東国の憂鬱

第23話 波乱

 夏の盛りだというのに、草木も生えぬ山肌に、蒼き月の光が雲間から落ちかかり、照らされた山肌は、賽の河原を思わせる光景が広がっていた。そんなおどろおどろしい場所に、異国の女と背の小さき女が明かりも持たずにただ二人だけ立っている。


 「あれが姉上の成れの果てというの?」

 小さな体に鳳面をつけた女、藤原薬子は唐服を着た妖艶な女性から話しかけられた。


 「ええ、そうですよ。あの石があなたのお姉様ですわ。」

 薬子はそう言うとしめ縄のかかった人の背丈ほどある岩を指さした。


 薬子が指し示した岩の下からは、時よりガスが吹き出し周辺に散らばっていく。それはまるで、無念の怨念がこもったような瘴気にも似ている。


 「得子とくこさん、あの岩一つでは、あなたのお姉様は蘇りませんよ。後、三つほど揃えない事には、役に立ちません。それでも、この岩が一番の要であることには違いありませんよ。残り三つの石はこちらで探しましょう。あなたには、お仕事をしていただきたいのですがよろしくて。」

 薬子はそう言うと得子の目を覗いた。


 夜の闇の中で銀色に妖しく光る得子の切れ長の目が細くなる。

 「ええ、わかってますわ。言われた通りのことをいたしましょう。ですから、薬子さんもお姉様の復活に尽力してくださいませ。」


 「ええ、私の方も言われた通りのことは必ず成し遂げますわよ。」

 薬子は若干胸を張る。何やら女同士のプライドのぶつかり合いが始まりそうだったが。


 「それでは、私は先に行きますわ。」

 得子はそう言うと、夜空を西に飛ぶ、銀色の体毛をなびかせ四本の尻尾を風に揺らしながら。


 得子が月に向かって飛び去るのを見届けた、薬子はしめ縄のかかっている岩を冷たい目で見つめる。

 「白面金毛九尾狐、玉藻前様、あなたの妹さんに期待してもいいのかしら。」

 薬子が殺生石にそう、問いかけると、岩の下より瘴気が吹き出た。まるで、殺生石が薬子に抗議でもしているかのように。

 その様子を見た薬子は、冷たい笑いを投げかけて月を見つめると、月の光を避けるかのように夜の闇の中にゆっくりと消えていった。


 那須野の夜はさらに更け、闇は深くなっていった。殺生石の恨みもまた深くなったかのようだった。




 「上様、滝川左近将監一益配下、真田安房守昌幸が一子、真田源三郎信幸と言うものが、内密の話があると上野から参っておりますがいかが取り計りましょうか。」

 この日、申し出取次役を受け持っていた森力丸長氏は真田信幸という自分より一歳年上の思慮深そうな青年武将にただならぬ気配を感じ、力丸自らが信長に取り次いだ。

 力丸は戦の時の傷は回復していたが、後遺症のためか若干、右足を引きずるようになっていた。

 信長は、そんな力丸を愛おしく思っており力丸の申し出ならば大概のことは聞いたが、力丸自身はそんなことは露ほども思わず与えられている仕事を日々こなしていた。


 そんな力丸の要請に真田信幸との面談を非公式ながら承認を出したのは。力丸との友誼だけではなく、微かな予感のようなものを感じたからなのかもしれなかった。そして、非公式の面談の場所として、信長は総見寺を指定する。

 信長は仕事の合間を見つけて総見寺に向かおうと思っていたが、なかなかに合間を見いだせなく、結局、亥刻を過ぎてようやくに、総見寺へと足を運ぶことができた。


 総見寺本堂で信長を待つ、信幸は泰然自若として、堂々たる武将に信長は見えた。だが、実際は力丸の一つ上の十七歳と聞いていた信長は力丸と比較して思わずほくそ笑む。


 そんな思いをしながらも、幽斎を伴ったのは信長の勘の鋭さだったのかも知れない。


 信幸は本堂で一人の間、瞑想状態であったが、信長の入室に合わせ、深々と頭を下げた。

 信長は、本堂上座に座り、幽斎は次席に座る。


 「岩櫃城、城主、真田安房守昌幸が一子、源三郎信幸、上様にお目通り頂きまして、誠にありがとうございます。」

 頭を下げたままの信幸だったが、実に堂々たる口上が本堂内に響く。


 信長は直言を避け幽斎を見た。

 「信幸とやら面を上げよ。」

 幽斎はそう声をかけた。


 信幸は顔を上げ視線を信長の足元へと向ける。信長は信幸を見た。

 これは、一廉の武者たる顔付、恐らくは戦場で何事があろうとも、冷静沈着な行動をとり指揮をする大将の器を持っている。惜しむらくは時と場所だな。武田が滅んだ今、上野の真田の所領ではたかが知れている。本能寺で儂が死んだとしたら上野か信濃か一国は成すことはできたとしても、北条、徳川に囲まれそれ以上の躍進はできぬであろう。敵に回すより味方として使ったほうが良いな。

 信長の思考はそう結論づけた。


 信長は不機嫌な顔を装う。

 「若輩者めが、寄親を飛び越え、安土まで何しにまいったか!!」


 信幸はここで初めて、信長の目を真正面から見た。

 「は、御意にございます。上様のお怒り至極当然のことでございます。さりとて、これは滝川左近将監様に関わることでございますればご容赦くださいますようお願い申し上げます。……上様は再びの混乱をお望みでいらっしゃいますか。」

 信幸は率直に言った。


 幽斎は目を丸くする。

 「それはいったいどういうことだ。讒言を弄するならば、そなたの首ここで貰い受けても文句はないな。いや、それだけではない、そなたの父にも影響があるかもしれんのだぞ。」


 信長は幽斎を制した。

 「よし、ならば、そちの話聞かせてもらおう。」

 信長は信幸に話を続けるよう促した。


 「滝川様が領内を巡察している時に、美しい女性を拾ったそうですが、その日を境に滝川様が粗暴というか、家臣の意見を聞かないというか、とにかく、お人が変わりました。ある時は、罪人を蛇を集めた穴の中に突き落とすような処刑をしたりしておりました。今の段階では上様に対して、あからさまなことをされてはおりませんが、野盗や罪人、僧兵崩れなどを集めて密かに何事かを画策しているとの話を耳にしました。私は若輩者でありますが、父、安房守が調べた結果でございますれば、間違いはないかと思います。」

 信幸は信長の威に呑まれることなく真摯に語った。


 寺の外では夏の虫が盛とばかり、鳴いているのが聞こえてくる。


 沈黙の流れる中、幽斎が口を開く。

 「信幸殿の話し、伺いました。少し気になる点がありましたので、こちらで調べさせていただきます。上様もそれでよろしいですね。」


 幽斎は信長を見つめる。

 「であるか。信幸は安土に来たことを悟られぬよう、急ぎ国元に戻れ。そちの父安房守にはいずれ、面会せねばならんな。この件が落ち着いたら考えよう。以上である。若輩者は下がれ。」

 信長は冷たく言い放った。


 「ありがとうござりまする。しからば、若輩者はこれにてごめん被りまする。」

 信幸は、そう言うと総見寺、本堂より立ち去りそのまま、安土山を下っていった。

 信長は、信幸の即断即決に迷いのない行動を認めると、一個の武将として認めた。


 「さて幽斎なんと見たか。」

 信長は幽斎に訪ねた。


 「は、上様これはもしや、殷の紂王の故事かと思います。」

 幽斎は信長を軽く試す。


 「ふん。妲己であろう。玉藻前と言ったほうが良いか。」

 信長も幽斎の試しを軽く返した。


 「ですが、玉藻前としては、狙った獲物が小さすぎるのではないかと。」

 幽斎は軽く微笑する。


 「そうか、一益は小物か。」

 信長も微笑を返した。


 妲己とは中国、殷の紂王(帝辛)に寵愛された妃にして、伝説の九尾の狐。紂王が周の武王に敗れ、焼身自殺をした後、周の軍師、太公望(姜子牙)により首を斬られるが正体を現し九尾の狐となり日本に逃げた。日本では玉藻前と名を変え、鳥羽上皇の寵愛を受けるが、陰陽師、安倍泰成に正体をばらされ行方を眩ます。

 その後、那須で女性の誘拐事件が頻発し、九尾の狐の仕業と看破した泰成は朝廷より八万の兵と武将とともに討伐軍の軍師として参加し、那須に下った。

 討伐軍はあの手この手と繰り出すが決め手に欠けていた。そして、最後の大攻勢の末、武者の放った矢が命中し九尾の狐は息絶えた。その直後大きな石と化して瘴気を放つようになった。その瘴気に当てられた動物たちは死んでいったので、土地の人々は殺生石と名付け恐れおののいた。

 その後、一人の和尚が神通力を持って殺生石を打ち砕き瘴気は弱まった。砕けた石のかけらは三つ場所に飛び去ったという。


 「どうも玉藻前であれば、狙うのは上様かと、であるならば、別の何者かの仕業かと思われます。例のあの者どもの仕業なのか、それとも別の者なのか、互いに協力しているのか。」

 幽斎は考え込む。


 「そうか、ならば、調べてみるまでは結論は出ぬな。だが、調べるとなると適任者はおるか。幽斎は安土にて陰陽法師の束ねをしなければならんし、陰陽法師だけでは心もとない。」

 信長はなにか含みのある物の言い方をして、ニヤニヤした。


 幽斎は信長の考えていることが少し分かった。

 「上様まさかと思いますが、自ら動かれるおつもりではないでしょうね。まさか、天下人たる織田信長公が動かれるとならば、九尾の狐討伐の故事よろしく大軍を率いることになりましょう。」


 敵を畏怖させ、家臣をも畏怖させた神のごとくの織田信長の性格は本能寺を境に変化したとしか言いようがない。どちらかといえば、尾張のうつけ時代の性格に近いのかと思われた。


 「幽斎、兵を率いることはせずに、忍んで行く。随行は力丸に太田牛一、そなたの推薦する陰陽法師だけで良い。儂の留守の間は、武井夕庵と長谷川秀一に代行させれば事足りる。良いか、これは龍神に頼まれたことで、民の安寧を望んでの行動である。」

 信長はどうだと言わんばかりの顔をした。


 「委細承知しました。これ以上は何も申し上げません。ただし、影共を付けさせていただきます。滝川殿は甲賀には明るいでしょうから、織田家の忍びも甲賀ですから使わないほうが無難でしょう。私の方から心当たりに依頼します。……その者は鬼の子孫と言われている八瀬童子です。ですが、比叡山の件がありますから素直に聞くかどうか。」

 幽斎は前半呆れ、後半悩んだ。


 信長は一瞬考えて口を開く。

 「よし、八瀬童子が比叡の件を水に流すと言うならば、比叡の再興を許そう。幽斎それで良いな。」


 「は、それでよろしかろうと思います。ですが、八瀬童子は、朝廷に仕えるもの。直臣になどとは申されますな。それと、八瀬童子は非常に閉鎖的な一族だと言うことをお忘れなきようお願い申し上げます。」

 幽斎は慇懃に頭を下げる。


 「であるか。よし、決まったぞ。急いで準備を進めよ。」


 その頃、信長との対面をはたした信幸は真田の忍び佐助を伴い夜中、馬を走らせすでに、美濃に入っていた。


 夏の盛りの夜は短く、東の空が白み始めていた。

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