第7話 暗躍

 禍々しい気が夜の闇に沈む山の中に渦巻いている。


 「一二三四五六七八九十。布瑠部由良由良止布瑠部。ひふみよいむなやこと。ふるでゆらゆらとふるべ。」

 鳳面をつけた小さき者が唱える。


 3人の黒き狩衣の者たちと1人の僧形の者が闇の中に沈んでいる山中の古ぼけた倒壊寸前の社の前で呪いを唱えている。


 「南莫三満多没駄南乃里底曳娑縛賀。南莫三満多没駄南焔摩耶娑縛詞。ノウマクサンマンダボダナンヂリチエイソワカ。ノウマクサンマンダボダナンエンマヤソワカ。」

 亀面をつけた僧形の者が唱える。


「黄泉津大神、八十禍津日神、大禍津日神、恐み恐みも申す。」

 龍面をつけた細く妖艶な者が唱える。


 「人の世の呪い、人の世の恨み、人の世の憎しみ、人の世の悪しき念、ここに集いて我らが大業に力をかせ。大暗黒天急急如律令。」

 虎面の屈強な者が呪いをかける。


 4人のそれぞれの呪が合ししていく。


 「我らが願いに答えよ。黄泉を支配し黄泉津大神、黄泉の口を神世の頃のように開かれよ。」

 4人の声が合わされる。


 4人の術者は一様に南西の方角を見つめている。


 術者たちが見つめる先一里程の所には標高2千5百メートル程度の山があった。逆に言えば山より鬼門の方向一里ほどの場所に禍々しい気を放つ4人の術者が山を見つめながらしゅを唱えていることいなる。


 四人の術者の無声の気合が合わさり艮の方向に放たれた時、その山は小さく揺れた。

 ブルっと寒気を覚えた時のように小さく揺れる。

 

 山から吹き降ろしていた風が止み、虫の音、夜鳥の声が聞こえなくなっている。

 それはまるで時が止まったかのように思えた。


 ほんの一瞬の時の流れが長く感じる時がある。異変に対する人間の原始の感覚かも知れない。

 死を感じた一瞬に自分の人生を走馬灯のように見るような時間の流れが今この場所から起こった。


 この時、日本列島すべてのものが二重写しになったかに見える。

 

 全ての出来事がこの時より二分される。

 この先の物語と既にある歴史とに。



 禍々しい気が山に向かって奔っていく。ただ、一瞬の間に。


 その山の名は浅間山。その火口に向けて4人の術者が放った渾身の禍々しい気が吸い込まれるように入っていく。


 浅間山が大きく揺れ噴煙を吐き出した。


 浅間山は信濃、軽井沢村と上野、嬬恋村との境にある成層火山(ほぼ同一の火口より複数回の噴火を経て出来上がった火山)直近の大規模噴火を起こしたのは天仁元年(1108年、平安時代)。


 火口付近では赤と黒の混ざり合った噴煙が夜の闇を照らした。

 浅間山を包むように広がる噴煙が大空を刺激すると稲妻が四方八方へ走った。


 噴煙よりも高く飛ぶものがあった。


 小さな無数の黒い粒状の瘴気が大空に放たれる。瘴気の粒は噴煙よりも早く広く拡がっていく。

 瘴気が日本全土に意思を持っているように飛んでいった。


 日本全土に瘴気が降る。山、平地、海、湖、池、沼、街、村、古墳、塚、墓所、社、寺ありとあらゆる場所に降り注がれていく。

 ごくまれに人に落ちる物もあった。


 「これで災厄の種は蒔かれた。」

 虎面の男が口を開いた。


 「だが芽生えるには今少し時がかかろうて。」

 亀面の男が言う。


 「はぁ。さても気の長いお話ではありませんか。」

 鳳面の女が軽く言った。


 「道鬼どうきさん。これが災厄の種かしら。」

 右手の小さな黒い粒を転がしながら龍面の女は虎面の男に見せながら問いかけた。


 「智子ともこよ。禍津日神二柱神の瘴気を戯れにつかうなよ。」

 道鬼と呼ばれた虎面の男は龍面の智子に咎めるように言った。


 「道鬼つまらないわ。目くじら立てても怖かないわよ。」

 智子は道鬼をからかう。


 「おいおい、そなたらは呆れてなんも言えんよ。そんなことではあの方に怒られるぞ。それよりも、薬子くすこが少々難儀しているようだが。」

 亀面の男が鳳面の女のところに近づく。


 「道硯どうけん様、お気づかい痛み入りますわ。」

 薬子は気丈な様子で言うがやはり声に疲れが出ていた。


 「地獄の釜の蓋は開かれた。それとも黄泉路といったほうが良いか。いずれにしても、もうここでやることはない。道鬼よ薬子の面倒を見てやってくれるか。」

 道硯は道鬼き話しかけると道鬼は無言で薬子に近づく。


 「あの、大丈夫ですから。本当にお気遣い……。」

 薬子の言葉が終わらないうちに道鬼の右手の剣印が薬子の額に当てられ、ゆっくりと後ろに倒れかかるが道鬼がしっかりと支えやがて薬子を横抱きにしていた。


 「あらあら、薬子だけなんてずるいわよ。」

 智子は残念そうに言う。


 「智子よ。お前さんは儂と道鬼が死ぬほど霊力を消耗しても平気で歩き回れるほどの力を持っているじゃろうて。」

 道硯が智子に呆れた口調で言った。


 「もう、それじゃあ私が化物だとでも思ってるわけ。」

 あきらかに智子は怒りを顕にした。


 「道硯、言いすぎたな。ふふふふふ。」

 道鬼はぼそっとつぶやいた。


 「さて、俺はもう行くぞ。いつまでも薬子を抱いているわけにはいかんからな。」

 道鬼は言い捨てると足早にこの場を後にする。薬子を横抱きにしたままで。


 智子は無言で道鬼を見送る。

 「だ・か・ら。坊主は好きになれないのよ。ど・お・け・ん。その剃り上げた頭じゃ髪切ってお詫びってしますって言えませんからね。どうしてくれようかしら。」

 智子は怒りと楽しみの混ざり合った声で道硯に迫った。


「智子すまなかった。儂がちと図に乗ったようだ。勘弁してくれ。」

 道硯は脱兎のごとく逃げ出した。


 智子はその様子を見たが特に追うことはしなかった。

 「今度会ったらただじゃおかないわ。」

 ただ一人でつぶやいただけだった。


 黒い噴煙は次第に白煙に変化していく。


 ただ一度の噴火は浅間山の気まぐれと思ってもおかしくはなかった。

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