第21話  新たなる出発

 梅雨の開けた夏の青空。夏の暑さを和らげる琵琶湖の風。つかの間の平和の時。

明智光秀の乱にて火をかけられた、安土の町は、復興の槌音が響いている。

 安土の民は戦の時、信長の好意により安土城に逃げ込み、ほとんどの民が、明智兵に無下に殺害されることはなかったが、戦える民たちに少なからず被害を受けていた民もいた。

 それでも、民と同じ目線で信長自ら槍を振るい、戦ったことが民の深い信頼と安心感を呼び、信長も被害を被った安土の民に見舞金などの保証を確約したことも手伝ってか、不平不満が出ることはほとんどなかった。

 また、復興のための木材などは、木曽義昌の協力を得て、木曽や飛騨の良質な資材をふんだんに使用することができる。

 ただ信長は、無条件で民を遊ばせることはせず、材料や技術は提供する代わりに自分の家は自分で作ることを命じていた。ただし、その者がやれることをやればいいという方針で、直接建物を建てることでなくとも役立つことをしていれば、それなりの給金を支払うという条件をつけ、反対に、動けるのに働かないものは容赦なく追い出した。そんな者はごく稀だったが。


 信長は、長岡幽斎を伴い、石垣が残る夏草深い、観音寺城跡を訪れた。

 

 「キンカンがダイダイになったか。」

 信長は目の前に現れた、二人連れの僧形に話しかけた。


 「天海殿、勝兵衛殿久方ぶりです。」

 そう言うと幽斎は頭を下げた。


 「上様には多大なご迷惑をおかけしまして大変申し訳ありませんでした。心温まるご堪忍いただき天海、どの様にお礼を申し上げれば良いか言葉のもうしようもございません。」

 明智光秀改、天海は深々と信長に頭を下げた。


 「もう良い。だが、そちのわがまま勝手を許すためにそちを生かしたのではない。これよりもこの信長のために働かせるためにその命預かっただけじゃ。よいか、思い違いをしたならば、そちの命だけではすまん、そちの一族、助けた宿老たちの家族まで根絶やしする。よいな。」

 信長はそう言ったが、その言葉には殺気が込められていなかった。


 「は、御意にございます。」

 天海と勝兵衛は信長に頭を下げた。


 「後のことは、幽斎に任せてある。儂はここまでじゃ、城に戻る。」

 信長はそう言い放つと足早に来た道を引き返していった。


 天海と勝兵衛は信長の背中に再び深々と頭を下げた。

 その場の幽斎も頭を下げる。


 幽斎は二人の頭が上がるのを待って口を開く。

 「さて、倅、与一郎の妻、お玉殿は、すでに正妻として丹後宮津に戻しております。山中に幽閉するなどと、大変申し訳ありませんでした。」

 幽斎は頭を下げる。


 「いえ、こちらこそ謀叛人の娘など切られても文句は言えない所をこのように今までと変わらぬ扱いをしていただきましたこと誠にありがとうございます。」

 天海は幽斎に頭を下げた。


 「なんの天海殿、倅、与一郎はお玉殿に惚れ込んでおりまして、この事を一番喜んだのは与一郎だったかもしれません。」

 幽斎はニッコリ微笑んだ。


 「なんのこの十兵衛、出家し天海と名乗ったからには、今後、栄枯盛衰は関心の外に置きとうございます。それでも、父として娘を末永くよろしゅうお願い申し上げます。」

 天海、勝兵衛は共に頭を下げた。


 「そうですか、そうも言ってられない状況なのです。坂本の城で見た亀面の男を覚えておいでかな。」

 幽斎の顔が真剣になった。


 「恥ずかしながら信州、法華寺にて会った記憶はござりますが、どんな言葉を交わしたのかまではどうやっても思い出せません。」

 天海は正直に告白した。


 「さもありなん。恐らくそこより十兵衛殿の思考が誘導されたに違いありません。あの者の名は弓削道硯。大八洲に災いの種を蒔いた者のうちの一人で、十兵衛殿は利用されたに過ぎません。奴らの目的は、混乱による大災厄をこの世に招くということです。応仁の乱以上の混乱。人による混乱だけではなく霊による混乱をも招くことで末法の世を凌ぐ世の中を作り出そうとしていると考えています。」

 幽斎は天海の目を見つめた。


 「……。なんと。」

 天海も驚きを隠せないでいた。


 幽斎はさらに続ける。

 「この度の乱の失敗は、貴船の龍神が、上様を救い出したことにより、龍神は上様に民の安寧のみを託されました。その後の行動は上様自らのお力のみで勝ち取っております。そして、上様には須佐之男の加護があります。」


 天海は坂本城で信長と対面した時のできごとを思い出した。

 「分かり申した。いずれにしても天海は坂本城で生まれ変わりました。このような大事を聞いたからには民の安寧を思う、上様の手助けをさせていただければと思います。」


 幽斎はにっこりとする。

 「ならば話が早い。天海殿を導いてくれる方を紹介します。明殿こちらへ。」

 幽斎がそう言うと、すぐ側の木の木陰からいきなり白狩衣姿の涼やかな青年が現れる。


 「安倍明と申します。」

 明は天海の顔を覗き込んだ。


 天海は少し驚き後ずさる。


 「明殿は少し変わっておりますが陰陽の術は信用に足りますよ。」

 幽斎は楽しそうに言った。


 「はぁ。そうですか。幽斎殿がそうおっしゃるのならば信じましょう。」

 天海は疑義を抱きつつも幽斎の言葉を信じる。


 「では、天海殿、ひとまずは、明殿と四国、讃岐に行ってきて様子を見てきて欲しいのです。どうすればいいのかは明殿にお任せしていれば大丈夫かと思います。それでは、明殿、天海殿、勝兵衛殿、お願いします。」

 幽斎は軽く頭を下げ、路銀の入った革袋を天海に渡した。


 すると、明はすたすたと先を歩き始める。

 天海と勝兵衛は明を追う。


 幽斎は三人の行く姿を目で追った。


 夏の暑さのさかりに琵琶湖の風が涼を運んでくれた。

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