第8話 織田信忠出陣す

 織田信忠は岐阜より兵を率い、美濃東部に位置する岩村城に駐屯していた。


 岩村城は信忠が秋田城介を拝命するきっかけになった城であった。

 織田信長が美濃攻略時に帰属した遠山氏の居城であったが、遠山氏が没すると信長は五男で幼少の坊丸(後の織田勝長)を遠山氏の養子とし、後見として遠山氏の妻、信長の叔母、おつやを充て、女城主として采配を振るった。

 その後、武田信玄の上洛戦と時を同じくして、武田の武将、秋山氏に城を囲まれおつやを説得して妻と迎え岩村城は武田に城を開城する。

 長篠の戦いの後、武田の隙を付き信忠を総大将とし、岩村城を五ヶ月に渡って攻め、武田勝頼の援軍が到着する前に陥落させた。

 開城の際、秋山、おつやの助命を約束していたが、信長はこれを翻し長良川川原にて逆さ磔にして処刑する。

 岩村城を落としたことを信長は大変喜び、朝廷に奏請して信忠に秋田城介を賜ることになった。

 後、信忠の副将各の川尻秀隆が城主に任命された。

 天然の地形を利用した要塞堅固な山城で、周辺では霧の発生が多いため別称として霧ケ城とも言われる。

 ちなみに秋田城介とは東北秋田の国司。元々は出羽城介と兼任し秋田城に依って東北出羽地方を統治する職であったが、平安後期に廃止され、鎌倉時代に秋田城介と名を変えて復活したが、室町時代には名誉職となっていた。


 遡ること更に半月前、信濃木曽地方を支配する武田家の親族衆、木曽義昌より信忠のもとに援軍を要請する一報が届いた。


 「武田勝頼の兵、木曽に来たる。」


 この頃、木曽義昌は武田家を離反し織田につくことを決めており、織田家に人質を預けていたが、ことが露見し武田家に預けていた人質の母と嫡男、長女三人が処刑されていた。


 信忠は即座に安土の信長のもとに知らせを送ると、織田長益(信長弟)を木曽の援軍とし木曽義昌を助けさせ、総大将を織田三位中将信忠とし、先鋒として森長可、団忠正を木曽口より、川尻秀隆を軍目付として伊那街道より、金森長近を飛騨から信濃へ兵を進めさせよと命が下った。

 さらに、滝川左近将監一益を岩村城にて信忠と合流し補佐の任務を与えた。

 さらにさらに、信長は武田攻めに対して注意を与える。

 「相手は武田である。夢々油断なく兵糧、士気に気を配り、性急に事を構える事無き様万全を期せ。信長も追って大軍を用して武田攻めに加わろうぞ。」


 安土城の信長は即座に武田攻めの大号令を発し兵と将を集めだした。


 武田勝頼軍の先鋒、武田信豊5千は雪深い木曽の残雪に難渋をし、地の利を生かした木曽義昌の活躍もあってか攻めあぐねている状況であった。


 信忠に遅れること半日程にして伊勢長島城主、滝川一益も兵を引き連れて岩村城に入城してきた。


 滝川左近将監一益、甲賀出身の一益は鉄砲の扱いに長け、信長が清洲城を居城とした頃より織田家に仕える。

 早くより伊勢の重要性を信長に進言して認められ、伊勢攻略の重責を担う。

 ちなみに、志摩の豪族、海賊大将、九鬼嘉隆を信長に引き合わせたのは一益と言われる。


 「中将様、遅くなりまして申し訳ありませんでした。」

 岩村城本丸館の広間で一益は信忠に向かって深々と頭を下げる。


 「何の将監そなたが来てくれて信忠、頼もしく思うぞ。」

 信忠は上座を降り一益の手を取った。


 一益は信忠の手をゆっくりと離し、一歩後ろに下がる。

 「恐れ多いことでございます。中将様、上様よりよくよく働くよう申し仕りました。お気になさらずに、この将監をこき使われますようお願い申します。」

 頭をゆっくりと下げる。


 「将監、よろしく頼む。」

 信忠はニコニコとしながらゆっくりと上座に戻る。


 大地の底から「ゴゴゴゴゴ。」と音が聞こえたかと思うと城全体が小さく震える。


 伝令と思われる鎧のガチャガチャとする音と床をバタバタと走る足音をさせて信忠と一益のいる広間に近づいてくる。


 「川尻肥前守様より伝令、信濃、松尾城主、小笠原信嶺おがさわらのぶみね、わが方に寝返りましてございます。」


 「相分かった。」

 信忠が返事をすると伝令は一礼して広間を後にした。


 先ほどの揺れに違和感を感じながらも一益は信忠を見る。

 「中将様、幸先よろしゅうございますね。すでに滝沢の領主、下条某も川尻殿に寝返ったと聞きおよんでおりますので、信濃には難なくして入れそうでございますね。」


 「うむ、少々手応えがない気もするが。だがな、将監、上様より事を急ぐな、万全を期せよと申しつかっておる。であるからにして、慢心は禁物禁物。」

 軽く手を振りながら信忠は再び微笑んだ。


 「確かに甲州兵の練度と粘り強さは侮りがたいことでございます。ですが、今の武田からは人心が離れております。相次ぐ戦や新府城の普請、関所の増設のため武田領内では重税がかけられているとか。お陰で、領民の怨嗟が渦巻いておりますれば意外なことになるやもしれません。」

 一益の手に力が込められ微笑が浮かぶ。


 「そうか、そういうことならば上様のご出馬を待っていたら手柄を上げられなくなるやもしれん。」

 信忠は真面目な顔になっていた。


 「草木も靡くようですか。それは困ります。」

 一益は微笑む。


 「将監……。」

 信忠が口を開いたときそれは起きた。


 岩村城全体が身震いしたかのように揺れ不安定な物が倒れる。


 「何事や……。」

 信忠、一益、2人ほぼ同時に口を開く。


 数瞬後、館の外の兵たちのざわめきが広間にも聞こえてくる。


 「何事であるや!!」

 一益は広間の外に出て大声で呼びかける。


 再び鎧と足音が近づき一益の前で片膝立ちになる。

 「ご、ご注進申し上げます。丑寅の方向の空が赤くおぼろげに燃えております。」


 「なにー!!」

 一益は縁を飛び降り庭に出て丑寅の空を見上げる。遅れて信忠も一益に倣う。


 「空が燃えている……。」

 信忠と一益は同時につぶやいていた。


 2日の後、武田勝頼軍、先鋒、武田信豊5千と織田長益、木曽義昌連合軍6千は鳥居峠で激突し武田先鋒隊を撃破した。

 武田本隊一万は先鋒隊の敗残兵を吸収したが諏訪、上原城に陣を構えたまま動けなかった。

 織田、木曽連合軍も深追いをせず奈良井宿に陣を構えた。

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