第三話 手がかり

 代書の仕事で向かった家は、すぐに見つかった。

 役所の前に建つ、赤い屋根を持つひときわ大きな屋敷だった。

 その屋敷は、街でも一、二を争う大商人の家だと聞いたことがある。


 なぜこれほどの商人が代書など頼むのか、それに疑問が湧いた。

 これだけの店構えとなると、正式な文章を読み書きできる者が何人もいるはずだ。

 店舗の扉を開け中へ入ると、慌てたそぶりの店員が近づいてくる。


「おい、ここはお前のようなやつが来るところではないぞ!」


 私は『マチス』と言われる服を着ている。これは四角い布に三つ穴を開け、それに頭と両手を通しただけのもので、下層階級しか着ない服だ。


「私はヒエラスと言います。

 ノリクさんから代書の仕事を言いつかってます」


「ん? ああ、お前がそうか。

 さっさとこっちへ来い。

 そんな恰好でウロウロされちゃ、ウチの評判にかかわる」


 足早に店の奥へ入っていく店員の後を追う。

 長い廊下は魔術灯で照らされており、壁には細密画が掛かり、飾り棚の上には花を飾られた美しい壺が置かれている。

 そこには、奴隷の私には縁遠い世界があった。


 階段を昇り、やはり飾りつけられた廊下を進む。

 店員は突きあたりの扉に向かい呪文を唱えた。

 すると、扉が薄く光った。

 少し待つと、その扉が内側に開いた。


 そこは端まで三十歩はありそうな広い部屋で、私が住む小屋なら五つ六つは入りそうだった。

 石造りの床には、純白の毛皮が敷かれている。


「ケイトリンお嬢さま、代書屋だそうです」


 そこにいたのは、夏に咲く花を思わせる若い女性だった。

 胸元が大きく開いた赤い衣装を着ており、鳥の羽根を束ねた『風遣り』という魔道具を手にしている。

 大きな目の周囲には、宝石がたくさん埋めこまれているが、その宝石の輝きすら霞むばかりの、翡翠色の瞳が印象的だった。


「その人が? あなたは、もういいわよ。

 ああ、ルカに言って、いつものを二つ出してちょうだい」


「はい、畏まりました、お嬢様」


 店員が出ていくと扉が閉まり、それがひととき光を帯びた。


「あなた、なぜ立ってるの?

 そこに座りなさい」


 女性は私の頭から爪先までジロジロ見やると、美しい声でそう言った。

 彼女が座るのを待ち、私も腰をおろす。

 女性が呪文を唱えると、風遣りの羽根が薄く光る。

 次いで、その羽根が波打つと、そこから心地よい風が広がった。


「あなた、本当に『飾り文字』が書けるのかしら?」


 彼女の言葉で、私がここに呼ばれた理由が分かった。

 飾り文字は王族や上級貴族が典礼用に用いるもので、一般の民草には一生縁がない。

 だから使える者も、ごく一部の者に限られる。


「はい、お嬢様」


「押韻も大丈夫?」


 飾り文字で書かれる文章は、形式通りに押韻を踏む必要があるのだ。


「はい」


 彼女の美しい目が、さらに大きく開かれた。


「あなた、ご職業は?」


「闘士です」


「……どうして、そんな仕事を?

 飾り文字で文章が書けるなら、いくらでも仕事があるでしょうに」


 確かにその通りだ。ただし、それは身元がはっきりしている者に限られる。孤児は身元が無いものとして扱われるのだ。


「私は、孤児ですから」


「ああ、そういう事ね」


 一言だけで分かりあえる。そういう意味で『孤児』というのは、実に便利な言葉だ。


「では、さっそくこれを読んでちょうだい」


 彼女は、通信用の茶色い筒を差しだした。

 私は軽くそれに触れた後、手のひらにそれを載せた。

 これは身分が上の者から物を受け取る時の作法だ。

 筒の両端にある蓋を外すと、中に納まった紙が見える。片方の端をそっと押し、その紙が半分ほど筒から出たところで抜きとる。

 

 確認のため、女性へ視線を送る。

 彼女が頷いたので手紙を広げる。

 そこには、達者な筆跡で飾り文字が書かれていた。


「声に出して読んでちょうだい」


「麗しき貴方へ、私の心を送る。

 光あふれる王都からこの地に赴任して、早や三月みつきが経った。

 貴方の美しさに触れぬ日々は、虚しく寂しいものだ。

 せめて草の波に身を任せることで、それを紛らわせている。

 いつの日か、二人でこの波に身をゆだねたい。

 貴方を忘れられぬエリルより」


 読んでいる途中で、手紙を落としそうなほど、自分の手が震えた。

 その文章に書かれた一節が、私の心を捉えたのだ。

  

『草の波』


 それが夢に出てくる景色を表しているように思えてならなかった。


「お嬢様、この手紙はどちらから?」


「……あなた、どうしてそんな事が知りたいの?」


「飾り文字は、その土地により押韻の踏み方が異なるのです」


「なら、ここ王都のやり方に従って書けばいいわ」


「そ、それでも、手紙を送る土地の事を挨拶に入れなければなりませんから、その部分は、その地方の押韻に従う必要があります」


「ふ~ん、飾り文字って本当に面倒くさいものなのね」


 この女性は、手紙を寄越した男性にそれほど関心がないのかもしれない。


「まあいいわ。

 彼が赴任しているのは、ガレアよ」


「ガレアというと、詩人ポリニウスで有名な、あのガレアですか?」


「ああ、そういえばそうね。

 学園に通っていたとき、そんなことを聞いた覚えがあるわ。

 でも、あなた、闘士なのにどうしてそんなことまで知ってるの?」


「知人にポリニウスの詩が好きな者がおりまして、くり返しそれを聞かされたのです」


「ふうん、知人ねえ……」


 彼女は疑わしそうな視線をこちらへ向けた。


「返信に彼の詩を引用すれば、格調が高まると思います」


「そう。じゃあ、それはあなたに任せるわ」


「かしこまりました。

 お書きになりたい事を、教えていただけますか?」


「それも、あなたに任せるわ」


「えっ?」


「だから、飾り文字の形式だけ守っていれば、後はどうでもいいのよ。

 飾り文字が届いたのに、真文で返すわけにもいかないでしょ」


「……分かりました」


「ところで、あなた。

 闘士とか言ってたけど、出ているのは大闘技場?」


「いえ、小闘技場の方です」


「あら、そうなの」


 その場で筆記具と紙を借り、飾り文字で手紙をしたためた。

 書き終えたころ侍女が飲み物を持ってきたが、私はそれを遠慮し、豪華な屋敷を後にした。


 商人の家で聞いた、『草の波』『ガレア』という言葉は、胸の奥深くにある、何かを揺さぶった。 

   

 私は行かなければならない。ガレアへ、草が波うつ場所へ。

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