第9話 売僧
寺の一室で僧が加持祈祷を行っている。
「ナウマクサマンダバザラダンセンダマカロシャダソハタラタカンマン。」
不動明王真言だった。
炎の中に木の札が投げ込まれ再び真言を唱える。
「ナウマクサマンダバザラダンセンダマカロシャダソハタラタカンマン。」
重い空気が部屋に充満している。
「憎き織田信長、呪われよ。我が恨みを受けよ。無念に殺された門徒たちに変わり、我が恨みを晴らす。」
三度、不動明王真言が部屋の中に響き渡った。
「教如はどこに行ったー!!」
上質の袈裟を身に付けた威厳のある僧が声を荒らげてた。
浄土真宗本願寺派第11世宗主にして、元石山本願寺住職であった本願寺顕如または、本願寺光佐は織田信長との10年に渡る激しい攻防戦の末、朝廷を和睦の仲介役として手打ちをし信長側の要請通り石山本願寺の地を退去し紀伊国、鷺森別院へと移った。
だが、この時顕如の長男、本願寺教如は徹底抗戦を主張し石山本願寺内に篭城する。
結局、半年経過することなく朝廷の説得を受けて信長に石山本願寺の地を明け渡すが教如の画策か炎上し焼失してしまう。
顕如は立場上、教如を絶縁していたが密かに鷺森別院に匿っていた。
ちなみに、本願寺は氏ではなくただの区別表示で、本来は、顕如、教如などと出家名として呼ばれる。
「あのバカ息子めが。今だに織田の尻を追いかけてうろつきおって、今だに信徒を煽り立てて無駄に死なせおってからに。儂が涙を呑んで大坂石山を明け渡したのが無駄になってしまうではないか。全く苦労かけおって。弟のほうがよっぽど手がかからなくて助かっておるわ……。教如どこだー!!帰ってきたのはわかっておるのだぞ。」
遠くから父、顕如の声が聞こえる。
「やばい、ばれた。信長が武田攻めを宣言したようだ、よし、信濃には信徒が多く残っているはずだ。向かうぞ急げ、宗主に踏み込まれたら動きが取れなくなる。出るぞ、急げ。」
教如は同室の三人とともに別院から逃げ出した。
宗主、顕如が扉を開けた時、無人の祈祷台に炎があかあかと燃えているだけであった。
「ドン。」と大きな音がした。
顕如が床を強く蹴った音だった。
「また逃げられたわ。おのれ教如いつもいつも……。」
歯ぎしりが聞こえる。
「教如め。どこへいきおったー!!」
顕如の声は鷺森に虚しく響くだけだった。
教如一行は紀伊国を出て北信濃に向かうべくまずは、飛騨の地に入った。
飛騨から山間部の道を使い北信濃に抜けようとしたが、戦時中のこともあって関所が設けられそこから先には進むことができなかった。
そこで、方針転換して飛騨を北に抜け越前、加賀や越中のかつて一向宗が隆盛だった地の門徒の協力を依頼することとする。
教如一行が飛騨山中の古寺で夜を明かそうと休んでいる。ウトウトとしている教如がふとした時に目を開けるといつのまにか、亀面をつけた僧体の男が目の前に立っている。
教如は周りで寝ているはずの仲間を見回す。
「大丈夫、少し深く眠ってもらってるだけだ。」
座って寝ていた教如の前に亀面の男も座る。
「お前、なにものだ。」
教如は訝しみながら目の前の亀面に聞いた。
「私は弓削道硯と申す、信長にいささか恨みのある旅の僧です。」
「そうですか、私は本願寺派の教如です。私も信長には恨みを抱き活動をしています。これから加賀と越中の門徒のところで信長反抗を呼びかけに行く道中でした。」
「そうでしょうね。北信濃には抜けられないようになってしまいましたものね。」
「そうなんです、一足遅かったんです。」
教如は党を得たりとばかり前に乗り出した。
「今日は顔合わせにきました。共に信長を恨むものとして。」
道硯の声が低くなり口元が歪んだ。
教如は後ずさったが、壁が邪魔をした。
「道硯とやらなぜ、その面をつけてるのかお教え願えるだろうか。」
遠慮気味に聞いていた。
「あ、これね。うーん。人見知りするからってことで勘弁してくれるかな。」
明るい口調で道硯は答える。
「それじゃぁ。またあいましょう。」
突然の終了宣言に教如は目を丸くするが、すぐに深い眠りに入ってしまう。
「あらたな傀儡とするに良い物が見つかったわ。ククククク。」
道硯は邪悪な笑みを浮かべ夜の闇の中に消えた。
結局。教如は越前に抜け越前・加賀の門徒を煽り一揆を起こさせたが、北陸織田軍に鎮圧された。
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