第24話 旅立ち
真田信幸の訪れた、二日の後、安土城に異様な姿かたちをした人が訪ねてきた。
身の丈九尺五寸、九頭身、筋力隆々というよりはしなやかな、バネのような手足の肉付き、目は大きく細く少々釣り上がり気味。髪は短髪、手に鞭でも持たせればしっくりくるような女性だった。
幽斎はこの女性と陰陽法師を伴って安土山最北端に位置する砲台を訪れた。
「おお、幽斎待っておったぞ。暑い盛りだが琵琶の風が心地よいぞ。」
信長は幽斎一行が力丸の案内により前にくると気さくに声をかけた。
幽斎は信長の前に膝をつき、幽斎の後ろに二人も膝をついた。
「上様、例の東国の件、伴うもの連れてまいりました。」
幽斎はそう言うと左にずれ、伴ったものと信長の対面させた。
信長は力丸に声をかけると、砲台の先に歩いていく。
「私の後ろについてきてくだい。」
力丸は、膝をついている二人に言うと、立たせ信長のあとを追う。幽斎は最後尾に付き従う。
「そこに鮎がある、存分に食するが良い。今年の鮎は丸々として旨いぞ。」
信長はそう言うと、串焼きの鮎にかぶりつく。力丸は、二人と幽斎に串焼きの鮎を手渡した。
いきなりの饗応に面を食らう随行者の二人に、苦笑いをする幽斎。
琵琶湖には小早と言われる二十挺ほどの軍船、四艘が調練をおこない、搦手方面では物資の荷揚げが盛んに行われていた。
串焼きの鮎もなくなった頃、信長は声をかける。
「三郎上総介じゃ。以後頼む。」
幽斎は伴った二人を紹介する。
「陰陽法師の賀茂妙、八瀬童子の桃です。」
「であるか。」
信長らしい返事を返した。
「八瀬の桃とやら比叡の件、約束した。そちの働きによるところが大きいと自慢するが良い。」
「げらの働きやら気にしいひんでください。げらは、おんみの身を守るだけどす。」
桃は率直に言った。
げらとは、八瀬の方言で自分の事を言う。相手のことをおれと呼び、目上の人だと、おんみになる。
信長は一杯の水を柄杓で飲む。
「であるか。出発は明日、寅刻。随行は太田牛一、森力丸、賀茂妙、桃。皆の者頼むぞ、民の安寧のためじゃ。」
そこにいた、全てのものが膝をつき頭を下げた。
信長は東の空を見つめ目を細めるのだった。
翌日、寅刻に搦手口より織田信長一行は、幽斎、武井夕庵、長谷川秀一に見送られ東国へと旅立った。
幽斎は信長の無事を祈りながらも信長自身の行動を止められなかったことを悔やみ、心中、忸怩たる思いを感じざるを得ず、夕庵、秀一は裏の事情を知らされてはいなかったが、信長の突然の奇行には、慣れており、信長の無事を心底から祈りつつも自分たちの役目の深さを思うと、胃の痛む思いを感じていた。
信長は騎乗にて、目立たぬ鼠色の平服に宗三左の佩刀、鉄砲を馬の鞍に括りつけ、腰に道具袋を五つもぶら下げていた。太田牛一も騎乗にて、太刀佩き、柿色の渋めの平服に、重藤弓、短創と矢壺二つを馬に括りつけている。森力丸も騎乗にて、太刀佩き、若者らしく萌黄色の平服に、馬上槍を持ち、鉄砲を馬の鞍に括りつけている。賀茂妙も騎乗にて、男装の紺色の平服に長い髪を後ろで結びたらし、守刀を持っている。八瀬の桃は柿色の装束に手甲、脚絆で固め脇差を佩き、道具袋を腰に括りつけ、徒立ちで馬を追うその速さは時より馬をも追い抜くほどの早さだった。
信長一行は、その日のうちに岐阜の城下町、井ノ口に到着した。
岐阜城は、織田信忠の本城であったが、信忠は尾張、美濃の兵を引き連れて丹波平定の遠征に出ており、今は、城代として前田玄以が留守を与っていた。
だが、信長は城には入場せず、岐阜城下の井ノ口町の外れにある妓楼を訪れた。
「あら、お珍しい、三郎様。随分とご無沙汰でしたが、今日はどうしましたの。」
歳の頃は四十を回ったくらいの妖艶な腰つきの女が暖簾をくぐった信長に帳場から声をかけた。
「
信長一行は、店先に待たせて信長だけ中に入っていくと、名曳と呼ばれた女が帳場より立ち上がりあっという間に、信長のもとへ近づいてきた。
「三郎様、それで今日は、昔のようにアタシを抱きにきた訳ではなさそうですわね。」
名曳はそう言うと信長の尻をつねり、店の外を見ると今度は、信長の耳元で囁く。
「上様、しばし、胸をお貸しください。」
そう言うと名曳は信長の胸に顔を埋め声を上げひとしきり泣き出した。
信長は名曳が、泣いている間、優しく抱きしめていた。
名曳は信長に惚れていたが、元遊女でもあったために、そんなことは、おくびにも出さずにいたのだが、本能寺から始まった混乱の中信長の死が噂で流れたこともあっていたたまれなかったのだが、いざ、信長が目の前に現れたことによって緊張の糸が切れたのだった。
突然の泣き声が店の外にまで漏れてきて、信長を待っていた、牛一、力丸、妙は何事かと目を丸くしたが、桃だけはどこ吹く風だった。
「あらやだ、三郎様のお着物、汚しちゃったわ。蝶の姫に怒られちゃうわね。」
泣き終えた名曳は懐紙を取り出し涙を拭う。
泣き終えた名曳を見た信長は不覚にも美しいと一人思った。
「名曳すまんが、そなたの店、借りるぞ。」
信長は名曳を見つめていった。
名曳は、ニッコリと信長に微笑み返す。
「三郎様、いくらでもいつまででもお使い下さい。ささ、皆様もお呼びしましょうね。」
名曳は、少し赤くなった顔で外に待っていた牛一、力丸、妙、桃を妓楼へ招き入れた。
さすがに、妙、桃は怪訝な顔をしたが。
妓楼の二階に通された信長一行は、遊女の見事な手前で点てた茶を喫している。
牛一などは遊女の手前に見とれて茶を喫することなど忘れるくらいだった。
「う――。三郎様、この者達は一体何ものなんですか。」
牛一は、上様と言いかけたが、なんとか言い直し、信長に質問をした。
信長は、この旅の間は、三郎と呼びかけるようにと命じていた。
「又助、見て分からぬか。どこをどう見ても遊女に相違ないではないか。」
「はぁ、さようでございますか。しかし、武家の娘でもこれほどの腕前を持っておりませぬので。」
牛一は遊女の本質を知らない朴念仁だったのかも知れない。
無論、力丸は遊ぶことはなかったし、妙や桃なども遊女の本質を理解できるわけがなかったのだが。
この場で理解できてるのは、当の遊女と名曳、信長だけだったのかもしれない。
太田牛一、太田又助和泉守信定は、本能寺の変を境に牛一と名乗りを変えた。信長より七歳上であった。
元々は土豪の家の生まれで、僧侶をしていたが、還俗し斯波家に仕え後、信長に仕えた。
信長の近侍衆となり、弓の名誉の腕前であった。また、信長の吏僚として書記を勤めている。今は信長公記の元となる記録を密かにつけている。
茶を喫した一行は一息ついた。
「又助。そなた、岐阜城の玄以の元に行き東国で不審な出来事が起こっていないかそれとなく探りを入れてこい。」
信長は牛一に命じると牛一は一つ頭を下げ部屋を出ていく。
その様子を見ていた妙は、信長に向かって口を開く。
「三郎様。私も少々探りを入れようかと思いますがよろしいでしょうか。」
「であるか。ならば、護衛に桃を連れて行くが良い。」
信長は、妙に進める。
「桃、妙を頼むぞ。町外れであるから狼藉者が現れないとも限らん。」
信長は、桃に言った。
二人は信長に頭を下げると、連れ立ち部屋を出ていった。
部屋の中には信長と力丸、名曳が残った。信長は思案顔で二階の開け放たれた障子から夕暮れの様子を眺め、名曳は、微笑みながら信長を見つめている。
力丸は黙って、二人を見つめていた。
夕暮れの中、妓楼を出た妙は桃と連れ立ち、人家のない街の外までくると木陰に身を隠し座り込み、道具袋から紙片を取り出すと、折り紙の要領で梟を折る。桃は妙を見守りながら周辺を警戒しながら、妙の手先の器用さに感心していた。
梟を折り終えた妙は左手に乗せ、右手で検印を作り呪を唱える。
「オン・アビラウンケン・ソワカ。」
妙の左手の梟は、一度、首を傾けると東に向かって飛び立った。
妙は、梟を見送ると立ち上がり、そばにいた桃を見上げると微笑みかけ口を開く。
「戻りましょうか。」
「妙、下がって。」
桃は妙を庇うように前に立ち、鋭く声をかけた。
すると、町の方から六人の破落戸が近づいてくる。破落戸は傭兵崩れの様で腰に刀を差し、手には槍やら薙刀やらを持っていた。
「お嬢さん。こんな町外れにどんなようがあるのかい。」
破落戸の中で一番派手な装束をまとった男が、言い放つ。残った破落戸はニヤニヤしながら、包囲していく。
「お前ら、何もんや。」
桃は口を開いた破落戸に言った。
「通りすがりの人さらいだよ。」
そう言い放った派手な装束の破落戸が、桃との距離を一気に詰め、短槍の石突を桃の腹に向けて繰り出す。
短槍の石突が桃の腹にまっすぐ伸びるが、桃は左手のひらで受け止める。
桃の手のひらの中には寸鉄という武器があった。
寸鉄は、掌にすっぽりと入る大きさの鉄の棒で両端がわずかに尖り、中央部には指輪状の部分がありこれに中指を通して扱う。寸鉄人を刺すの語源となった暗器、接近戦用武具であった。
桃は、寸鉄によって受け止めた短槍を右手の寸鉄で、中央部を叩き折る。
派手な装束の破落戸は槍を捨て、刀を抜きかけたところで、桃に首を叩かれ、その場に崩れ落ちた。
残った破落戸は展開の速さについて行けなかったようで、手出しができなかった。それでも、派手な装束の破落戸が崩れ落ちると、一斉に桃に襲いかかる。
だが、桃の動きは体の大きさと違って、早かった。まるで、舞いを舞うように一人一人、倒していく。すべての破落戸は首を寸鉄で打たれて地面に転がっている。信長の護衛として選んだ幽斎の慧眼を疑うべきはなかったのだった。
妙はこの間、
妙と桃が妓楼に戻った時には、日は沈んでいた。
妙は信長に桃の格闘の素晴らしさや舞いを舞ったような動きを興奮気味に報告し、信長は、辟易としながらも聞いていた。が、妙の顔が赤くなってきたのを認めると、強引に話すのを辞めさせた。
結局、妙は式を放って、状況を掴めるのは夜半を過ぎてからとのことで、明日以降方針の決定をするということで話が落ち着いているが、牛一は、まだ、岐阜城から戻っていいなかった。
岐阜城より太田牛一が戻ってきたのは夜半過ぎだった。
岐阜城の前田玄以と、会いそれとなく周辺の状況や東国の噂などを聞き込んだ後、信長たちの待つ妓楼へと馬で戻ろうと駆け出し、距離を稼がないうちに、突然、牛一の馬が前のめりに倒れた。
牛一は、戦場にて活躍していた武将だったこともあって、無様に馬から投げ出され体を地面に叩きつける事はなかったが、年のせいもあってか着地の際に軽く足をひねってしまった。
牛一は体勢を立て直し、直ちに迎撃できるよう身構えるが、その後、襲撃させることはなかった。
しばらくして、牛一は、迎撃態勢を解き、馬を襲った物の正体を突き止めようと、馬を調べ出す。
この頃には、馬はほとんど虫の息で、回復の見込みは無さそうだった。
馬の首のあたりを調べると、日本のくないに似た物が突き刺さっているのが見受けられた。
牛一は、くないの様な物を手にし、再び、岐阜城に行き前田玄以に会い、馬が襲われたことを話し、くないの様な物を見せる。
すると、玄以は以前に見たことがあったらしく、唐の国の武器で、鏢ひょうであることが判明した。
牛一はここで、初めて、上様の密命を帯びて東国の様子を見に行くと玄以に告げざるを得なくなる。
無論、信長本人と東国に忍びの調査の旅と言ったらどんな状況になるか、また、信長不在が漏れれば、信長暗殺の危険が迫る可能性が格段に高まるだろう。だから、牛一単独の行動と思わせるための嘘をついたのだった。
玄以は岐阜の守備兵を少し割き、井ノ口町を探索させたのだが、怪しい影は捉えることができなかった。
そんなこんながあって、牛一が井ノ口の町外れの妓楼に戻ってくるのが遅くなったのだった。
さらに、ちょうどこの頃、賀茂妙の放った式が、戻ってきた。
夜半過ぎでも信長は起きており、牛一の戻った知らせを力丸から受けると、直ちに皆のものを召集する。
牛一が玄以の所より、聞いた話を披露する。
「信濃、甲斐、上野では、婦女子の行方不明が少なからず報告があるのですが、奇妙にも滝川一益が積極的に動いていないような噂が聞こえてきてるとのことです。それと、もう一つ気になる点がございました。三位中将様がお呼び寄せになった、武田の姫の一行が未だに岐阜に現れぬとか。予定通りであれば、すでに岐阜に到着してもおかしくはないと、ただ、明智の混乱があったため、引き返した可能性もあるとのことでした。ただ、確認のため、人を遣わしたとのことです。」
「であるか。」
信長は思案顔であったが、短い返事を牛一に返した。
「妙、何かわかったか。」
信長は妙に話を促す。
「はい。式の情報によると、残念ながら、武田の姫は囚われたようです。ただ、囚われている場所までは判明いたしませんが。ただ、他にも囚われた婦女子がいらっしゃるようです。その元凶は上野、下野にありと。下野は強大な力があるようですが、自由の身になっていない様子ですので、今のところ問題はないかと。とすれば、上野国が元凶かと思われます。」
妙は淀み無く信長の目をまともに見て話をした。
「であるか。やはり、左近か……。」
信長の思案は深くなった。脇息にかけた右手の人差し指が一定のリズムを取って叩いている。
その場にいる全員が信長の返事を待って緊張していた。
信長の指の動きが止まる。
「又助、力丸、妙、桃、最優先は囚われたものの救出。その後、元凶の排除だ。名曳も聞いておったな。」
信長は閉められた襖を睨んだ。
襖はゆっくりと開かれる。そこには、妓楼の女主、名曳が座っていた。
「三郎様、申し訳ありませんでした。ですが、私もお役に立ちたいと思いまして。」
名曳の目には涙が溜まっていた。
「よかろう、名曳、そなたの傀儡一族の力借りるぞ。それと、今後、盗み聞きは許さん、良いか。」
信長は名曳を部屋に招き入れた。
「皆の者、良いか全力を尽くせ。民の安寧のためだ。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます