第十五話 始まり

 その日は、朝から篠つく雨が降っていた。黒雲が空を覆い、昼前になっても、まるで夜明け前のような暗さだった。

 顔役のノリクに記入してもらった申請書類を市役所に提出し、その足で旅の必需品を買いに市場いちばを回った。

 次の日が休養日だと、いつもは人混みで歩くのも苦労する市場だが、この日は雨のせいか人出が少なく、買い物を終えた私が貧民街への近道に選んだ路地には、人影がなかった。

 

 雨避けに被っていた編笠の向こうに一人の男が立っているのを見たのは、そんな時だった。

 両の足を編みあげた皮で固めた男は、これから長旅でもするような風体だった。ただ、その手には荷物はなく、短槍があった。男の手が槍の穂先にかぶせた鞘を外す。

 薄暗い中、槍の刃が鈍く光った。

 そして、背後からも水をはねる足音がした。


 私は黒剣を覆った布を解くと、それを右手に民家の塀を背にした。

 左からは抜き身の剣を持った男が、右からは短槍を構えた男がじりじりと距離を詰めてくる。

 とっさの判断で、戦闘が始まればやっかいになるだろう、短槍の男へ走りよった。


 私が突然動き出したため戸惑ったのだろう。短槍の握りを変えた男は、それをこちらに突きこもうとした。

 しかし、握りを変えたことで生じた一瞬の隙が男の動きを鈍らせた。すでに振るわれていた私の黒剣が、彼の利き腕を切り裂いた。


「ぐっ」


 男が声を抑さえたのは、こういった荒事に慣れているからだろう。

 彼が後ろに身を引くタイミングで、斜め後ろから伸びた剣が私の体をかすめた。

 短槍の男を深追いしていれば、今の斬撃で致命傷を負っていたはずだ。

 

 私は素早く位置を変えると、両手で持った剣を中段に構えた。攻撃にも防御にも変化できる構えだ。

 私の構えを見た襲撃者が、一瞬たじろいだ。

 すかさず一歩踏み込み、相手の右こぶしを狙う。

 狙いは、その親指だ。


 相手は剣を立て、こちらの剣先を弾いた。

 弾かれた力を利用し、剣先を肩口に突きこむ。 

 黒剣が襲撃者の右肩につき刺さった。深くはないが、相手の戦闘力を削るには十分だ。


 なんとか危険を脱したと思った時、私に油断が生まれた。

 足元をかすめた短槍に、右のふくらはぎを傷つけられてしまう。

 短槍づかいが武器を投げたのだ。

 傷はかすり傷だったが、両足の間に挟まった槍の柄にバランスを崩してしまう。


 地面に倒れた私に、剣士がとどめを刺そうとする。彼の右手は力が入らないだろうが、剣を振り下ろすだけなら支障はない。

 振りおろされた剣に黒剣を合わせるが、それは煙と化したように相手の刀身を通してしまう。

 防ぎようがない攻撃が、私の肩口を襲った。

 剣士のギラギラした目と私の目が一瞬で会う。

 私の絶望は、しかし、次の瞬間には驚きに代わった。

 

 剣士の動きが停まったのだ。

 何が起こったか分からないという表情を見せた男は、ゆっくりと前のめりに倒れた。   


 短槍づかいがこちらに背を向け、路地から逃れようとする。

 しかし、次の瞬間、彼もゆっくり地面に倒れた。


 闘技場に続き絶体絶命の窮地から逃れられたのは奇跡と言えるだろうが、一度目の命拾いと違い、今回のこれを奇跡とはとても言えなかった。


 なぜなら、その一部始終をこの目で見てしまったのだから。

 剣から伸びる影を、それによって倒される敵を。

 

 私は傷ついた右足をかばいながら、路地から表通りへ出た。

 そこには路地裏の死闘が幻であるかのように、いつもと変わらぬ人々の生活があった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る