第19話 安土城決戦

 清水寺に再集結をした明智軍1万3千は、先陣に斎藤利光を配し、安土城に向かうべく京を後にしていた。


 瀬田城主、山岡隆景は、先陣の利光隊の旗印を認めると、瀬田の唐橋を即座に焼かせ、狼煙を上げた。 その後、瀬田城に火をかけ手勢5百とともに安土へと退却した。


 唐橋を失った明智光秀は、瀬田から坂本周辺までの大量の船を接収し、仮船橋を掛け瀬田川を渡ることに成功するが、ここで、一日を無駄に過ごさざるを得なかった。この一日の間に明智兵1千は逃亡を果たしていた。


 先陣の利光隊は、仮唐橋を渡り終えると、素早く安土城城下に迫り、無人となっていた町に火をかけていった。

 城下町を焼く火によってできる煙は、琵琶湖からの風を受け南の方向へ流れ安土城を覆うことはなかった。

 安土城内に逃げ込んだ安土の民たちは自分たちの家が明智軍に無下に焼かれているのをただ指をくわえて眺めているしかなかった。

 それでも、血気に逸る者がいたが、安土城内の武将たちに説得、時には、脅され打って出る事を諦めざるを得なかった。

 そんな武将たちでさえ民の憤懣を我が事のように受け止め腹に貯めていった者も少なからず出ていた。


 信長に遅れること一日半にして明智光秀1万2千は安土城下に現れる。


 「上様―――!!明智軍、安土城下に現れました。」

 安土城天主最上階で城下の様子を見ていた信長のもとへ蒲生賢秀が駆け込んできた。


 「おう、総大将よくぞ参った。とくと明智兵をご覧なされ。」

 信長は賢秀に自分の場所を譲る態度を示した。


 「上様、ご冗談はお止めくだされ。この左兵衛、総大将の器ではござらぬ。」

 賢秀は以前、転んで青くなった額を押さえた。


 「であるか。しかし、賢秀、そちは引き続き二の丸にて全体を把握し適切な指揮をせよ。奇をてらうことなく、堅実な指揮をな。その上で、現場のものが奇をてらった策を用いるのならば許可せよ。儂は大手より明智に顔を見せてやらんとならんのでな。それと力丸の身体はどうじゃ回復しておるか。」

 信長は賢秀に諭すように話す。


 「上様のお考え左兵衛、感服いたしました。それでも、総大将とはおこがましく思いますので、代理と言う事でよろしいですね。それと、力丸殿ですがだいぶ回復しておりますが、全快とは言い難いかと。ですが、力丸殿の性格ではじっと療用していないでしょう。」

 賢秀は信長を真正面から見つめた。


 「よかろう代理として差配せよ。それと、力丸には山岡景隆を副将としてつけてやれ。景隆には力丸を死なせぬように助けよとだけ言え。よし、それでは、手はず通り進めよ。」

 信長はそう言うと天主を降りて行く。

 賢秀も慌てて信長の後を追った。

 そんな賢秀をちらりと見た信長は

 (階段では転ばんだろう)

 と思い賢秀の見事な転びっぷりを思い出してひとりほくそ笑んだ。


 二の丸御殿の広間にて鎧武者に囲まれた信長は南蛮胴具足姿になっていく。

 南蛮胴に身を包んだ信長は威風堂々として安土城の主人にふさわしいと、ここにいる誰しもが思った。


 「良いか皆のもの。蒲生賢秀が、安土城の総大将代理とし、儂は大手口を受け持つ。賢秀、のちの手配を頼む。」

 信長は賢秀に場所を譲った。


 「は。上様に代わりそれがしが、手配を申し上げます。力丸殿と山岡殿は搦手口をお願いします。忠三郎は百々橋口を守れ。それ以外のことはすでに手配した通りお願いします。」

 賢秀は遠慮気味に言った。


 「左兵衛、忘れとるぞ。」

 信長は賢秀に笑いながら言った。


 賢秀は一瞬考えると、はっとした。

 「エイ、エイ。」

 あまり力のない掛け声に続くものが出ない。


 信長はやれやれといった顔になり声を上げる。

 「明智の逆賊どもを討ち取れ―――!!」

 信長が叫ぶと。


 「オ―――!!」

 武者が答えた。


 再び賢秀が大声を出す。

 「エイ!!エイ!!」


 「オ―――!!」

 武者が今度は答えた。



 明智軍本隊がぞくぞくと安土城下に集まってきている。


 陣が定まる前に、安土城大手門が開き信長を中心とした騎馬武者1千5百が飛び出して、一直線に明智軍に突っ込んでいった。

 信長の左右には赤母衣、黒母衣の騎馬が付き従い、信長が先頭切って、明智兵に槍をつけていく。

 さすがの明智軍も到着早々いきなりの急襲に対応できず右往左往するしかなかった。

 さらに、百々橋口門も開かれ、蒲生賦秀、1千騎が西に突っ込んでいく。

 賦秀も信長に負けじと、先頭に立ち明智兵を蹴散らした。


 織田軍は、頃合を見定めると、なんの未練もなく出た時と同じように後退する。

 明智軍は、混乱を極め半里ほど後退を余儀なくされるのだった。


 初戦で明智軍は1千人もの被害を出したが、織田軍は10騎の重傷が出ただけだった。

 城に戻った信長は大手口に信長の馬印たる、金の唐傘と南蛮笠を立てた。


 後退した明智軍は陣容を再度整え、ゆっくりと前進し警戒を怠らず安土城を包囲していく。


 日はすでに沈み夜になっていた。


 安土城内は多数の篝火で夜の闇の中に浮かび上がり、明智軍も多数の篝火を焚き夜襲を警戒していた。

 だか、この夜のうちに明智兵2千がさらに逃亡した。


 信長は明智軍の夜襲はないと見て三交代で就寝をさせ、明智軍は眠れぬ夜を過ごした。


 卯初刻(午前5時)、明智軍から法螺貝の音、攻め太鼓の音が鳴った。


 明智軍の総攻撃が始まった。


 大手口を利光と光秀の本隊5千が攻め、秀満隊2千5百は百々橋口を光忠隊2千5百は搦手方面を攻撃し始めた。

 明智軍は竹を束ねた鉄砲よけの仕寄しよりを持ち城門に近づく。織田軍は城内より矢や鉄砲を撃ちかける。

 仕寄の竹は鉄砲の弾を弾くが当たり場所によっては貫き、時に仕寄を破壊する。


 時より城門が開かれ間断なく鉄砲が明智軍に撃ち込まれる。鉄砲は一般的な口径だけでなく倍以上の口径を持つ大鉄砲も撃ち込まれた。


 大鉄砲は口径に合わせた大きな鉛玉を撃ちだすだけではなく、釘や鉄屑などを詰め込むことによって散弾銃として使用することもできた。ただし、散弾として使用すると飛距離は落ちるが。


 大量の砲煙で前方が見えなくなると、信長考案の三間半の長槍を持った民兵や武者が槍衾を作り明智兵を槍にかけ陸橋から掘りへと追い落とす。

 幽斎は大手口の鉄砲隊を指揮し、信長は民兵に混じって喜々として長槍を振るう。


 羊の群れを狼が率いる。いや、この場合は安土の民を須佐之男が率いるとでも言おうか。


 百々橋口では賦秀が真っ先に駆け出して織田方を奮い立たせる。

 「かかれ、かかれ、かかれ。われに続け―――!!」


 搦手方面では、力丸が死兵となって死体の山を作り景隆が力丸を補佐し助ける。

 力丸は無表情、無言を貫き、鬼人の様に槍を振るい、景隆は力丸の背後を取る明智の兵を優先的に倒していった。


 織田が優位に立つと明智が引く。明智が引くと織田も合わせて引く。織田が引くと明智が追う。

 明智軍二度目の突撃と撃退をした後、安土城より一際大きな砲声が轟いた。

 百々橋口を攻める秀満の陣近くに大砲の玉が打ち込まれた。


 この頃の大砲は破裂しないで、ただ、鉄の玉を打ち出すだけだった。

 対人というよりも構造物の破壊を目的としたほうが効果があった。

 だからといって、鉄の塊がどこかに落ちるわけで当たれば確実な死が待っている。風を切る砲弾の音に兵の恐怖が伝播することは止められないだろう。


 秀満は陣を下がらせ、兵の配置を分散させた。


 光秀の焦りは絶頂に達していた。織田信長を亡きものとするのに絶好の機会だったと思っていた時は、無情にもあっという間に過ぎ去り、今は絶体絶命の死地に追い込まれている。

 安土城周辺には大した兵を有しているものなどはいなかったはずなのに、初戦で騎兵2千5百に翻弄された。鉄砲、大鉄砲、大砲、槍隊、弓隊、騎馬隊と全兵力としては5千を下らない状況と悟った。

 織田方の士気の高さと、明智軍の士気の差が痛手になっているのを痛感している。逃亡兵もかなりな数、出ていることも含めて。


 光秀は勇気を振り絞り決意を固めた。織田信長を亡き者とし当初の目的を果たすと。

 「これより我らは安土城を強襲する。こたびは退却を許さない。攻めて攻めて攻め抜け。我らに勝利を信長に死を。安土城落城のあかつきには足軽は組頭に、組頭は足軽大将に足軽大将は倍の加増をする。侍は手柄しだいで城持ちに取り立てる。とった首は打ち捨てにせよ。ここを先途と死力を尽くせ。引くものは敵であろうが味方であろうが全て切り捨てにせよ。城の宝物は身分の関係なく全て分け与える。この惟任日向守光秀も共に死力を尽くす。皆の者、励めや励め。貝を吹け、懸り太鼓を打て……。全軍出陣せよ―――。」



 安土城を後にした織田信忠二百騎あまりは馬を駆けに駆けさせ岐阜に到着していた。

 当初京を出た時には150騎だった信忠一行は山中越街道で負傷60名、護衛30名を残し安土城に到着したとき六十騎だったが、安土にて140騎つけられ2百騎にて岐阜に帰還を果たしていた。

 信忠は早速、美濃、尾張、飛騨、三ヵ国に兵の動員を促し伊勢、志摩に対して南から安土城を後詰するように命を伝えた。


 だが、伊勢の北畠信雄は、兵を四国攻めの神戸信孝、丹羽長秀に提供しており、充分な兵を集めることができなかった。


 岐阜城で兵を待つ信忠はこれほどの焦燥感を抱いたことはなかった。おのが身をじりじりと焼かれる感覚をも味わいながら岐阜城内で兵が集まるのを待っているのだった。


 西美濃の稲葉良道一鉄似斎の元へも信忠からの動員令の使者がきたが、一鉄自身は今でも信長の直臣の旗本部隊を自負していたために岐阜に集まろうとせず、兵をまとめ千五百騎を率いて直接安土城を目指す。



 さてここで、少し徳川家康の状況を語っておこう。

 甲州討伐の功績により駿河一国の知行を安堵されたお礼に、安土城を訪れ、信長からは饗応を受けた。その後、京、奈良、大坂へと歩みを進めた後、本能寺の変が起こる2日前に堺に到着していた。

 明智軍が本能寺を包囲する頃、堺の家康のもとへ元徳川家家臣、現徳川家御用商人の茶屋四郎次郎が明智軍のことを注進しに走り込んでくる。家康は武田の降将、穴山梅雪一行と徳川家家臣30人程度の小部隊だったが京にて信長と共に戦って死のうと家臣に話した。だが、本多平八郎忠勝を中心として説得されると、取り急ぎ本国、三河へ帰還することとした。

 堺から奈良を経由して伊賀を越え伊勢から船で三河へと帰国を果たしたのだった。

 伊賀越えの際、穴山梅雪は自ら家康と袂を分け、ついに帰らぬ人となった。



 明智軍の気構えが、今までと違うことを敏感に感じ取った、信長は城門を開くことを禁じ、徹底的な守備戦を全軍に命じさせた。

 百々橋口は安土城内の寺、総見寺に据えた2門の大砲を中心に防備し、搦手口は湖に浮かぶ鉄甲船を利用した二方向からの銃撃戦を強化した。

 大手口はこれまで通り、信長を中心とした迎撃部隊にて対応する。

 百々橋口、搦手口、共に道幅が広くできているわけではないために明智軍はかなり苦戦を強いられていた。

 大手口の城内から間断なく銃撃が浴びせかけられる。

 大鉄砲から無数の釘が打ち出され、仕寄が銃弾や釘を弾き、時より、銃弾が仕寄を打ち抜き破壊する。

 矢が弓なりに天から降り注ぐ。

 

 それでも、明智軍は確実に大手門に近づき集まってくる。

 光秀の周りを十重二十重に仕寄で囲み大手門に近づく。

 光秀の叱咤激励が飛び、明智の兵は大手門を揺らす、叩く。

 門扉は悲鳴を上げて破壊され、明智兵はどっと城内、大手道に入り込む。

 大手道には逆茂木がかけられていた。

 その先には大鉄砲10門を構える屈強な織田兵が待ち構えていた。

 幽斎の下知が飛び、大鉄砲10門が一斉に火を噴いた。無数の散弾が放たれ、そこにいた多くの明智兵が無残に大手道に転がった。

 大鉄砲隊に代わり鉄砲隊20人が二段の陣を敷く。

 さらにその後ろ、大手道直線突き当たりには、南蛮胴具足に身を包んだ織田信長その人が威風堂々と立っている。

 数段にも設置された逆茂木を越えるには鉄砲隊の餌食にならざるを得なかった。

 大手道左右には信長家臣の屋敷が配置されている。その屋敷の門は固く閉ざされていた。

 屋敷の壁には狭間さまがある。

 そこより鉄砲や矢が撃ち込まれる。

 徹底的な火器、飛び道具による防衛戦だった。

 長篠、設楽原の戦いの再現のようでもあった。


 光秀は大手道に入ったすぐの所で戦の様子を見ていて気がついた。だが、歯を食いしばり再び全軍に突撃を悲鳴のように命じたのだった。

 「の・ぶ・な・が―――。」

 怒りと呪いと恨みを込めた言葉を光秀は初めて吐き出した。

 大きな天狗の影が光秀を覆う。


 信長は光秀が影に覆われたのをはっきりと見た。

 「たわけが。取り込まれおって。」

 信長は呟くと右手を高く上げて振り下ろす。

 大手道の鉄砲隊と弓隊は一斉に打ちかけた。


 明智軍の崩壊は時間の問題であった。


 明智軍の後方より砂塵を巻き上げ近づく軍勢の姿が現れる。

 それに呼応するかのように、百々橋口、搦手口より織田軍の猛反撃が開始され双方口の明智兵はズルズルと押されていった。

 明智兵は挟撃の恐怖を感じた。

 明智兵の緊張感が失われ粘りがなくなり怯懦の心が生まれてくる。

 戦上手の稲葉一鉄は寡兵の戦い方を熟知していた。1千5百の騎兵を明智軍の後方に一撃与えると、素早く離脱する。一定の距離を取ると再び反転して明智軍に向かっていく。

 時には兵を二分して交互に一撃反転攻撃を行った。

 稲葉一鉄という武将はまことに、戦の流れを読むことに長けている老練な煮ても焼いても食えない武将だった。


 一鉄の旗印を掲げた騎兵に明智兵たちは後方からゆっくりと崩れていった。

 たとえ、ゆっくりといえども一度崩れ出せば大崩壊は時間の問題だった。


 光秀は全てを悟った。

 「全軍引け―――。坂本へ退却せよ―――。」

 光秀は声の限り叫んだ。

 明智軍は隊伍も整えず這う這うの体で退却を始める。


 明智軍が退却に移るのを認めた信長は引き鐘を鳴らさせたのだった。

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