 「おう、慶次郎、御大将を死なせるわけにはいかんぞ。励めや励め。」

 益重も槍を振るう。


 「そうだな叔父貴、じゃ、ちょっくら顔出してくるわ。」

 慶次郎は槍を振り回し走り出す。


 「ちょ、ま、お、慶次郎また勝手を戻ってこいー!」

 益重の声は戦場の喧騒の中に掻き消えた。


 慶次郎は滝川の陣から大将、織田信忠の陣にて戦場を移していた。


 搦手口はすでに混戦状態のため小山田兄弟は騎馬で颯爽と飛び出すわけにも行かず、徒歩にて槍を振るっていた。


 搦手門はやがて破られ徐々に城内三の丸へと戦場が移っていく。


 慶次郎は好敵手を求め武田兵をあしらいながら戦場を彷徨う。


 そんな中、小山田大学と慶次郎は目と目があった。互が好敵手と認め合った瞬間だった。

 「織田家、滝川左近が家臣、前田慶次郎まいる。」


 「武田大膳大夫が家臣、小山田大学まいる。」

 二人は同時に前に出、槍を繰り出す。


 慶次郎の槍は真っ直ぐ繰り出され、小山田大学は慶次郎の槍先を左に弾く。慶次郎の槍は円を描くよう右回りに回り、隙を見つけた小山田大学は真っ直ぐ槍を繰り出す。

 慶次郎は左前に一歩踏み出し槍先を避ける。小山田大学の左脇を一周回った慶次郎の槍が叩く。

 小山田大学は右によろめきながらも、慶次郎に槍を繰り出すが、慶次郎に軽々とはじかれ、慶次郎の槍が 小山田大学の脇腹を深く刺した。


 「よき、武者に手合わせできた。礼を言おう。」

 小山田大学は、闘争心を失わずに、慶次郎を見つめた。


 「俺もなかなかの手応えを感じれて嬉しいぜ。」

 慶次郎は花のような笑みを浮かべその場を立ち去った。


 小山田兄弟の兵たちは信忠に食らいつこうとするが、信忠旗本たちの必死の抵抗もあって近づくこともできず兵を減らしていった。

 小山田備中自身も信忠を討ち取ろうと働くが近づくことなどできなかった。


 小山田備中は身に七、八ヶ所にも及ぶ深手を負い、弟、大学も半死半生の重傷を負ったため城内に引いた。


 いつしか大手門も破られ、三の丸は織田の手に落ちようとしていた。


 盛信たちは本丸御殿の中いにた。

 「備中、大学。そなたらの兄弟の働き並びもの無くあっぱれである。次はこの五郎が信忠に引導を渡してくれようぞ。」

 言うと盛信は立ち上がった。


 備中は盛信の草摺に取りすがった。

 「御大将なりませんぞ。大将とはそもそも兵どもに戦をさせ申すものでございます。御大将は指揮を取るのが本分であって槍を振るうのは匹夫のすることですぞ。進退窮まった時こそ、お腹を召されればよろしかろうと存じまする。」


 「備中よう申した。五郎、思い違いをしておった。酒をもてぃ。」

 盛信の肩がわずかばかり落ちていた。


 高遠城は戦の喧騒に包まれている中、南曲輪だけは静けさに包まれている。

 無人の南曲輪に見えたかと思ったが、怪しい風を吹かせながら龍面を付け腰まで伸びた長い黒髪の黒い狩衣姿の女がただ一人立っていた。


 「面白いもの拾えるかしら。」

 そうつぶやいた妖しい龍面の女は城内に消えていった。


 三の丸から二の丸に戦場は移っていく。

 高遠城内の兵はすでに死兵と化しひとりひとりが織田兵を多く殺傷することだけを考えて行動していた。男に限らず腕に覚えのある女性に至っても同様だった。


 ここに、諏訪勝左衛門尉と名乗った武者も織田兵と戦っていた。

 二の丸館の中で、勝左は槍の冴えを見せていた。右を突き左を切り、後ろを石突で突き前を刺す。縦横無尽に活躍すれば目立つことになりよりいっそう、敵兵の注目を集めていった。

 勝左に向けられた槍の数が次第に増えてきた。


 やがて、一発の銃弾が勝左を貫いた。


 容赦なく繰り出される槍を銃創を負った体で避ける跳ねる除ける。隙を見せた勝左の左脇腹に織田兵の槍が刺さる。


 「勝左様―――!!」

 大声で叫びながら薙刀で織田兵を蹴散らせながら女が勝左に駆け寄ってくる。


 「はな、すまんな先に逝くぞ。」

 勝左は一言だけ言うと織田兵に突進するが3本の槍に貫かれた。


 「我が夫、諏訪勝左衛門尉の仇共。妻、はな。参る。」

 涙で濡れた顔のはなは織田兵に薙刀を鬼人のように振るう。


 「見つけた。ふふふ。」

 龍面をつけた女は不思議なことに誰にも視認されていなかった。


 はなの薙刀術を当初、織田の兵たちは侮っていたが、次第に本気になっていく。

 すると、はなの体に槍傷が増えていった。

 それでもはなの勇猛は賞賛の域に達している。


 はなの隙をついて織田の兵の槍が深々と、はなに突き刺さった。

 (ああ、勝左様の元に逝ける。)


 それを見た龍面の女は口元を大きく歪めた。


 「逝かせないわ。」


 龍面の女はいつの間にかはなの前に立っている。はなの身体を貫いた槍を引き抜くと、はなを刺した織田兵にその槍を突き刺し、はなを抱いて煙の中に消えていった。


 二の丸は燃え始めていた。


 「いよいよだな。」

 仁科盛信達は南曲輪の櫓の2階に移動していた。

 盛信の前には酒が出されている。


 「御大将お先つかまつる。」

 小山田備中は酒を煽ると従容として腹を切った。


 「……。」

 盛信は小山田備中の手にしている脇差を手に取りおもむろに腹十文字に掻き切り脇差を小山田大学に手ずから渡し絶命した。

 小山田大学は酒を立て続けに3杯煽ると、盛信に渡された脇差で静かに腹を切った。


 その場に、残された家臣は2階から下り妻子を刺殺し火をかけ、織田軍に突撃を敢行し残らず玉砕した。


 「燃えよ、滅びよ、死が満ちよ。黄泉津大神、大禍津日神、八十禍津日神、あまたの恨みここより、この女、はなに満ちみちよ。」

 高遠城を見下ろす山中から南曲輪を焦がす炎を見てとれる。

 龍面の智子の周囲には血に染まったしめ縄で結界が組まれ、中央には傷ついた、はなが横たわる。

 はなの腹の槍傷に黒い瘴気が集まり傷を塞いでいった。


 「……恐み恐み申す。」

 智子がポンポンと柏手を打つとはなの閉じられていた目が開いた。


 およそ生気の感じられない赤黒い目。


 はなは妖しい笑みを浮かべた。



 ここに、堅城、高遠城は落城した。わずか2刻ばかりの攻城戦であった。

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