第十二話 商人からの頼み
商家で最後の夕方、私は食堂に呼ばれた。
金色と赤色を配した部屋は、豊かさを誇示しているようだった。壁にまで彫刻がしてある凝った造りだ。
曲線を多用した独特の作風で、私はそれが有名な魔術彫刻家の手によるものだと知っていた。
壁一面の彫刻だけで、この屋敷がもう一つ建つ値段のはずだ。
部屋には長いテーブルが置かれ、片端に初老の痩せた男性、その斜め前にふくよかで大柄な女性が座っている。
ケイトリンは、女性と向かい合う席に座っていた。
着ている服は、自由市民が使える最も上等な生地のようだ。
異国で採れる貝殻による飾りが灯りを虹色に反射し、目にもきらびやかだった。
市民は宝石で身を飾ることが禁じられているから、それに代わるものとして考案されたのが貝殻飾りだ。
材料の特殊な貝殻を入手するのが難しくなり、今では下手な宝石より高価なものとなっている。
私の席はテーブルの反対側に設けられていて、彼らとの間には椅子が七つ八つはあった。
その距離が、彼らと私との身分差を意味しているのだろう。
無言で始まった食事が終わると、お茶が出てくる。
紅色を
距離をおいて私と対面している初老の男が、テーブルに肘をつき、手の甲に顎を載せた姿勢で話しかけてきた。
「その方、ヒエラスと言ったか」
「はい、そうです」
「お主、これからどうするつもりじゃ」
「旅に出るつもりです」
「うむ。どこに行く予定だ?」
「南方に行ってみようかと」
「旅の目的は何だ?」
「親戚に会いに行こうかと考えています」
「ふむ。で、ここへ返ってくる予定は?」
「まだ、そこまでは……」
「そうか。お前たち、少し席を外せ」
「はい、あなた」
「はい、お父様」
ケイトリンと女性が男の肩に軽く手で触れ、部屋から出ていく。
扉が閉まると、一呼吸おき、男が話を続けた。
「ヒエラスとやら。お主、娘の事をどう思うている」
「危ないところを救っていただき、感謝しています」
「……娘に好意など持ってはいまいな?」
「そのような畏れ多いことは――」
「うむ。ならばよいのじゃ。
あれは世間知らずじゃからな。
お主の事を憎からず思うておるようじゃが……。
万一の事があってはと、心配しておるのじゃ」
「ご安心ください。
私は旅立つ身。思いを残すことはいたしません」
「ふむ。私が言いたいことを、十分理解しておるようじゃな」
彼は立ちあがると、私のところまで歩いてきた。
懐に手を入れ、小さな革袋を取りだす。
「お主に頼みがある。
しばらくこの街に帰らぬようにしてくれぬか?」
「どのくらいの期間でしょう?」
「そうじゃな……五年でどうじゃ?」
「……はい、分かりました」
「これは、心ばかりのはなむけじゃ。
旅なら、かさばるものは邪魔じゃろう」
彼は革袋の口を広げ、中身を見せた。
そこには、小ぶりな宝石がぎっしり詰まっていた。
「このようなことをしていただいて、よろしいので?」
「約束を守ってくれるなら、安いものじゃ」
「……分かりました。お約束は守ります」
「うむ。お主、『学者』と言われるだけあって、のみこみが早いの」
彼は微笑むと、自分の席に戻った。
「では、できるだけ早く、この街をたってくれぬか」
「分かりました」
「約束の事、くれぐれも忘れるでないぞ」
「はい、承知いたしました」
大商人は、手元に置いてある鈴を鳴らした。
すぐに使用人が入ってくる。
主が頷いただけで使用人はその意図を察し、私を連れ部屋を出た。
中年の使用人は私を元の部屋に入れると、その外に立ったようだ。
どうやら、今夜はそこで寝ずの番をするらしい。
箱入り娘を気にかける、大商人の親馬鹿ぶりがおかしく、私は声に出さず笑っていた。
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