第16話 信長の行方
桂川を渡った明智軍が信長の宿舎、本能寺に向けて行軍を再開した頃、織田信長と濃姫は、京、大文字山の中腹に立っていた。
「そなたは貴船の竜神だと申すのだな。」
信長は目の前にいる青白く光る三尺ほどの龍に話しかけた。
「あの明智光秀はただの傀儡に過ぎない。そなたが死ぬことでこの大八洲に大災厄が降り注がれることになっていた。」
龍神は信長の前でフワフワと浮きながら状況を説明した。
「であるか。」
物事に動じない信長であってもいきなりこんな場所に瞬間移動させられ、こんな説明を聞かされて、多少の混乱を覚えていた。
「しかし何故、信長殿が死ぬことで大災厄が起こるのですか。」
濃姫が疑問を感じて率直に龍神に尋ねる。
「混乱が必要なのだ。すでに大八洲には、災厄の種が蒔かれてしまっている。芽吹かせ育てるためには、混乱と恐怖という土壌や水が必要なのだ。混乱を起こすならば、織田信長の死が最適だとは思わんか。」
龍神は濃姫の疑問に素直に答えた。
「そういうことなのですね。つまり、信長殿は一世一代の痛恨劇を披露したということですね。あらあら、龍神様に助けて頂けなかったら私たち夫婦揃って死んでおりましたわね。」
濃姫は言い終わるとカラカラと笑った。
信長はひとつ咳払いをする。
「それで、貴船の龍神は、儂に何をせよと申すのだ。」
「特に何も言う必要はないと思うが、これだけは、言っておこう。来たる大八洲の混乱を鎮め民を安寧に導いてやってくれれば良いわ。これより大八洲は霊的混乱を引き起こされることであろう。あちらこちらに、あやかしや怪異、怨霊、悪霊の類が現れ、その力を増すであろう。またこれを画策する
龍神の姿が大きくなり大空に浮かんでいく。
「で、あるか!!」
信長の目に強い光が点った。
「そなたは須佐之男の加護がある、剣を取り民を安んじられよ。」
龍神がゆっくりと消えていく。
「行け!!行ってなすべき事をなせ!!」
龍神の声だけが信長と濃姫に響いた。
何者かの気配を感じた信長は振り返ると白馬が2頭、草を食んでいた。
「帰蝶走れるか。」
信長は濃姫に優しく聞く。
「はい、信長様には及びませんが大丈夫ですわ。さ、なすべきことをなすために、行きましょう。信長様のお城に。」
濃姫はひらりと白馬に飛び乗ると東に走らせた。
信長はやれやれと、言った顔をすると「頼むぞ。」と白馬に話しかけ、ひらりと白馬に飛び乗り、濃姫に追いつき、追い越していく。
2頭の白馬は道なき道を真っ直ぐ東に最速を保ったまま走っていく。
信長と濃姫は白馬に身を埋めて木々に体を持っていかれないように注意する。
それでも、足の部分の着物が枝に引っかかり破れていった。
道なき道から山道に出て、街道に出る。山城を越えいつしか、近江に入り、大津に近づくと方向を南東に変える。
大津から北よりの街道を進むと明智光秀の居城、坂本城に達するが。
大津から膳所、瀬田唐橋まで来ると夜が開けていた。
瀬田の唐橋を渡り北東に向きを変え草津から守山を経て安土城へと帰還を果たした。
織田信忠が、妙覚寺を後にした頃、本能寺を包囲していた明智軍は本格的な攻撃を開始している。
すると包囲の手を緩め別働隊の明智光忠軍4千は妙覚寺に到着する。
光忠は、妙覚寺を粛々と包囲し始める。
妙覚寺は本能寺と同様の法華寺であり、敷地は拡張された本能寺に匹敵する規模を誇っていた。
道を挟んだ東側には二条御所が新造されており、御所には誠仁親王が居住し、正親町天皇に代わって政務を執っていたため「今上帝」と称されていた。
包囲が完了すると光忠は10人ほどの足軽を集め妙覚寺の塀を乗り越えさせる命を下した。
なんの抵抗も反抗もなく、塀の上に立った足軽たちは妙覚寺の境内に飛び降りる。
光忠は内心焦っていた。明智秀満が本能寺にて手柄を確実に上げているのに対して、光忠は出遅れた感を感じて何としてでも手柄をあげようと思っていた。
だが、拍子抜けした様に妙覚寺の門扉が内側から開けられ先ほどの足軽たちが戻ってきた。
「境内に織田方の気配ありません。」
報告を受けた光忠は斥候隊を組織し妙覚寺内部に放つ。
光忠の焦りは絶頂に達していた。采配を握った手が震え顔に絶望の色が走る。
「もしかして。もしかして。まさか。まさか。でも、しかし、いや。これでは。」
光忠はブツブツと独りごとを繰り返す。
「光忠様、光忠様。お声がかなり漏れておりますが、お気を確かにお持ちください。」
側近にたしなめられる
。
ほどなくして、斥候隊が光忠の元に戻り復命する。
「織田方は卯刻(午前6時)すぎに騎馬にて上京方面に出立したもよう。」
「な、何だと―――。今はすでに辰刻(午前8時)か。殿の元に使い番を出せ!斥候隊にて行き先を突き止めよ。」
光忠はそう言うと手にしていた采配を力一杯地面に投げつける。
投げつけられた采配は大きく破損した。光忠はただそれを眺めているだけだった。
それはまるで、この先の明智の行く末を暗示するかのようだった。
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